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ミュンヘン・オーストリア短訪

レジデンツ・ザルツブルク大聖堂

鷹取敦

掲載月日:2017年10月5日
 独立系メディア E−wave
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内容目次
  1 歴史的背景
ミュンヘン 8/12 2 ミュンヘン(1) | 3 ミュンヘン(2)
8/13 4 ノイシュヴァンシュタイン城 | 5 フュッセン| 6 ヴィース教会
ザルツブルク 8/14 7 歴史・ミラベル宮殿 | 8 教会・モーツァルト | 9 レジデンツ・大聖堂
10 ホーエンザルツブルク城 | 11 サウンド・オブ・ミュージック
ザルツカンマーグート 8/15, 16 12 ザルツカンマーグート | 13 ハルシュタット(1) | 14 ハルシュタット(2)
ウィーン  8/16 15 リングシュトラーセ
8/17 16 旧市街・シュテファン大聖堂 | 17 ホーフブルク王宮・美術史博物館
18 シェーンブルン宮殿

■聖フロリアン(フロリアヌス)

 通りから南北方向の広場に入ると聖フロリアン(フロリアヌス)の噴水がありました。左手に傘のようなものを持ち、右手のバケツから水が流れているように見えます。


聖フロリアンの噴水 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 聖フロリアンは3世紀に実在したカトリックの聖人で、消防士等の守護神とされています。現在のオーストリアのザンクト・ペーレン市のあたりで生まれました。ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒「大迫害」の時代の(現在の)バイエルン東部のローマ帝国軍司令官で、消防隊を組織する責任も負っていました。キリスト教徒の迫害を命じる命令を拒否したため殴打され、石につながれて川に沈められ殉教しました。(参考1参考2

 ちなみに「聖人」とは生存中にキリスト教の模範に忠実に従い、実行した人のことで、神と人々のため、信仰を守るために命を捧げる殉教もその証明となります。そのため、聖人の多くが殉教者です。教皇が聖人の列に加える(列聖)と宣言することで聖人とされます。(参考

 噴水のある広場を南に向かい、レジデンツ広場に入る手前の一角、レジデンツの建物の壁際に黄金の温度計・気圧計が建っています。温度計は24℃を示していました。


黄金の温度計・気圧計 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■レジデンツと大聖堂

・レジデンツ

 広場を南下するとレジデンツ(大司教の宮殿)のある広場に出ます。ザルツブルクは長い間、大司教領でしたから、レジデンツとは領主の宮殿ということになります。

 1124年大司教コンラート1世・フォン・アーベンスベルクによって最初の「レジデンツ」が建てられました(1232年の文献)。ザルツブルクの小ローマ化を目指し、独裁政治を進めたヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウ大司教はこれを解体し、1596年、現在のレジデンツの建設を始めました。マルクス・ジッティクス・ホーエネムス大司教の治世を経て、パリス・ロドロン大司教の時代の16169年に完成しました。(参考

 広場の西側に面している(旧)レジデンツと東側に面している新レジデンツのいずれも、ヴォルフ・ディートリヒ大司教の時に建設がはじめられています。レジデンツと大聖堂はアーチ状道によって繋がっています。

・大聖堂

 アルプスの北に建てられた最初のイタリア風大聖堂です。774年に大司教ヴィルギルによって創建され、12世紀にはコンラッド3世によってドイツ語圏最大のロマネスク様式の聖堂として改築されました。

 1598年の火災で身廊(聖堂の入口から奥に向かって伸びている中央に設けられた幅が広く天井の高い空間)の天井が火災で焼失した際、ヴォルフ・ディートリヒ大司教は大聖堂を壊し周辺の民家等を立ち退かせ、広い広場やレジデンツを作りました。その後、マルクス・ジッティクス・ホーエネムス大司教により現在の大聖堂の建立がはじめられ、1655年に完成します。

 モーツァルトはこの大聖堂で洗礼を受け、後に大聖堂のオルガン奏者を務めました。ちなみに、「洗礼」という言葉は日本では集団の新しいメンバーが受ける避けて通れない試練を指すことが多いと思いますが、本来「洗礼」とはキリスト教となるために行われる水を用いた儀式です。洗礼そのものはキリスト教以前から存在し、ユダヤ教への改宗者に対しても行われていました。新約聖書においてイエスは、洗礼者ヨハネにより洗礼されています。

