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日航機事故から30年、

装い新た展示棟 2

青山貞一 Teiichi Aoyama *1,*2
池田こみち Komichi Ikeda *2
*1 東京都市大学名誉教授
*2
環境総合研究所(東京都目黒区)

August 18, 2015
独立系メディア
E-wave Tokyo
無断転載禁
@慰霊の園 A新展示棟1 B新展示棟2     C登山口へ    D尾根登山
E昇魂之碑    F昇魂之碑周辺1  G昇魂之碑周辺2   H墓標・補遺

 さらに入って正面の壁には、インターネットのWeb情報でお馴染みの時間的経過を追ってのJAL123便の位置と主要な出来事を地図上に示した推定飛行経路図がありました。


慰霊の園 JAL123便の時間を追っての位置
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400    2015-8-10


慰霊の園 JAL123便の時間を追っての位置
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400    2015-8-10

下は、JAL123便の推定飛行公路図です。

 なお、この写真には青山らの仮説を裏付ける証拠とも言えるものが写っていました。


慰霊の園 JAL123便の時間を追っての位置
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8    2015-8-10


上の写真にあったのは、下の地図にある米軍横田飛行場です。
白線で示された日航機の飛行経路のうち、山梨県の「大月」
でループを描き高度を3000mまで下げ、さらに2000mに下げる
途中に太い赤線に沿って高度を下げながら米軍横田基地に
緊急(胴体)着陸すれば(できれば)、520人の犠牲者の半分
近くが助かった(救助された)可能性があります。
これについては、「日航機事故再解明の課題2」に詳述しています。


慰霊の園 JAL123便の時間を追っての位置

私達の仮説を裏付ける航空写真 
赤色の破線、円、黄色の高度(m)は青山が記入したものです。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8    2015-8-10


以下は事故現場となった群馬県上野村と日航機墜落現場を示す3次元の立体地図です。


事故現場となった群馬県上野村と日航機墜落現場を示す3次元の立体地図
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8    2015-8-10



事故現場となった群馬県上野村と日航機墜落現場を示す3次元の立体地図
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8    2015-8-10


下は日航機事故関連施設(慰霊の園、招魂の碑など)の位置を
1/10000のジオラマ(立体模型)としたものです。


事故現場となった群馬県上野村と日航機墜落現場を示す3次元の立体地図
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400    2015-8-10


 その他、DVDによる上野村猟友会の日航機墜落現場の捜索と救助、救援活動の紹介が加わりました。

 下はその一場面です。猟友会と言えば、地域の地形、地理に最も詳しい団体のはずですが、DVDでは、猟友会のせっかくのそれらの情報が初期救助に生かされなかった経緯、また上野村役場職員らが日航機墜落事故にどう関与、貢献したかが紹介されています。


慰霊の園 DVD
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8    2015-8-10

 この展示棟は、総じて上野村の日航機事故時における活動が主であり事故が起きた背景、原因、また米軍C130Hによる初期探査、UH-1ヘリによる人命救助出動、自衛隊ヘリによる墜落位置混乱とそれに基づくマスコミの誤報などについては、まったく触れておらず、さらにボイスレコーダー、フライトレコ-ダーなどの実物展示や録音内容の視聴システムもありませんでした。また墜落機の残骸の展示もありませんでした。その意味では、展示棟の展示物の大部分は、すでにさまざまなメディア(新聞、著作、ホームページなど)に紹介されたものであったと言えます。

 ※ 墜落機の残骸の展示などは東京の羽田にある日本航空の日航ジャンボ機墜落の残骸
   (安全啓発センター)にあります。


つづく