ミュンヘン・オーストリア短訪 サウンド・オブ・ミュージック 鷹取敦 掲載月日:2017年10月5日
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ザルツブルクの旧市街を通り抜けて、ザルツァッハ川に出て、川に面したカフェで水分を撮って一休みしました。 ザルツブルク旧市街 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真はザルツァッハ川対岸の新市街側の街並みです。丘の上の林の中に見える建物は修道院です。 ザルツァッハ川対岸(新市街側)の街並み 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ここから映画「サウンド・オブ・ミュージック」の撮影地のうちモーツァルト小橋、修道院等を巡りました。 ■サウンド・オブ・ミュージック1957年にブロードウェイで初演したミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」を原作として制作されたミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」は1965年に世界的に大ヒットしました。ミュージカルは劇団四季によって日本でも何度も上演されています。舞台はザルツブルクで、時代はヒトラー率いるドイツによるオーストリア併合や第二次世界大戦前夜です。修道女見習いのマリアが、オーストリア=ハンガリー帝国の海軍の退役軍人のトラップ大佐の7人の子供達の家庭教師となります。ドイツによるオーストリア併合に伴うドイツ軍の進駐、ナチ党を支持する人々と、ナチ党に反対しスイスへの亡命を決めるトラップ一家が描かれた物語です。 実在の人物の自伝を基にしてミュージカルが作られ、ミュージカルを基にして映画が作られました。現地のオーストリア人に聞いたところ、サウンド・オブ・ミュージックは「半分本当で半分ハリウッドだよ」という評価です。ドイツやオーストリアでは映画「サウンド・オブ・ミュージック」はは当時の現実と全く異なることから不評で、同じトラップ一家をモデルとした映画「菩提樹」、「続・菩提樹」が成功した映画ということです。 「歴史的背景」に書いたように、元々オーストリア共和国(オーストリア帝国のうちドイツ人(ドイツ語話者)地域によって作られた国)はドイツとの合邦(1つの国になること)を望んでいた背景があり、またアドルフ・ヒトラーはオーストリア出身だったこともあり、オーストリアが併合された時期にはこれを歓迎した国民が多かったようです。 映画ではナチの側に立った登場人物を単純な悪役としていますが、そのような単純化された構図は当時のオーストリアの現実とは異なるようです。 (以上の参考) ■モーツァルト小橋映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、主人公のマリアと子供達が歌いながら渡ったシーンがあります。ザルツァッハ川に沿って西にモーツァルト小橋が見えてきました。歩行者専用の小さな橋で、横から見ると特徴的な装飾があるわけでもなく「ふつうの」橋です。 モーツァルト小橋 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 旧市街側から新市街に向かって渡ってみます。この角度からみるとちょっとしゃれたデザインです。 モーツァルト小橋 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下は新市街側から旧市街側を見た光景です。左奥にホーエンザルツブルク城が、右側に新レジデンツの塔と大聖堂のドームと塔が見えます。映画では、この角度で奥から手前に向かって主人公マリアと子供達が渡ってくるシーンがあります。 モーツァルト小橋 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 モーツァルト小橋を旧市街側に戻ると右手にモーツァルト広場があり、モーツァルトの像が建っています。下の写真の右端にモーツァルト像、左に教会があります。教会の左手がさきほど通ったレジデンツ広場(レジデンツ、大聖堂、新レジデンツが面している広場)です。 モーツァルト広場のモーツァルト像小橋 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 このモーツァルト像はモーツァルト像や肖像画の中で本人に最も似ていないと言われているようです。 モーツァルト小橋 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■ノンベルク修道院714年に創設されたドイツ語圏で最も古い女子修道院です。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の主人公マリアがいた修道院であり、実在のマリアとトラップの夫妻は1927年この修道院で結婚式をあげました(参考1、参考2)。(映画「サウンド・オブ・ミュージック」で主人公マリアとトラップ大佐の結婚式のシーンに出てくるのは、翌日訪れたモントゼーにある教区教会です。)・修道院とは 3世紀、エジプトにおいて苦行と禁欲による霊魂の救いを求め砂漠で孤独な生活を送る習慣が生まれ隠遁者と呼ばれ、これが修道士の起源となりました。313年にミラノ勅令によりローマ帝国によるキリスト教徒に対する迫害が終焉し、殉教するものがいなくなった後、苦行する修道士が尊敬されるようになり「血を流さない殉教」と呼ばれました。 共同体を作り生活を共にしながら修行する修道院も4世紀のエジプトではじまりました。5世紀にはアイルランドに修道院文化が根付きます。修道院での生活は自給自足が原則であったため、農作物の栽培、家畜の飼育、その他の技術も発展し、技術センターの役割も果たしました。その後、スコットランド、イングランドからフランス、スペインに広がります。 