ここでは、秩父事件の主要な原因のひとつである生糸をめぐる当時の状況について詳細に調べてみた。
先に述べたように、秩父事件の直接的な原因は、養蚕製糸、生糸の価格暴落に端を発したデフレーションにある。
これについて池田こみち氏の調査により以下の事実が判明した。
蚕糸技術第106号 1979年2月の絹織物の産地−埼玉県秩父− 村野圭市 p51に、明治12年1斤4円63銭の生糸が、15年に7円92銭に値上がりし、16年には一気に3円88銭に暴落したのである。
すなわち、わずか1年で生糸の価格が明治15年に7円92銭に値上がりし、明治16年には一気に3円88銭に半分以下に暴落していることが分かる。
ここでは、データ面から江戸末期及び明治初期における@日本各地の産地別養蚕農家の生糸生産量、A開国した日本の明治初期における全輸出に占める生糸関連輸出の割合、B米国、フランス、イギリスなど輸出先国への割合などを調査した結果を示す。
●江戸後期における総輸出に占める生糸輸出の割合
表1は、江戸時代後期の我が国の総輸出額に対する生糸輸出額のデータである。慶応元年には実に183.65%にまで達していたことが分かる。
表1 総輸出額に対する生糸輸出額
年 |
総輸出額 A |
生糸輸出量 |
生糸輸出額 B |
A/B×100 |
1860(万延元)
1861(文久元)
1862(文久 2)
1863(文久 3)
1865(慶応元) |
3,954,299ドル
2,682,952
6,305,128
10,554,022
17,467,728 |
7,703ピクル
5,646
15,672
19,609
16,235 |
2,594,563 ドル
1,831,953
5,422,372
8,824,050
14,611,500 |
65.61
68.28
86.00
83.60
83.65 |
基調講演「横浜開港と生糸貿易」、シルク博物館 博物館部長 小泉勝夫
出典:横浜市史 第二巻 p.370,371,372,312,375,第29〜32表より作成
●明治初期における生糸における産地別生産割合
表2は、明治初期における我が国における産地別の生糸売込量である。秩父を含む武州(現在の埼玉県)は、日本全体の11.8%を占めていることが分かる。
また信州(長野県)、+上州(群馬県)+武州(埼玉県)+甲州(山梨県)の関東及び信州の4県で、全国シェアの74.3%を占めていたことも分かる。
なぜ、長野、群馬、埼玉、山梨の4県で74.3%もの高い割合となっていたのであろうか? 4県に関し、すぐに想定できるのは、@中山間地的な地形、A暑からず寒からずの気温、Bお蚕の食草である桑の生育、C養蚕家屋の構造などいろいろな類似性が考えられる。
とりわけ共通性があるのは、@中山間地的な地形、A暑からず寒からずの気温である。
表2 産地別生糸売込量
|
|
**明治9年1月〜9年12月 |
**明治12年1月 〜12年12月 |
奥 州 |
%
19.5 |
斤
239,108 |
%
22.2 |
斤
394,518 |
%
18.0 |
羽 州 |
|
|
|
|
|
信 州 |
11.1 |
179,290 |
16.6 |
624,926 |
28.5 |
上 州 |
48.7 |
407,820 |
37.8 |
582,273 |
26.6 |
武 州 |
10.1 |
122,671 |
11.4 |
259,303 |
11.8 |
甲 州 |
4.8 |
64,850 |
6.0 |
163,116 |
7.4 |
越 後 |
0.7 |
4,262 |
0.4 |
12,598 |
0.6 |
越 前 |
0.1 |
600 |
0.1 |
0 |
0.0 |
飛 騨 |
0.4 |
9,190 |
0.9 |
46,515 |
2.1 |
美 濃 |
0.6 |
11,015 |
1.0 |
3,766 |
0.2 |
近 江 |
0.0 |
3,000 |
0.3 |
5,399 |
0.2 |
その他 |
4.1 |
35,675 |
3.3 |
100,503 |
4.6 |
合 計 |
100 |
1,077,481 |
100 |
2,192,917 |
100 |
基調講演「横浜開港と生糸貿易」、シルク博物館 博物館部長 小泉勝夫
* 横浜市史 資料編1 p.367〜369 籾蔵 御役所え差出し候書面之写
(元治元年6月20日付 出張取締につき糸問屋行事より町奉行へ願書)
** 西川武臣「横浜開港と武州糸 絹の道の数量的検討」(多摩のあゆみ55
多摩中央信用金庫)から引用
以下はいわゆる激化事件と呼ばれる事件である。その象徴的な事件が秩父事件とされている。
福島事件 1882年(明治15年) 福島県
高田事件 1883年(明治16年)20日 新潟県
群馬事件 1884年(明治17年)5月 群馬県
加波山事件 1884年9月(明治17年) 栃木県
秩父事件 1884年(明治17年)11月 埼玉県
名古屋事件 1884年(明治17年)12月 愛知県
飯田事件 1884年(明治17年) 長野県
大阪事件 1885年(明治18年) 大阪府
表2と上記を見比べると、生糸の主要産地とダブっていることが分かる。
●明治初期における産地別生糸の売込量
表3は、明治初期における横浜港への産地別の生糸売込量である。秩父を含む武蔵(埼玉分)もそれなりの量があったことが分かる。
秩父事件があったのは明治17年だが、秩父を含む武蔵(埼玉分)は、明治13年度で生糸3,414、付属品
5,345であったが、明治19年度で生糸2,879、付属品2,279へと大幅に減少していることが分かる。
表3 横浜への産地別生糸売込量
産 地 |
明治13年 |
*明治19年度 |
生 糸 |
付属品 |
生 糸 |
付属品 |
上 州
岩 代
武 蔵
信 濃 美 濃 甲 斐 羽 前 飛 騨 磐 城 三 陸 但 馬 近 江 尾 張 越 中 越 後 越 前 加 賀 下 野 伊 勢 肥 後 その他・概算 |
7,155個
4,704
3,414
8,287 264 2,041
388 489 15 885 8 75 48 44
328 32 65 47 39 14 115 |
9,696個
6,183
5,698 1,635 1,942
1,820
46 197 174
82 3,963
13
208
222
77
92
15
7
678 |
群馬 10,400個
福島 6,854
神奈川 3,323
埼玉 2,879
長野 10,309
岐阜 3,273
山梨 3,659
山形 2,065
|
12,030個
7,036
7,617
2,279
6,642
3,861
1,885
1,910
|
計 |
28,457 |
38,093 |
|
|
基調講演「横浜開港と生糸貿易」、シルク博物館 博物館部長 小泉勝夫
横浜市史 第三巻 上 p.474 第31表から抜粋
以下はいわゆる激化事件と呼ばれる事件である。その象徴的な事件が秩父事件とされている。
福島事件 1882年(明治15年) 福島県
高田事件 1883年(明治16年)20日 新潟県
群馬事件 1884年(明治17年)5月 群馬県
加波山事件 1884年9月(明治17年) 栃木県
秩父事件 1884年(明治17年)11月 埼玉県
名古屋事件 1884年(明治17年)12月 愛知県
飯田事件 1884年(明治17年) 長野県
大阪事件 1885年(明治18年) 大阪府
表2と上記を見比べると、生糸の主要産地とダブっていることが分かる。
●明治初期における産地別生糸高の推移
表4は、明治初期における産地別の生糸の生産高を示している。
秩父事件があった明治17年には埼玉を含む武蔵が前年の1/10以下に落ち込んでいること、また明治19年には明治15年並みの生産高となったことが分かる。
表4 産地別生糸生産高の変遷 (単位:千斤、倍)
|
明治9年 |
11年 |
13年 |
15年 |
17年 |
19年 |
21年 |
上野
武蔵 信濃 岩代 甲斐 羽前 美濃 近江 磐城 飛騨 但馬 陸前 全国 |
339 259 242 201 141 120 70 61 56 41 35 26 2,048 |
337 213 240 169 187 108 68 88 66 44 46 43 2,266 |
739 324 405 281 211 139 119 116 93 58 94 49 3,331 |
499 462 467 196 118 104 121 97 133 66 57 53 4,132 |
1,168
41 1,609 323 191 216 109 270 113 82 91 67 4,901 |
1,067 443 898 568 294 196 171 300 274 92 80 239 5,692 |
1,232 487 891 480 406 243 179 187 211 83 98 129 5,902 |
基調講演「横浜開港と生糸貿易」、シルク博物館 博物館部長 小泉勝夫
出典:横浜市史 第三巻 上 p.493 第46表から抜粋
●明治初期から中期における生糸の国別輸出先
表5は、生糸の輸出先国の比率である。秩父事件前後はフランスが全体の32〜51%と全体の半分を占めるに至っていることが分かる。
他方、秩父事件後はフランスに代わってアメリカの割合が全体の半分以上を占めていることが分かる。
表5 生糸の輸出先
|
比 率(%) |
イギリス |
アメリカ |
フランス |
その他 |
明治6年 7 8 9 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 |
47.2