(参考:ザルツブルク、Colorama社、1999年初版発行、2014年第13版発行)

 レジデンツ広場に出ると南側に大聖堂(下の写真の正面)が見えます。写真の右手がレジデンツです。


ザルツブルク大聖堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 レジデンツ広場の東側には新レジデンツ(下の写真の右側の建物:2006年よりザルツブルク州立博物館)、北東には小さな教会(写真左よりの塔のある建物)があります。広場の中央には大きなレジデンツ噴水があります(写真中央)。下の写真では小さくて確認できませんが新レジデンツと教会の間の奥に小さな広場(モーツァルト広場)にはモーツァルト像があります。


レジデンツ広場と新レジデンツ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


レジデンツ噴水 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真はレジデンツと大聖堂をつなぐアーチ道です。右側がレジデンツ、左側が大聖堂です。アーチ道をくぐって南に進むとドーム広場に出ます。


レジデンツと大聖堂をつなぐアーチ道 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 大聖堂の正面のドーム広場にはコンサートのための客席が設置されていました。下の写真の奥の尖塔と屋根はフランツィスカーナー教会、右側はレジデンツの壁面です。


ドーム広場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ドーム広場に面して大聖堂の正面入口があります。大聖堂の内部を見学したのは、ホーエンザルツブルク城を訪れた後ですが、内部の様子を先に紹介します。下の写真の右手前の像は774年に最初の大聖堂を創建した聖ヴィルギルの像です。


大聖堂の正面入口 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 入口では任意で寄付を募っています。献金したところ、どこから来たか確認され、日本語の礼状を渡されました。下の写真のように大聖堂の歴史が書いてあります。


大聖堂の献金の礼状 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 大聖堂入り口付近からみた正面の祭壇です。祭壇の左右にに小さくパイプオルガンのパイプが写っています。モーツァルトはここで度々演奏しました。


大聖堂の内部(身廊) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 丸天井のフレスコ画は、アルセニオ・マスカーニとイグナチオ・ソラーリによるものです。


大聖堂の丸天井のフレスコ画 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


大聖堂の天井画 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


大聖堂の正面祭壇 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下はモーツァルトが洗礼を受けた錫製の洗礼盤です。700年の歴史があります。


大聖堂の錫製洗礼盤 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 第二次世界大戦により破壊された当時の大聖堂の写真です。ここにも献金のお礼と大聖堂の歴史が各国語で表示されていました。1944年の10月16日にアメリカ軍の爆撃を受けています。1959年に修復されました。(参考


大聖堂の錫製洗礼盤 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■ザンクト・ペーター教会(修道院)

 ドーム広場から南側に出ると巨大な金色の球体(ワイシャツ姿の男性像?)のオブジェがあり、手前には教会の建物(下の写真の球体の右横)とパン屋(教会の右横)が、山頂にはホーエンザルツブルク城が見えます。


黄金の球体のオブジェ、ホーエンザルツブルク城、教会、パン屋
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 金色の球体はザルツブルク名物の「モーツァルト・クーゲル(複数形はクーゲルン)」という名前のチョコレート(参考)を模したもののようです。

 ザンクト・ペーター教会はザルツブルクが大司教領となる前の696年にフランク人聖ルーペントによって設立された修道院の跡地に建てられています。大司教領として長い歴史をもつザルツブルクの発祥の地といえる場所に建っています。内部は18世紀にロココ様式に改修され、華麗な装飾が施されています。モーツァルトはこの教会でもたびたび演奏をしました。(参考

 パン屋(上の写真の右手の建物)の建物の脇に入ると、水車が回っています。粉を挽くための水車のようです。下の写真の庇の下の暗くなっている部分が水車です。


ザルツブルク最古のパン屋の水車 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 地上から階段で下がったところにパン屋の入口があります。パン屋はザンクト・ペーター教会の敷地内にあります。パンは夕方には売り切れてしまう人気だそうです(参考)。(◆パン屋(シュティフツベッカライ)の公式サイト


ザルツブルク最古のパン屋の入口 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 この後、ケーブルカーでホーエンザルツブルク城に登ります。

つづく