6世紀のヨーロッパではゲルマン人の大移動が展開され、古代ローマの秩序、文化が崩壊していき、キリスト教信仰にも同様、堕落がはじまります。それに対して教会改革に乗り出したのが6世紀末の教皇グレゴリウス1世です。グレゴリウス1世はベネディクト派の修道院活動を支持し、同派の修道士が各地に広がり、特にゲルマン人(アリウス派キリスト教徒)に布教します。これによりローマ=カトリック教会が西ヨーロッパに定着していきます。この運動がフランク王国(後のフランスと神聖ローマ帝国の前身)というローマ教会の保護者と結びつき、教皇権が確立していくことになります。 教会の東西分裂(参考)は11世紀なので、ノンベルク修道院はそれ以前の成立ということになります。教会の堕落に対する改革運動としてはじまった修道院も、11世紀以降、堕落していき、改革運動もおきました。 (以上の参考1、参考2) 映画「サウンド・オブ・ミュージック」で主人公マリアは、修道院で禁欲的な生活を営む修道女見習いらしからぬお転婆な女性として描かれています。実在のマリアは、音楽に関心を持ちカトリック教会のミサに参加したことをきっかけとしてキリスト教に惹かれ、ノンベルク修道院に志願者として入りましたが、修道院の生活になじめずに体調を崩し、院長の勧めで、家庭教師を探していたトラップ家に住み込みで働くことになりました。(参考) モーツァルト広場から戻り南に向かい、ホーエンザルツブルク城を右手に見るように左折しました。ノンベルク修道院に向かっています。 ザルツブルク旧市街 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ノンベルク修道院はホーエンザルツブルク城のある山の裾野の西側の、城よりも低い場所、旧市街より高くなっている場所にあります。そのため、建物と建物の間の細く長い階段を上ります。 ザルツブルク旧市街 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ノンベルク修道院は山の斜面ぎりぎりまで敷地があるため、修道院の近くまで来てしまうと全体像が分かりません。下は修道院の入口(の1つ?)です。 ノンベルク修道院 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 入口から少し中を拝見しました。修道院の内部は公開されていませんが、教会は見学できるそうです。現地ではここから敷地内に入っていいかどうか判断できなかったので、ここまでで敷地に入らずに戻りました。実際には撮影禁止の教会内部も含めてもう少し見学できたようです(参考)。 ノンベルク修道院 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ノンベルク修道院の前の道に「ザルツブルク湖」の説明がありました。約12,000前に氷河が溶け始め、「湖」が形作られた頃からの説明がドイツ語と英語で書かれています。下の写真の赤枠内が現在のザルツブルクで、ほとんど湖底にあったことが分かります。 ホーエンザルツブルク城のある山とザルツァッハ川をはさんだ対岸にある山(ホーエンザルツブルク城の山より大きい)が、湖の中の島だった様子が下の図から読み取れます。 「ザルツブルク湖」の説明 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ノンベルク修道院からもホーエンザルツブルク城に登るケーブルカーのレールが見えました。このあたりも映画「サウンド・オブ・ミュージック」に登場しているようです。 ノンベルク修道院からホーエンザルツブルク城へのレール 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下のグーグルマップ(北から南を眺めています)の中央上がホーエンザルツブルク城、その左下にノンベルク修道院、中央下に大聖堂、レジデンツ(広場右)、新レジデンツ(広場左)、川の左の方にモーツァルト小橋があります。 グーグルマップで見る三位一体教会、モーツァルトの住居、ホテルザッハー ■ザルツァハ川の川沿いノンベルク修道院の後、ザルツブルク音楽祭で賑わう広場、旧市街を抜けて、ザルツァハ川の川沿いに北上にホテルの方向に向かいました。ザルツブルク音楽祭(公式サイト、ザルツブルク市公式日本語サイト)は毎年夏に開かれるモーツァルトを記念した世界的に知られる音楽祭です。音楽(コンサート、オペラ)だけでなく演劇部門も大きなウェイトを占めています(参考)。旅行者は事前にチケットを予約していく必要がありそうです。 旧市街や新市街中心部は、ザルツブルク音楽祭の観客でレストラン等に入れそうもなかったため、離れた場所のレストランを目指したのです。 川の旧市街側は急峻な崖です。下の写真の中央の建物は崖と一体となっており、道路の片側車線は建物の中をつらぬいたトンネルを通っています。 ザルツァッハ川沿いの建物 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 川沿いのベーレンヴィストというレストランで食事をしました。1663年開業の老舗レストランで下の写真のクマ看板が目印です。「オーストリアで一番のフライドチキン」を名乗っているそうです。 レストラン・ベーレンヴィストの看板 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ザルツァハ川の河畔から遠景に旧市街、ホーエンザルツブルク城が見えます。19:22ですが、夏時間なのでまだまだ明るいです。ここからさらに40分ほど歩いてホテルに戻りました。 レストラン・ベーレンヴィストの看板 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 以下は11時頃にザルツブルク中央駅に到着していから、20時頃にホテルに戻るまでの移動経路です。 グーグルマップより作成 翌日は早朝にホテルを出て、ザルツカンマーグート地方に向かいます。 つづく |