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ミュンヘン・オーストリア短訪

ウィーン旧市街・シュテファン大聖堂

鷹取敦

掲載月日:2017年10月5日
 独立系メディア E−wave
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内容目次
  1 歴史的背景
ミュンヘン 8/12 2 ミュンヘン(1) | 3 ミュンヘン(2)
8/13 4 ノイシュヴァンシュタイン城 | 5 フュッセン| 6 ヴィース教会
ザルツブルク 8/14 7 歴史・ミラベル宮殿 | 8 教会・モーツァルト | 9 レジデンツ・大聖堂
10 ホーエンザルツブルク城 | 11 サウンド・オブ・ミュージック
ザルツカンマーグート 8/15, 16 12 ザルツカンマーグート | 13 ハルシュタット(1) | 14 ハルシュタット(2)
ウィーン  8/16 15 リングシュトラーセ
8/17 16 旧市街・シュテファン大聖堂 | 17 ホーフブルク王宮・美術史博物館
18 シェーンブルン宮殿

 ウィーン2日目、事実上の最終日です。ホテルの前がフランツヨーゼフ駅で、ビルの側面から下の写真のように駅構内が見えます。


フランツヨーゼフ駅 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 駅から少し北に行ったところに派手なデザインで有名なシュピッテラウ焼却場(ごみ焼却施設)があるので、徒歩で行ってみました。

 地図で見た感じよりも遠かったので、よく見えるところまでは徒歩で辿り着けず、下はある程度近づいたところから撮った写真です。芸術家フンデルトヴァッサーによるデザインで1991年に完成したものです。フンデルトヴァッサーは「植物とともに生きる家を作ること」を哲学とし直線を使わないことでも知られています(参考1参考2)。

 環境問題の観点からは、フンデルトヴァッサーの「植物とともに生きる家を作ること」という哲学と、ごみを燃やす施設の間に違和感を感じますが、デザインとしてはユニークで、ガウディを彷彿とさせる部分もあります。大坂市にある舞洲工場が同じくフンデルトヴァッサーによるデザインですが、日本の風土とは合っているとは思えず、大いに違和感を感じます。(参考


シュピッテラウ焼却場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 フランツヨーゼフ駅のトラム乗り場からトラムに乗って旧市街地に向かいます。ウィーン中心部は自動車のレーン、トラムのレーン、自転車のレーン等が平行している部分が多いため、気軽にトラムに乗り降りして移動するのには便利ですが、馴れない歩行者にとっては分かりにくかったり歩きにくかったりする場所もあります。


フランツヨーゼフ駅のトラム乗り場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■ウィーン旧市街

 オペラ座のところでトラムを降り、旧市街の北上してシュテファン大聖堂のある旧市街の中心部に向かいます。下の写真の左端がオペラ座で中央の白い建物がホテル・ザッハーです。

 なお、ザルツブルクのところに書いたように、ザッハトルテが最初に売り出されたのは、ここウィーンのホテル・ザッハーで、ザッハトルテを作り出したのはウィーンのホテル・ザッハーの創業者エドゥアルト・ザッハーの父親フランツ・ザッハです。


オペラ座とホテル・ザッハー 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ケルントナー通りをオペラ座からシュテファン大聖堂に向かいます。まだ朝9時過ぎということもあり、人通りは比較的少なく、作業車が通ったりしています。道幅もそれほど広くありませんが、このケルントナー通りはウィーンきっての目抜き通り、ショッピングストリートです。


ケルントナー通り 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■シュテファン大聖堂

 シュテファン大聖堂前に到着しました。巨大な聖堂の前は広場になっており、少し離れることで塔の上まで全体を見上げることができます。


シュテファン大聖堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 シュテファン大聖堂は旧市街の中央に位置しているウィーン大司教区の司教座聖堂です。「シュテファン寺院」とも呼ばれます。

 ウィーン大学のところで述べましたが、ウィーン大学等を作った「建設公ルドルフ」ことオーストリア公ルドルフ4世(ハプスブルク家)の命によって建設されました。12世紀半ばからロマネスク様式の教会として建てられましたが、14〜16世紀に後期ゴシック様式に改築されました。

 上の写真右側に写っている南塔は教会の塔としては世界で3番目の高さがあり、65年がかりで1359年に完成しています。大聖堂の高さは約107m、南塔の高さは約136mです。

