中山道、信州 宿場探訪 諏諏神社とは 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 8 October, 2015 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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◆諏訪神社とは 山猫亭で昼食を頂いた後、四つあります諏訪大社の宮を次々に参拝しました。 諏訪大社には下に示すように上社、下社それぞれに二宮つづ、合計4つの神宮があります。最初に到着した下諏訪には秋宮、春宮がありますが、下諏訪宿のすぐ隣にある秋宮を最初に参拝、視察しました。 上社 (かみしゃ) 本宮 (ほんみや)(長野県諏訪市中洲宮山) 2番目訪問 前宮 (まえみや)(長野県茅野市宮川) 3番目訪問 下社 (しもしゃ) 秋宮 (あきみや)(長野県諏訪郡下諏訪町武居) 1番目訪問 春宮 (はるみや)(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原) 4番目訪問 なお、上社が川の上流、下社が下流に位置しています。 上社と下社は車で25分ほどの距離にあります。下のグーグルマップは、下社の秋宮から上社の本宮へのルートを示しています。距離は約11km、時間は渋滞がなければ20〜25分です。 出典:グーグルマップ
諏訪大社と言えば、上社、下社を問わず全国的に有名なのは、御柱祭です。 まずは諏訪大社の御柱祭について紹介します。 ◆御柱祭 建御柱 御柱(おんばしら、みはしら)または御柱祭(-さい、-まつり)は、長野県諏訪地方で行われる祭であり、諏訪大社における最大の行事です。 正式には「式年造営御柱大祭」といい、七年に一度、寅と申の年に行なわれる式年祭です。御柱祭は長野県指定無形民俗文化財そして日本三大奇祭のひとつとされています。 大社での開催年を中心に、全国の諏訪神社や関連神社(通称:小宮)でも同様の祭(小宮祭)が実施されています。 歴史 起源は、平安時代以前とされています。 諏訪大社は五穀豊穣、狩猟・風・水・農耕の神として古くから信仰されておりそれらを祈願するものであったと推測されます。江戸時代以降は、宝殿の造営と御柱の曳き建てが行われています。 神話伝説 『古事記』に記述があるもので出雲のオオクニヌシが高天原から降ったニニギに国譲りを承諾したとき、ただ一柱反対したタケミナカタは武神タケミカヅチに追われることとなったとあります。結局諏訪湖畔まで逃げてきて降伏し、その際この地から出ないことを誓って許されることになります。 その時、結界として神社の四隅を仕切った、という話が残っています。地鎮祭の神話的表現とも考えられています。 諏訪大社下社の木落とし 出典:Wikipedia 実際には記紀神話以前からの諏訪地方の信仰との関係が深いといわれていおり、神長官守矢氏の伝えるところによると、この御柱はミシャグジの依り代であるとされています。 担当地区 御柱の担当地区に関しては古来の記録によると鎌倉時代などでは信濃国全体からの奉仕があったようですが、江戸時代には諏訪藩の支配のもとに領民だけで曳行が行われる現在に近い形が出来上がっていたと推定されています。 明治12年に諏訪郡が発足すると当時の村別に上社、下社の担当地区割の枠組みが定められた。その後御柱担当の抽籤制度の導入を経て、明治35年の御柱祭協議に於いて上社、下社担当地区の再編が行われ現在に至っている。この協議の際に下社の御柱抽籤は廃止されている。 第二次大戦後の昭和の大合併により同じ枠組みでも違う市町村となった地区もあるが地区割はそのまま維持されている。 上社の木落とし 出典:Wikipedia 上社の川越し 出典:Wikipedia 今回、下諏訪に来た目的は中山道の宿場町調査ですが、下諏訪宿だけでなく、諏訪大社もすべて訪問することになりました。 つづく |