「731部隊」 今までの記録(9) ・旧陸軍軍医学校跡地で発見された人骨との関連 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2017年9月30日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
◆旧陸軍軍医学校跡地で発見された人骨との関連 1989年に7月東京都新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地に建設予定の国立感染症研究所建設現場で、四肢が様々な位置で切断された形跡が残った大量の人骨が発見された[81]。人骨の身元は不明だが、731部隊の犠牲者の可能性があるとして市民団体は政府調査を要求した[81]。 1992年4月、札幌学院大学教授の佐倉朔の鑑定結果は次のようなものであった[82]。 人骨は100体分以上のものである。 人骨は一例を除き人種的にはモンゴロイド(アジア系の人種)だが、単一の人種からなるものではない。 10数個の頭蓋骨には人為的な加工の跡がある。 いくつかの頭蓋骨その他には、拳銃で打ち抜かれた孔や刀で切られた跡が残っている。 骨が現地に埋められたのは1890年〜1940年頃までの間である。 人骨は四股の骨の多くは何ヶ所かで切断された形跡がある。 以上の理由から「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会(人骨の会)」代表常石敬一は、凍傷や壊死など、四肢の切断を必要とする手術の練習台に、これらの人骨が使用されたのではないかと指摘している[83]。 また、新宿区が遺骨焼却予算を計上したため、焼却差止住民訴訟が起こされたが、2000年に敗訴確定(人骨焼却差止住民訴訟事件)[84]。 2001年の厚労省調査報告では、陸軍軍医学校関係者368人への聞き取り調査によって、標本類また医学教育用に集められたもので、戦死者等から作成された可能性はあるが、731部隊によるものを否定する回答もあり、確定できなかった[85]。 2011年、厚労省が初の発掘調査を行った[81]。 2016年、人骨の会代表常石敬一らはミトコンドリアDNAの鑑定などを厚労省に要望した[86]。 人体実験を裏付ける資料とその真偽 アメリカ 近年になって機密指定解除された日本の戦争犯罪に関するアメリカ政府や軍の公文書からは、731部隊により非人道的な実験が行われた記録はいまだ発見されていない[87]。 その理由として、米陸軍戦史センターの元主任研究員エドワード・ドリューは、「終戦直前の1945年8月12日からアメリカ軍の一部が日本に上陸する8月28日までの間に、人体実験に関わる主要な記録の多くが日本当局により隠滅されたため」であると指摘している[87]。 また、コロンビア大学教授のキャロル・グラック(日本近代史専攻)は、アメリカの、日本軍の満州での初期の軍事行動に対する関心が終戦時と比べて低かったこと、そして連合軍がヨーロッパにおけるホロコーストの資料作成を優先したのに比べ、戦略諜報局(CIAの前身)が日本軍の満州での初期の軍事行動に対して徹底的な調査を行わなかったからであると指摘している[87]。 ただし、アメリカ、ユタ州のダグウェイ細菌戦実験場では、731部隊による人体実験の数百ページに及ぶ詳細なデータ「ダグウェイ文書」が発見されている。この「ダグウェイ文書」には、炭疽菌について400ページ余にわたり、30例の解剖所見の人体模型図入りの記録、さらに心臓、肺、扁桃、気管支、肝臓、胃というように18の臓器ごとの顕微鏡写真入りの記録が記載されている[88]。 石井四郎手記 また、ニューヨーク在住のノンフィクション作家である青木冨貴子によって石井四郎が終戦後に書いた手記が発見されており、それには戦後の石井の行動の克明な記録に加えて、戦時中の行動に関しても相当量が記載されていたが、その中には非人道的な活動を明示する内容は無かった[89]。 関連が指摘される史料 ほかに確認されている文献史料としては、「特移扱」と呼ばれるスパイ容疑者などの身柄取り扱いについての特例措置に関するものがあり、これが731部隊に移送されて人体実験対象にされたことを示す隠語ではないかと推定されている[90]。 1938年1月26日に関東軍の各憲兵隊に発出された命令文書「特移扱ニ関スル件通牒」(関憲警第58号)では、スパイ容疑者や思想犯、匪賊、アヘン中毒者などを通常の裁判手続きに乗せない「特移扱」とすることができるとの指示がなされている。実際に、ソ連のスパイ(ソ連の諜報員の略で「ソ諜」「蘇諜」等と表記)を「特移扱」とした指令書や報告書等も残存している[91]。 また、秦郁彦によれば、現存する731部隊の医学的成果を分析したところによると、「猿」を使った流行性出血熱(孫呉熱)の病原ウイルス特定と、凍傷治療法[92]の2件は、人体実験を利用して得られたものではないかと推定されるという[93]。 原正義は、1928年の済南事件での日本人犠牲者の遺体を済南病院で検視している写真(『山東省動乱記念写真帖』〈昭和3年、青島新報 1928〉に掲載)が、731部隊が中国人に細菌人体実験をしている写真として『日本侵華図片史料集』や吉林省博物館、粟屋憲太郎の論文などで誤用・転用されていることを指摘している[94][95]。 以下はそれら済南事件関連の写真の数々であるが、一部中国系メディアにおいて現在でも731部隊の写真として掲載しているものがある。。 Autopsy on a Japanese victim killed by the Chinese, at Jinan Hospital in May 1928. 出典:Wikimedia Commons Autopsy of a Japanese victim of the Tsinan Massacre 出典:Wikimedia Commons Autopsy of a Japanese victim of the Tsinan Massacre 出典:Wikimedia Commons Autopsy of a Japanese victim of the Tsinan Massacre 出典:Wikimedia Commons Autopsy of a Japanese victim of the Tsinan Massacre 出典:Wikimedia Commons つづく 脚注 74. ^ 青木、2008年、370頁 75. ^ 常石(1995年)、155頁 76. ^ 常石(1995年)、156頁 77. ^ 青木、2008年、370頁 ^ 78. 小俣和一郎「検証 人体実験 731部隊・ナチ医学」第三文明社、2003年、p.82。ISBN 4-476-03255-9 79. ^ (公判書類 1950: 480) 80. ^ a b 東京地方裁判所平成14年8月27日判決 81. ^ a b c 日本経済新聞2011/2/21付「旧陸軍軍医学校跡地、謎の人骨を発掘調査 厚労省」 82. ^ 常石(1995年)、107頁 83. ^ 常石(1995年)、113頁 84. ^ 人骨焼却差止請求事件判決 85. ^ 厚生労働省、記者会見用の報告と今後の方針「戸山研究庁舎建設時に発見された人骨の由来調査について」平成13年6月14日。軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会HP 86. ^ 人骨ニュース179号、2016年3月29日、軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会 87. ^ a b c Release of Archives Helps Fill Gap in Files on Wartime Atrocities - Research - The Chronicle of Higher Education Jan 19 2007 88. ^ 松村 高夫 『日本帝国主義下の植民地労働史』 不二出版、2008年、331頁。 89. ^ 青木冨貴子「731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く」新潮社(新潮文庫)、2005年。ISBN 4-10-373205-9。もっとも、青木は、隠語の一部が人体実験などを表しているのではないかと疑っている。 90. ^ 秦(1999)、550-551頁。 91. ^ 中国黒龍江省档案館・中国黒龍江省人民対外友好協会・日本ABC企画委員会編『七三一部隊 罪行鉄証 関東憲兵隊「特移扱」文書』「[1][2] 92. ^ 「凍傷ニ就テ(第15回満州医学会哈爾濱支部特別講演)」満州第731部隊陸軍技師 吉村寿人 国立公文書館アジア歴史資料センター所蔵 93. ^ 秦(1999)、552-553頁。 94.^ 『朝日ジャーナル』(昭和59年11月2日号 95. ^ 原正義「済南事件邦人被害者の写真(イラスト)を七三一部隊細菌戦人体実験として宣伝する中国教科書」『動向』1999年10月号、pp.40-45.動向社 HB1. ^ Е.Ю. Бондаренко. ≪Судьбы пленных: Токийский и Хабаровский международные процессы над японскими военными преступниками и их последствия≫. Россия и АТР. 1993, No.1.小林昭菜「「シベリア抑留」研究の現状と課題」異文化 論文編 (11), 267-285, 2010-04 法政大学国際文化学部 総目次へ |