 多くの人は高い塔の上まで写るように、広場の外側まで下がって写真を撮っています。


シュテファン大聖堂を撮る人々 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 北塔は南塔と同じ高さで建築される予定でしたが、財政難のため途中までしか建設されませんでした。そのため上の写真には写っていません。グーグルマップで3次元表示した下の図(西から東方向を眺めた図)をみると南塔(右側の尖塔)と北塔(左側のドーム状の屋根)が対称の位置にあり、高さが違うのが分かります。


グーグルマップより

 北塔にはプンメリンという巨大な鐘が吊されており、エレベータで登ることが出来ます。鐘は第二次ウィーン包囲網でオスマン軍が撤退した際に残した大砲などを溶かして鋳造されました。第二次世界大戦で延焼により鐘が落下するダメージを受け、戦後寄付などで修復されています。


シュテファン大聖堂北塔の鐘 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 北塔のエレベータ(有料11ユーロ)に登ると下の写真のように北塔の中の鐘や、教会の屋根瓦や旧市街の周辺を見ることができます。

 下の写真に見るように屋根瓦は独特のモザイク模様です。


シュテファン大聖堂屋根と正面入口上の塔
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 外観はゴシック様式ですが、内部の祭壇はバロック様式です。


シュテファン大聖堂の内部(奥が祭壇) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


シュテファン大聖堂の祭壇 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は左の方の柱にある石造りの説教壇です。よく見ると付け根の部分から人が乗り出しているように見えますが、これは説教壇を作ったアントン・ピルグラム本人の像と言われています。


シュテファン大聖堂の説教壇 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 地下にはカタコンベがあります。ウィーンで約15万人の死者が出た1679年のペスト流行で亡くなった人々約2000体の遺骨と、ウィーンの司教、ハプスブルク家の心臓以外の内臓が保管されています。カタコンベは見学ツアーに参加すれば見学することができます。
(以上の参考


シュテファン大聖堂カタコンベの入口 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■聖ペーター教会

 シュテファン大聖堂から少し西に行ったところに、聖ペーター教会があります。

 4世紀の後半、ローマ時代にKaserne(兵舎や長屋のようなもの)をバシリカ風の教会に改築されたことから始まったという説がありますが、その後、カール大帝が8世紀終わりに建設させたという説や9世紀に建てられたという説もあるようです。

 現在の建物は18世紀に改築されたものです。ルプレヒト教会に次いでウィーンで2番目に古い教会とされています。(参考1参考2


聖ペーター教会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■ペスト記念柱

 聖ペーター教会の南側の広い通り(グラーベン通り)にペスト記念柱があります。ヨーロッパ各地に猛威を振るったペスト(黒死病)により、1679年にウィーンでも約15万人の死者を出したともいわれています。

 なお、これより以前1348〜1349年のヨーロッパの人口の多く(4分の1とも3分の1とも言われる)が失われたペストの最大規模の流行の際には、ユダヤ人の死亡率が低かったことなどから「ユダヤ人が井戸に毒をまいた」というデマが広まり、神聖ローマ帝国内でユダヤ人の虐殺が起きました。(参考

 神聖ローマ皇帝レオポルト1世が、1679年のペストの流行が終結したことを記念し、神のご加護に感謝し作った塔がペスト記念柱です。記念柱の上には神と子と聖霊を象徴する三位一体像があり、「三位一体記念柱」とも呼ばれています。

 皇帝レオポルト1世は、1658年に三十年戦争で衰退した国土を受け継ぎました。1679年にはペストの流行、1683〜1699年にはオスマン帝国による第二次ウィーン包囲を受けますが、反攻しオスマン帝国からハンガリー・トランシルヴァニアを奪い、ハプスブルク家の領土を東へと拡げた皇帝です。


ペスト記念柱 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 さらに南西に進むとホーフブルク王宮に到着します。

 この日は、フランツヨーゼフ駅の北にあるシュピッテラウ焼却場 を見た後、下の地図のオペラ座までトラムで移動し、徒歩で北上してシュテファン大聖堂、聖ペーター教会、ペスト記念柱、ホーフスブルク王宮、美術史博物館、楽友協会を経て、カールスプラッツ駅に行き、地下鉄でシェーンブルン宮殿に向かいました。赤い線が徒歩で移動したルートです。


グーグルマップより作成

つづく