【フィンランド・ヘルシンキ】 | 【ヘルシンキ歴史地区】 |
@ターリンからヘルシンキへ | Cヘルシンキ大聖堂 |
Aフィンランドの概要 | Dウスペンスキー寺院 |
Bヘルシンキの概要 | E広場・公園・国会議事堂 |
●2010年2月21日(日) ヘルシンキの概要
ヘルシンキとは ヘルシンキ(フィンランド語:Helsinki、スウェーデン語:Helsingfors)は、フィンランド共和国の首都。 ヘルシンキ市の人口は565,000人。ヘルシンキ市の周辺にはエスポー、ヴァンターなどの衛星都市があり、約100万人が住んでいる。フィンランドの公用語がフィンランド語とスウェーデン語の二言語であるため、二言語併用が原則となっているほか、地名(駅名、停留所名なども)はフィンランド語、スウェーデン語で別々に存在する。 市内には様々な教会があり、中には1967年にスオマライネン兄弟によってデザインされ、岩盤をくりぬいて作ったテンペリアウキオ教会などがある。 2007年にはユーロビジョン・ソング・コンテストが開催された。 都市の建設と入植は困難を極め、火事、疫病、飢饉、戦争など度重なる災禍に見舞われ、特に1710年のペストでは人口の3分の2を失った。町の存亡さえ危惧され、長い間バルト海の他の都市に圧されていた小さな港町だったが、スオメンリンナ要塞の建設が、都市の発展の契機となった。特に第2次ロシア・スウェーデン戦争(フィンランド戦争)で軍事的な重要性を帯る。 戦争の結果、1809年にフィンランドはロシアに割譲されフィンランド大公国が誕生、ロシアのアレクサンドル1世が1812年にフィンランド大公国の首都をスウェーデンに近いトゥルクからスオメンリンナ要塞のあるヘルシンキに遷都させたことで、フィンランド一の都会へと変貌を遂げることになる。 第1次世界大戦後の1917年にフィンランドは独立を宣言、ヘルシンキは正式に首都となるも、1918年に始まるフィンランド内戦では赤軍に陥落する。白軍によって奪回され、被害はタンペレなど国内の他都市に較べ軽微であった。 1952年には夏季オリンピックを開催。着実な復興を世界に示した。都市圏の肥大化はヨーロッパの諸都市の中では遅れて始まり、1990年代になってから、ヘルシンキ首都圏の成長率は、ヨーロッパで最も目覚しいものになっている。その一方で、EU加盟国の首都の中では、人口密度がブリュッセルに次いで低く、自然環境の保護にも成功している。
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■ヘルシンキ視察予定
ターリンクの高速艇はオリンピアターミナルに到着した。
ヘルシンキの中心市街地と現地視察先候補地
ヘルシンキでの私達の予定は、以下の通りである。
@バスでオリンピアターミナルからヘルシンキ中央駅
その後、
A徒歩でヘルシンキ大聖堂
B元老院広場
Cウスペンスキー寺院
D大統領府
Eマーケット広場
その後、
Fエスプラナーデ公園
Gフィンランド国会議事堂
H中央バスターミナル
Iヘルシンキ中央駅
Jバスでオリンピアターミナル
その後
KBaltic Princess号でターリンに
■まずはヘルシンキ中央駅へ
ターリンクの発着所であるヘルシンキ港のオリンピアターミナルに高速艇が着いた。下がオリンピア・ターミナル。
ターミナルビルの外に出ると市街地行きの路線バスのストップがある。下はバス停である。
目指すヘルシンキ中央駅は15番系統であることが分かり、そこに並ぶこと数分でバスが到着した。これは長距離バスではなく、路線バスである。バス料金は運転手から買ったので1人、2ユーロ(250円検討)だったが、あらかじめ券売機で買えば2ユーロである。これはバルト3国でも同様で、バス内で運転手から購入すると高くなる。
なお、今回は半日しかヘルシンキにいないので1日券、3日券、5日券などの周遊券を買わなかったが、長期滞在する場合はそれを買った方が断然リーズナブルである。
↓があとで見つけた券売機。分かりやすい。
下の写真はバスの内部。結構混んでいた。
10分ちょっとでヘルシンキ中央駅にバスが到着。下は中央駅である。それにしてもターリンよりサラに積雪があり、外気温は寒い。風が吹かないときでもマイナス16度前後だ。中央駅は終点となっており、ここからフィンランドの各地、それにスウェーデン、ノルウェーなどにも列車が出ている。
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition