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2018年・東日本大震災・津波
復旧実態調査(宮城県中部編2)

石巻市沿岸9長面浦2

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2019年5月20日 2020年3月11日第2次公開
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◆石巻市沿岸9長面浦 


出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会配付資料

 
 以下はもともとの長面浦の風景である。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2011.11.21


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2011.11.21


 以下は、長面浦の津波災害の実態を伝える、
2012年11月16日の朝日新聞の記事です。

「いま、被災地は」 石巻市長面浦
  2012年11月16日 朝日新聞

 囲炉裏でまきがぱちぱちと音を立てる。炎にあぶられ、朝とったばかりのハゼが身を躍らせた。

 「焦げたでねーか」。榊正吾さん(69)の心配をよそに妻の照子さん(68)が「大丈夫だ」。串に刺して背中、腹と焼き、1時間ほどできつね色になった。

 東日本大震災で被災した石巻市の長面(なが・つら)浦で、焼きハゼ作りが最盛期を迎えている。伝統的な仙台雑煮のだしに使われ、すっきりした味わいを作り出す。
 夫婦の自宅があった長面地区は津波で壊滅した。3軒の作り手のうち榊さんだけが再開し、今年は得意先に卸せるまでになった。

 囲炉裏からはもくもくと煙が上がる。この煙で約1週間いぶすのが長面独特の製法。「光沢が出て、生臭さが抜ける」。毎朝2人で仕掛けた網を上げ、とったハゼを焼くのが3代目の照子さんの仕事。小学生から家業を手伝ってきた。

 一度はあきらめかけたが「伝統の味をなくさないで」という声に押された。昨年、かつての自宅近くにある夫の実家を借り、知り合いに配る分だけ作った。

 「海を見るのも怖かった。けど、体には仕事がしみこんでいる」。今年は乾物屋や道の駅などからの注文も入り、昨年の4倍の約6千匹焼く予定だ。石巻市内の仮設住宅から30分近く軽トラックに乗って毎日通い1日100匹ほど焼く。

 津波で被災し、水面に沈んだ地域もある。だが「長面の焼きハゼ」として名は残り、郷土料理を支える。「海は宝。ここに戻ると元気がでる」。来月20日まで作業を続け、震災後2度目の正月に備える。(向井宏樹)


 以下は、海に沈んだまちと題する
2015年2月16日の産経新聞の記事です。

【被災地を歩く】
◆海に沈んだまち 宮城県石巻市大川地区


■昔の風景を思い一歩一歩前へ

 宮城県石巻市に流れる北上川沿いを、河口に向かって下る。河川敷には黄金色のヨシがなびき、人気のない平地には飛来した白鳥の集団が羽を休めていた。

 河口近くの大川地区。青々とした水田が広がる風景は、地域の誇りだった。山に囲まれた内湾の長面浦(ながつらうら)はひっそりとして神秘的な雰囲気が漂い、陸地の先端にある長面浜は風光明媚(めいび)な海水浴場としてにぎわった。

 そんなまちは今、海に沈んでいる。東日本大震災で堤防が決壊し、平均1・2メートル地盤沈下した土地に海水が流れ込んだ。県東部地方振興事務所によると、農地だけでいまだ約70ヘクタール(東京ドーム15個分)が水没。146軒あった長面の集落は流され、住宅地の面影はない。湖や湿地帯のようになってしまったその場所に、水鳥が群れをなして憩う。旧大川小学校近くに住んでいた武山安吉さん(59)は、「まだまだ手がついていないところばかりだ」と、変わり果てたまちを眺めてつぶやいた。

 県の計画では、壊れた海岸の堤防を締め切って海水の流入を防ぎ、約140万トンの水を抜く。その後、行方不明者を捜索し、81万立方メートルの土を盛って農地として復旧する。この壮大な事業の完成時期は未定という。

◆災害危険区域に

 長面浦の海側にかかる小さな橋を渡ると、入り江に沿って民家が連なる尾崎の集落に着く。震災後は居住できない「災害危険区域」に指定されたが、今は人々の姿がある。長面浦で漁をする漁師らが毎日、車で約20分の仮設住宅から元の自宅へ通っているのだ。

 「ここに来て初めて自分の生活が始まるんだ」。漁師の坂下健さん(74)は震災前、漁をしながら夫婦で民宿「のんびり村」を経営していた。長面浦のカキや貝類、畑で収穫された農産物などを振る舞い、漁の体験教室も開いた。

 「漁業や農業をやっている人間が民宿なんてやれるもんかって、初めは反対したんだ。だけどお母さん(妻)に、みんなに喜ばれるはずだって言われてね」

 民宿は長面浦の美しさと新鮮な料理、夫婦の温かいもてなしで、人気に。「お母さんが『のんびり村』って名付けたけど、毎日本当に忙しかった。でも全国から人が来て、幸せもんだなあって思ったよ」。震災後、坂下さんは被災した自宅1階を修繕したが、後に市から災害危険区域指定を受けたため、民宿の営業はできなくなった。

◆それでも通う

 坂下さんによると、高齢化で漁師を辞める人も出ており、尾崎で今も漁を続けるのは5人。それでも坂下さんはこの場所に通う。「日本の漁村を守り、水産物を提供する義務がある。簡単に辞めるわけにはいかないんだ」

 尾崎で「小川水産」を営む小川滋夫さん(65)も、思いは同じだ。震災では多くの親類や友人を亡くし、自宅も被災。長面浦はがれきで埋まり、育てたカキの多くが流出した。「マイナスからのスタートだった」と振り返る。

 しかし、地域の復興に向け着実に歩んできた。昨年にはカキの処理場が完成。震災後は全国に出張して長面浦のカキのおいしさをPRし、販売するようにもなった。会社を長男の英樹さん(33)が継ぐことになり、地域の復興に向けさまざまな企画を展開する一般社団法人も立ち上げた。

 「昔の風景を思い描いて、一歩一歩足元を固めていくしかない。これ以上失うものがないから、もう怖いものはない。人間は、ものすごく強いんだ」

 一変した風景の中でも、人々は前へ進んでいく。(安藤歩美)

2015年2月16日


 そして以下は、今回(2018年6月30日)現地視察した際の写真である。

 長面浦は野鳥、水鳥の宝庫だったが、前代未聞の大土木工事で鳥たちも居場所が少なくなっていた。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-30

 工事名は、長面漁港海岸保全施設災害復旧(その1)工事とあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-30


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-30

 野鳥が飛び交う、自然豊かな長面浦は、土木工事のオンパレードとなり、埋め立て用のケーソンのコンクリートが至る所に置かれていた。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-30


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-30

 下は築堤工事の一部である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-30


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-30

 下はグーグルマップで上空から見た現在の長面浦。撮影は、私たちの現地視察とほぼ同じ、2018年7月である。


グーグルマップで上空から見た現在の長面浦  2018年7月撮影

 下は地面に置かれた無数のコンクリートブロック、ケーソン。


グーグルマップで上空から見た現在の長面浦  2018年7月撮影

 下は長面浦と外洋の接点部分である。橋の上に一羽のユリカモメが羽を休めている。


撮影:グーグルマップ・ストリートビュー 2014年7月

 本来、この長面浦は、水鳥などのためにラムサール条約登録地にすべき場所である。そこに無理やりに多数の住宅を建て、3.11で甚大な人的被害が出た。にもかかわらず、ラムサール条約登録どころか、上の写真で分かるように、、素晴しい湿地は、鉄とコンクリートで締め固められていた。


石巻市9雄勝1つづく