2014 初夏の浅間高原 (3)鬼押出し園−1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 斎藤真実 Mami Saito July 27, 2014 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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(1)下久保ダム・神流湖 (2)JAL墜落現場再アタック (3)鬼押出し園-1 (4)鬼押出し園-2 (5)八ッ場ダム工事7-1 (6)八ッ場ダム工事-2 (7)八ッ場ダム工事、温泉移設 (8)野反湖とキスゲ (9)碓氷峠とおぎのや 2014年7月16日〜24日まで、避暑をかね初夏の浅間高原その周辺に出かけた。今回は、斎藤真実さんも参加された。斎藤さんが群馬、長野両県にはほとんど行ったことがないと伺っていたので、浅間高原が実体験できる場所として最初に鬼押しハイウェーの中間地点にある「鬼押出し」を視察した。 7月17日、斎藤さんをJR軽井沢駅でピックアップした後、軽井沢→中軽井沢→鬼押しハイウェー→北軽井沢という経路で別荘に向かった。鬼押しハイウェーは、広大な浅間高原を縦走する有料道路である。
その中に有名な「鬼押出し」園がある。 下のグーグルマップは浅間山と鬼押出し園の位置関係を示している。地図から鬼押出し園が浅間山の北北東に位置していることが分かる。浅間の東北東に浅間牧場がある。 浅間山と鬼押出し園の位置関係 出典:グーグルマップ グーグルアースで計測すると、両者の距離は約4.5kmであることが分かった。原発の防災計画で言えばPAZの範囲である。 浅間山と鬼押出し園の位置関係 出典:グーグルアース 以下は浅間高原全体の地形図である。 右下にスケール(2km)があるので、おおよその距離感がつかめる。標高は浅間高原は東西、南北それぞれ15km程度、一番広いところでは20km以上もある。標高は1000m〜1200mある。これだけ広い高原は日本にはそうない。 一方、浅間山は大噴火後標高が下がったものの現在2568m、外輪山の黒斑岳が2404m、左上にある四阿山が2354mである。地形図で最下段にある軽井沢駅周辺は約900mある。 出典:グーグルマップ地形図より作成 以下に浅間高原の南北断面図を示す。位置は浅間山の頂上の位置での南北断面である。 二つ目の図は高さ方向を2倍にディフォルメしている。左側のピークが浅間山の頂上である。 出典:鷹取敦、環境総合研究所(東京都目黒区)作成 出典:鷹取敦、環境総合研究所(東京都目黒区)作成 鬼押出し園の少し手前に観光バスなどの休憩所があり、ここから浅間山がよく見える。下の写真は休憩所から見た浅間山である。何と私達の側に向かって噴煙が落ちてくるではないか。 浅間山は世界でも有数の活火山として知られ、今でも小規模な爆発を繰り返している。そのたびに噴煙が立ち上るのだが、風向、風速、気温、湿度などの気象それに地形によってダウンドラフト現象が起きる。 ダウンドラフト現象は噴煙が天高くたなびくこと無く、地表面に向かって煙が落ちてくることを指す。 浅間山の噴煙がダウンドラフト現象で落ちている 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-7-16 下の写真は2004年10月14日の浅間山噴火のとき、軽井沢町の隣の御代田町在住の写真家重田学さんが撮影したものである。 2004年10月14日噴火のとき撮影した写真 撮影:重田学氏 鬼押出し園は、江戸時代の天明3年に浅間山が大爆発し、火砕流が浅間高原一帯に流れ出たのだが、その火砕流が冷えて固まった跡を観光地としたものである。鬼押出しは、火山爆発を鬼にたとえ、鬼が溶岩を押し出すということからついた名称である。
以下は、天明3年に起きた浅間山大噴火と鬼押出しなどがある群馬県鎌原村一帯を描いた絵である。
下の写真は、天明3年の浅間山大噴火の文物を展示している嬬恋村郷土資料館である。ここに関連する大部分の資料、絵画、写真などが展示されている。 嬬恋村郷土資料館 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.5 <参考> ◆青山貞一:真夏の群馬北西部短訪@ 浅間山大噴火と鎌原観音 2013年8月 つづく |