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伊能忠敬と日蓮の足跡を
たどる千葉の旅
 

誕生寺7
(千葉県鴨川市小湊)

青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
Dec. 12, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁


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◆.誕生堂参道の石灯籠     出典:誕生寺公式Web


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 誕生寺の境内を見回すと、以外に石灯籠が少ないことに気づきます。その中で、誕生堂へと登る階段の両脇にある一対の石灯籠は、貴重な存在です。灯明を灯す火袋の形が六角柱をした六角型灯籠で、二段になった基壇を含めた総高は2m33cm程あります。

 火袋が笠・宝珠や竿などに比べて少し小さい感がありますが、全体としてはスマートです。高さ90cmの組石の基台に据えられていますから、階段の下からは見上げるようです。

 石灯籠は、お堂のお参りする人々の足元を照らすための照明器具のように思われますが、そうではありません。お堂の間に立てて、ご本尊に灯明を奉納するための仏具なのです。

 その源流は中国に溯り、朝鮮半島を経て日本に伝えられました。元々はお堂の正面に一基立てていましたが、戦国時代末期頃から一対として立てるようになりました。また、室町時代以降になると、祈願のために寺院や神社に石灯籠を奉納することも行われるようになります。

 誕生寺の石灯籠は、竿の正面に「奉献聖誕七百年記念」裏面に「大正十年二月十六日東京芝高輪渋谷喜代」と銘文が刻まれ、大正10年(1921)日蓮聖人聖誕七百年を記念して渋谷喜代氏が奉納したものであることが判ります。

 日蓮聖人が誕生されたのは貞応元年(1222)ですから、生年から数えて大正10年はちょうど七百年になり、各地で報恩の行事が盛んに行われました。珠算日本一で有名になった京都市の明徳商業高校の前身である明徳女学校の開設なども、その一つです。誕生寺においても、2月15日に記念法要、翌16日に日蓮宗宗務院によって記念の国祈祷会が行われました。

 ところで、2月16日が日蓮聖人誕生の聖日であることについて、聖人ご自身が記すところはありません。「日蓮は東海道十五ヶ国の内、第十二に相当る安房国長狭郡東条郷片海の海人が子也」(「本尊問答抄)」などとあるのみです。誕生の日が明記されるのは、正慶2年(1333)頃に成立した日蓮聖人の伝記本である日道上人著「御伝土代」です。

 本書は、現在に伝わる伝記本の中で最も古い一本ですが、「後のほりかわいん(堀川院)の御宇貞応元年2月16日たんしやう(誕生)なり」とあります。当然の事ながら2月16日は旧暦ですから、西暦(ユリウス暦)に換算すると3月30日になります。日蓮聖人が誕生されたのは、暖かな風そよぐ春爛漫の房総だったのです。


「胞衣の松」について

 境内には松の木がたくさん植えられていて特に、幼少像の周辺の碑の中に「胞衣の松の碑」がありました。以下は、その「胞衣の松」ついて、とくに安全祈願についての既述です。

 パワースポットしても評判が高く、安産祈願として古くから信仰されている「胞衣(えな)の松の碑」もあり、妊婦さんにもおすすめのお寺です。安産祈願におすすめの「胞衣(えな)の松の碑」とは?

 安産祈願のパワースポットとして注目されている胞衣の松の碑には、安産の神である子安明神が祀られていた胞衣塚と傍らの松の木を詠った和歌が刻まれています。

 胞衣とは胎児を包む膜や胎盤を指し、誕生堂の傍らにかつて合った小さな塚には日蓮聖人の胞衣が埋められていたとのこと。胞衣塚には日蓮聖人の霊力が宿っていると考えられていたことから安産の神である子安明神が祀られ、古くから安産を願う女性たちの強い信仰を集めていたそうです。

 また、日蓮聖人の誕生には、父である貫名重忠が産気づいた妻・梅菊を案じて朝日に向かって一心に祈ったところ、昼頃には立派な男の子(日蓮聖人)が生まれてきた…という逸話もあり。日蓮聖人や子安明神のパワーにあやかりたいという妊婦さんには、ぜひ訪れて欲しいスポットです。


◆2021年2月16日が生誕800年として準備

 誕生寺では、2021年2月16日が生誕800年として準備を進めておりました。
 出典:誕生寺公式Web  http://www.tanjoh-ji.jp/800year.html


出典:誕生寺公式Web

一.
 この世の中を蘇生(よみがえ)らせよう。

 日本の国を、もう一度蘇生らせよう。

 そのためには、まず私たち一人一人が蘇生ろう。

二. すなわち、釈尊一代(しゃくそんいちだい)の聖経(しょうぎょう)の肝心、末法救済(まっぽうきゅうさい)の教法(きょうぼう)である法華経の教えを全てまとめて丸薬としたその魂「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を、一人一人の心に灯火(ともしび)として点(とも)そう。

三. それには、たとえ一人でも、二人でも「南無妙法蓮華経の魂」を世の人々に下種(げしゅ)するために自(みずか)ら蘇生(よみがえ)って立ち上がろう。


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