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バルト3国現地調査 エストニア
ターリン旧市街・歴史地区
聖ニコラス教会

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

10 April 2010 無断転載禁
初出:独立系メディア「今日のコラム」

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●2010年2月20日(土) 旧市街・歴史地区:聖ニコラス教会

ターリン市の紋章


ターリン旧市街、歴史地区全図  作成:青山貞一



聖ニコラス教会(Niguliste Kirk)

 
次に訪問したのは旧市街の南西部にある聖ニコラス教会(Niguliste Kirk)だ。ターリン市の博物館からは再度、旧市庁舎、ラエコヤ広場を経由して行くのだが、聖ニコラス教会訪問時は、寒さが最悪となった。

 突風もあり、教会の外ではおそらく外気温はマイナス15度以下、2重にした手袋でも寒さは防げないありさまだった。

 しかも、教会全体を写真におさめようと、
リュートゥリ通り北側に歩いていく途中、凍結している路上でスッテンコロリンと滑ってしまった。幸い、頭は打たず、手も打ち身打撲ですんだが、帰国後数週間、痛みが残ってしまった。

 もちろん、転んでもニコンのデジカメは手から離さず無事だった(笑い)。


 
そんなこともあり、この聖ニコラス教会は私(青山)にとって思い出深いものとなっている。ただし、旅行中、本格的に転んだのはこの一回だけである!


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 
ところで、聖ニコラス教会は13世紀前半、ドイツ商人の居住地に立てられた教会で、船乗りの守護聖人、ニコラスに捧げられた。

 この教会は非常時は外敵から守るための要塞としての機能も果たしてきたという。

 ただ、1944年のソ連による空襲によって破壊され、現在、もともとの内装は残っていない。現在は博物館そしてコンサートホールとして使用されている。入場は35クローン。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 下は夏の晴天時の聖ニコラス教会。


夏の聖ニコラス教会 出典:From Wikipedia, the free encyclopedia

 この聖ニコラス教会を世界に知らしめているのは、実は現在博物館となっている教会内部にある展示品だ。

 展示品の数こそ少ないが、世界的有名かつ貴重なものが多い。最も有名なものは、ベルント・ナトケによって15世紀に画かれた「死のダンス(舞踏)」(Surmatants)である。

 下はその「死のダンス(舞踏)」である。横7.5m、縦1.6mのカンバスに生者と死者がダンスを繰り広げる様が描かれている。


ベルント・ナトケによって15世紀に画かれた「死のダンス(舞踏)」 
出典:Wikipedia English edition


ベルント・ナトケによって15世紀に画かれた「死のダンス(舞踏)」
出典:Wikipedia English edition

教会(博物館)内部の芸術作品について

 教会内部で最も有名な芸術作品はリューベックの巨匠ベルント・ナトケ(Bernt Notke)による絵画「死のダンス(舞踏)」である。この作品は、生命の儚さ、骸骨の姿をした死を力強さと哀れみをもって描いている。

 原画の30m幅の絵画の一部分のみが聖ニコラス教会(15世紀の末に完成した)で見ることができる。

 聖ニコラス教会の高い祭壇は、1478年から1481年にリューベックの巨匠ハーマン・ローデ(Herman Rode)の工房(作業場)で造られた。両翼をもつ祭壇の外側の面には、聖ニコラスの生涯が描かれている。

 中央部分の二段の袖(翼)の部分の祭壇は、30以上の聖人たちの姿で埋め尽くされ、いわゆる「聖人のギャラリー」を形作っている(下の写真参照)。


主祭壇の「聖人のギャラリー」
出典:Wikipedia English edition

 作品群の中には、ブリュッセルにあるJan Bormanの工房で造られた聖マリアの祭壇(1500年頃)、聖Kin(聖家族)の祭壇(1490年頃)も含まれていた。

 キリストの苦難の祭壇は、ブラックヘッド・ギルドの強大な信徒会(同胞会)の注文によって16世紀の初頭にBruggeの巨匠であるAdrian Isenbradntによって造られ、後に、タリンの芸術家であるMiche Sittowによって完成された。

 その他、聖ルチアの生涯を描いた15世紀の聖母マリアの祭壇、16世紀の聖アンソニーの祭壇などが展示されている。


教会の内部 
出典:From Wikipedia, the free encyclopedia

 礼拝堂の一部は、デューク・チャールズ・ユージンde Croyのミイラを保存するために使われてきた。当時は1700年の「ナルバの戦い」のロシア軍指揮官、スウェーデンのキング・チャールズXIIによる捕虜囚人、チャールズユージンde Croyは1703年に死亡したが埋葬されてない状態で残されていた。礼拝堂の大気が腐食から体を守ってきた。その結果、当局が最終的に遺体を埋めた1897年まで下の写真にある状態で保持されていた。


Charles Eugene de Croy19th-Century drawing of Charles Eugene de Croy' mummy、From Wikipedia, the free encyclopedia


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 下はグーグルアースで3次元CG展開した聖ニコラス教会である。


グーグルアースで3次元CG展開した聖ニコラス教会
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010


つづく


【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition