真田の里、上州沼田 沼田公園 旧生方家住宅−2 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda September 25 2015 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
◆生方家住宅の間取り 旧生方家住宅 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-20 旧生方家住宅の年代は、17世紀末頃に建てられたとされ、その後、元治、明治、大正、昭和と改修され使用されてきました。 旧生方家の建物は間口六間、奥行き十間、の切妻造りの板葺石置で、平面の主屋南面に「上みせ」「下みせ」「通り庭」を配し、東側「上みせ」奥に四室並べ、家の中央に二十畳の広い板の間が設けられています。かつて沼田市内の上之町にあったものを沼田公園内に移築保存しています。 下は旧生方家住宅の間取りです。西側の大戸から裏へ抜ける通り庭をもつ町屋の典型的な間取りだそうです。 旧生方家住宅の間取り 出典:旧生方家住宅パンフレット 旧生方家住宅 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 以下は移築前の写真です。 移築前の生方家住宅 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 下は移築のために一旦解体した際の生方家住宅の屋根組です。 解体工事の生方家住宅の屋根組 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-20 以下は店の看板? 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-20 以下はパンフレットからです。 生方家は、沼田藩の薬種御用達を務めた商家でした。始祖は、沼田近在の屋形原出身で、永禄・天正の頃は生方兵部之介と名乗る武士であったといわれていますが、沼田に定住し薬種商を営むようになった時期は明らかではありません。 屋号は「ふぢや」ですが、上之町の角地にあったので「かどふぢ]と呼ばれるようになりました。 旧生方家住宅は、妻人・板葺の町家で、その様式・技法から見て十七世紀末頃に建築されたものと考えられますが、元治元年(1864年)の大修理をはじめとして幾回かの改築・増築を経て現代にいたりました。 東日本では最も古い町家造りの建築物であることから昭和45年6月17日付けで国の重要文化財に指定されましたが、沼田市の繁華街の中心(上之町199番地)に在ったため保存に困難をきたし、生有家もこの住宅をこのままの状態で維持管理することが至難であるとの理由から沼田市が譲り受け保存することになり、文化庁の指導のもとに沼田公園内に移築する計画が進められ、昭和47年2月1日に移築工事に着手しました。 解体の際の調査により、建物の旧規が判明しましたので、できる限り改築前すなわち初期の建築形態の復元につとめ、昭和48年6月30日本屋の移築工事が完成しました。その後各種の附帯工事が終了し、昭和49年4月1日をもって一般公開を開始しました。 つづく |