39.8 36.1 43.7 17.2 18.9 15.1 15.2 4.4 2.5 4.2 5.0 7.8 1.3 0.5 2.6 1.3 |
0.6 7.7 0.5 1.8 37.6 24.2 34.6 33.2
50.6
35.8
54.0
55.9
50.6
55.1
66.0
58.5
61.2 |
32.2
40.9
53.9
45.6
43.9
56.5
48.9
51.1
44.8 42.7 41.2 35.0 39.2 41.2 32.0 36.7 34.7 |
20.0 11.6 9.5 8.9 1.3 0.4 1.4 0.5 0.2 1.0 0.6 4.1 2.4 2.4 1.5 2.2 2.8 |
基調講演「横浜開港と生糸貿易」、シルク博物館 博物館部長 小泉勝夫
出典:横浜市史 第三巻上 p.470
●江戸後期におけ生糸輸出の港別比率
表6は、生糸輸出の港別比率である。横浜が数量、価額ともに飛び抜けて高いことが分かる。江戸後期、横浜港では、97〜99%が生糸輸出となっていることが分かる。
表6 生糸輸出の港別比率 (単位: %)
年 度 |
数 量 |
価 額 |
横浜 |
長崎 |
箱館 |
合 計 |
横浜 |
長崎 |
箱館 |
合 計 |
1863(文久3)
1864(元治1)
1865(慶応1)
1866(慶応2)
1867(慶応3) |
98.43
99.05
99.08
99.19
96.96 |
1.57
0.53
0.32
0.81
3.04 |
-
0.41
0.60
-
- |
100.00
100.00
100.00
100.00
100.00 |
99.13
99.40
99.58
99.27
98.36 |
0.87
0.32
0.09
0.73
1.64 |
-
0.28
0.33
-
- |
100.00
100.00
100.00
100.00
100.00 |
基調講演「横浜開港と生糸貿易」、シルク博物館 博物館部長 小泉勝夫
出典: 横浜市史 第二巻 p.560 第71表から引用
下の図は、下吉田の龍勢会館に展示されていたもので、生糸や絹織物がフランスなど海外に向け出荷されていた横浜港の全図である。
下吉田の龍勢会館にて
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
下の写真は横浜市山下町にある今のシルク博物館があるシルクセンターである。上の全図の中央で港に面する位置にシルク博物館がある。
200.10.28撮影
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
○五品江戸廻送令について
江戸幕府は、1860年に、生糸、雑穀、水油、蝋、呉服の五品目について、必ず江戸の問屋を経由する法令
- 五品江戸廻送令 - を発出した。この法令は、江戸問屋の保護と物価高騰の抑制を目的としていたが、すぐに列強各国から、条約に規定する自由貿易を妨げる、と強い反発を受けた。また、在郷商人らも依然として港へ直接廻送を続けたため、法令の効果はあがらなかった。1862年(文久2年)には抜け道として生糸の代わりに輸出が増加した原料である蚕紙の輸出禁止を命じたものの、こちらも列強の圧力によって1年で廃止されている。
だが、開国の反動から攘夷鎖国への傾向が出てきたことを背景に、1863年(文久3年)から、幕府は同法令の本格施行を強め、その結果、生糸輸出が減少するなど次第に実効が現れていった。しかし、1864年(元治元年)の四国艦隊下関砲撃事件を契機として、列強各国は幕府へ同法令の撤回を強く迫り、一方幕府内部からも生糸の輸出に税金をかける形で抑制した方が幕府財政の改善にも繋がるとする意見も出された。このため、幕府も開国の流れを止めるのは得策でないと判断し、実質的に同法令は放棄されることとなった。
江戸幕府は1865年(慶応元年)に「生糸并蚕種紙改印」制度が出されて、蚕紙・生糸の生産者に冥加金を納めさせる義務を定めた。これは生産者に課税を行い、これを販売・輸出業者に対して価格転嫁させようという意図の下に導入されたものだが、これに反発した生産農家による「世直し一揆」が勃発した。それでもこの路線は明治政府に政権が移っても継続され、1873年(明治6年)に「生糸製造取締規則」が公布されて生糸の出荷には必ず印紙を貼る事が義務付けられた。以後、明治政府は殖産興業・士族授産の観点も含めた立場から生糸の増産・輸出政策への関与を強めていく事になる。
出典:Wikipedia
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ここで気になるのが、圧倒的に生糸の生産量が多く、秩父同様に中山間地でありながら、信州、上州でなく、なぜ武州、なかんづく秩父でかくも大きな農民蜂起が起きたのかということだ。
これについて今後言及してゆきたい。
つづく |