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バルト3国現地調査 フィンランド
ヘルシンキ:大聖堂・元老院広場

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

10 April 2010 無断転載禁
初出:独立系メディア「今日のコラム」

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【フィンランド・ヘルシンキ】 【ヘルシンキ歴史地区】
@ターリンからヘルシンキへ Cヘルシンキ大聖堂
Aフィンランドの概要 Dウスペンスキー寺院
Bヘルシンキの概要 E広場・公園・国会議事堂

●2010年2月21日(日) ヘルシンキの概要




ヘルシンキの中心市街地と現地視察先候補地

 15系統のバスで中央駅に到着した。今日は大きな荷物はホテルにおいてきたので楽だが、なんと言っても問題は寒さだ。どう見てもターリンより寒い。よく考えれば北極圏に近い。

 下はヘルシンキ中央駅のすぐそばにあるアテテウム美術館だ。1750年代から1960年代までのフィンランド美術19世紀から20世紀の海外の美術品を展示するフィンランド最大規模の美術館である。


ヘルシンキ中央駅のすぐそばにあるアテテウム美術館
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 21 Feb. 2010

 ヘルシンキで最初に視察したのは、有名なヘルシンキ大聖堂である。


ヘルシンキ大聖堂

 中央駅から東に7分ほど歩くと、白亜の大聖堂が見えてきた。この大聖堂は、プロテスタントのキリスト教であるフィンランド福音書ルター派教会の大本山である。


ヘルシンキ大聖堂
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 21 Feb. 2010

 下は大聖堂の玄関はユニオン通りに面してにある。この大聖堂は1852年に都合30年間の歳月を要して竣工した。当初大きなドームひとつだけであったが、その後、最初の設計者であるカルル・エンゲルの没後に小さな4つのドームが付加された(上の写真を参照)

 この大聖堂は、ネオ・クラシック様式で、上記の緑色のドームと、正面の6本のコリント式列柱が大きな特徴となっている。

 大聖堂はヘルシンキ市のシンボルであり、教会の役割の他に、国会の開会・閉会などの行事やヘルシンキ大学の学位授与式、コンサートなども行われている。


ヘルシンキ大聖堂
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 21 Feb. 2010

 下はグーグルアースで3次元CG展開したヘルシンキ大聖堂である。この3次元CGでも真ん中のドームとともに、小さなドームがあることがよく分かる。下のCGでは、右側が元老院広場、左下側が玄関側である。


グーグルアースで3次元CG展開したヘルシンキ大聖堂


グーグルアースで3次元CG展開したヘルシンキ大聖堂

ヘルシンキ大聖堂( Helsingin tuomiokirkko)

 フィンランドの首都ヘルシンキのほぼ中央に建つ福音ルーテル派の大聖堂である。 1917年のフィンランドの独立までは「聖ニコラウス教会」と呼ばれていた。

 ヘルシンキの中央の市街の風景の特色あるランドマークであるこの教会は1830年から1852年にかけてネオ・クラシック様式に改築された。カール・エンゲルによって独自にデザインされ、彼の後継者であるエルンスト・ロールマンによって継承された。

 今日最も有名なヘルシンキの観光名所となっており、毎年350,000 を越える人々が教会を訪れ、その中には宗教儀式に参加するものもいる。教会は通常、信仰の奉仕と結婚式のような特別なイベントに使用される。

 大聖堂の屋根には12使徒の真鍮の彫刻がある。 これは世界最大の真鍮彫刻の一様のコレクションである

 大聖堂はしばしばヘルシンキ市全体の象徴として使用される。この大聖堂が建つ前は、もっと小さな教会が同じところにあった。

出典:Wikipedia


ヘルシンキ大聖堂
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 21 Feb. 2010

 大聖堂のすぐ隣にはヘルシンキ大学の本館と図書館がある。下の写真はヘルシンキ大聖堂から図書館側を見たところのである。


ヘルシンキ大聖堂からヘルシンキ大学方面を撮影した写真
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 21 Feb. 2010

 ヘルシンキ大聖堂のすぐ南には広大な石畳の元老院広場がある。様式はネオ・クラッシック様式である。石畳と大聖堂は階段で結ばれている。

 ベルリン出身の建築家カール・ルートビヒ・エンゲルがロシア統治時代の19世紀前半に建造し、北側にヘルシンキ大聖堂、西側にヘルシンキ大学があり、東は官庁街となっている。 広場には御影石が敷き詰められいる。

 元老院広場の中央には、1894年に建てられたロシア皇帝アレクサンドル2世の彫像が立っている。彫像の製作者はW.ルーネべりである。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 21 Feb. 2010

アレクサンドル2世(Aleksandr II Nikolaevich Romanov)

 1818年4月29日- 1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)、在位:1855年 - 1881年)は、ロマノフ朝第12代ロシア皇帝、ポーランド立憲王国第3代国王。ニコライ1世の第一皇子、母は皇后でプロイセン王女のアレクサンドラ・フョードロヴナ。

 上記のようにアレクサンドル2世は、1855年3月2日 - 1881年3月13日の時期、ロマノフ朝のロシア皇帝であり、同時にポーランド国王であり、フィンランドの大公であった。


アレクサンドル2世

出典:Wikipedia
 
 元老院広場にはめずらしく欧州の他国からグループツアーが来ており、アレクサンドル2世像の前でガイドの説明に聞き入っていた。


ヘルシンキ大聖堂、元老院広場そしてアレクサンドル2世像
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 21 Feb. 2010


つづく


【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition