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岡山市北区の火葬場建設問題
F不透明で正当性なき立地選定

青山貞一 Teiichi Aoyama
掲載月日:2014年6月17日  
独立系メディア E−wave

無断転載禁

◆特集:住民無視で暴走する岡山市北区の火葬場建設問題
@高齢化社会と火葬場建設問題 D処分場跡地に石綿埋設の事実
A火葬と有害化学物質発生 E異常な処分場跡地買収価格
B最終処分場跡地に火葬場建設 F不透明で正当性なき立地選定
C処分場跡地の環境汚染 G産廃業者の許可取り消し処分

 本論考(ブログ)をここまで読み続けてこられた方々は、疑問に感ずることがあると思う。仮に岡山市が産廃業者と何らかの理由で癒着し、火葬場建設の場所を岡山県岡山市北区富吉地区の安定型処分場跡地に使用としたとしても、自民党系議員が60%を超す市議会はまだしも、地元が賛成するわけはないと思うであろう。

 おっしゃるとおりである。

 いくらなんでもこれほど理不尽で不透明な用地買収について、市議会や地元町内会が反対しないはずは無いと思うのは当然である。

 青山もその点が一番気になっており、現地では執拗に住民や非自民系市議会議員にその経緯について聞いた。

 私の6月14日夜7時から9時に開催された講演会には、岡山市議会から4名の非自民党系議員が参加された。無所属2名以外に公明党、共産党の市議も参加され、始まる前に議論した。さらに現地到着後から東京に帰る直前まで多くの関係者と議論した。

 まず市長だが、平成に入ってから新たに市長となったひとは、以下の通り4人いる。現在の市長、大森雅夫氏は国土交通省の官僚をしていたひとである。おそらくこの大森雅夫市長は本件のキーパーソンではないと思える。新火葬場の用地問題が具体的に地域の問題となったのは、平成24年9月であることからも、谷茂男氏が市長だったときの事案であることは間違いないところである。この谷茂男前市長は多くの人が何を考えているかよく分からない、存在感のないひとだったと述べている。現職市長とともにプロフィールを以下に示す。
 
表   近年の岡山市長
29 安宅敬祐(1期) 1991年(平成3年)2月12日 - 1995年(平成7年)2月9日
30 安宅敬祐 (2期) 1995年(平成7年)2月10日 - 1999年(平成11年)2月9日
31 萩原誠司(1期) 1999年(平成11年)2月10日 - 2003年(平成15年)2月9日
32 萩原誠司 (2期) 2003年(平成15年)3月24日 - 2005年(平成17年)8月25日
33 谷茂男(1期) 2005年(平成17年)10月11日 - 2009年(平成21年)10月10日
34 谷茂男 (2期) 2009年(平成21年)10月11日 - 2013年(平成25年)10月8日
35 大森雅夫 (1期) 2013年(平成25年)10月9日 - 現職

◆谷茂男氏略歴
岡山県総社市出身。岡山大学法経短期大学部法経学科卒業。1959年、岡三証券に入社し、岡山支店に勤務する。1964年、山陽玩具(現サンヨープレジャー)代表取締役社長に就任。その後、1995年におもちゃ王国代表取締役社長、2001年にチボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営企業)代表取締役社長に就任する。また社団法人日本青年会議所岡山ブロック協議会副会長(1977年〜)、岡山市商店会連合会副会長(1985年〜)、岡山商工会議所副会頭(1995年〜)、社団法人岡山西法人会会長(2003年〜)、社団法人岡山経済同友会常任幹事(2005年〜)等の役職を歴任した。2005年9月にチボリ・ジャパンを退社。岡山市長選挙に出馬するため、サンヨープレジャー代表取締役ほか、役職を全て返上した。2005年10月、高谷は、自由民主党・社民党2党の推薦を受け、岡山市長選挙に立候補した。この市長選は、自民党の要請を受けて第44回衆議院議員総選挙に出馬する前市長の萩原誠司の辞職に伴って行われたものである。萩原が自民党の要請により出馬した衆議院岡山県第2区は、自民党の熊代昭彦衆議院議員の選出選挙区であったが、熊代は小泉純一郎首相が成立に執念を燃やす郵政民営化法案の採決で反対票を投じたため、第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、萩原の岡山市長辞職・総選挙出馬により、自らの出馬を断念した。熊代は2005年10月の岡山市長選挙に高谷の対立候補として出馬したが、自民党・社民党のバックアップを受けた高谷が当選した。2008年6月、全国市長会副会長に就任。同年10月、岡山市及び周辺4町が合併し、岡山市の政令指定都市移行が決定。そのため東京・霞ヶ関の総務省に鳩山邦夫総務大臣を訪問し、感謝の意を表明した。同年11月、メールマガジン「市長ニュースおかやま」(愛称:しげちゃんメール)の発行を開始し、2013年の市長退任まで継続された。2009年4月、岡山市が全国18番目の政令指定都市に移行した。同年5月、ホテルオークラ岡山(岡山市中区)で開催された指定都市市長会議で議長を務めた。再選をめざして立候補した同年9月の岡山市長選挙では、政令指定都市にふさわしい中心市街地の活性化や、老朽化した岡山市民病院(岡山市北区天瀬)の建て替え問題、旧国鉄岡山操車場跡地(岡山市北区北長瀬表町)の活用のあり方が主な争点となり過去最多の6名の候補者による選挙戦となったが、行財政改革路線の継続を訴え、元岡山市長の安宅敬祐らを破り、再選を果たした。2013年の岡山市長選挙には立候補せず、後継に元国土交通省国土政策局長の大森雅夫を指名し、引退を表明。2013年10月8日に任期満了に伴い市長職を退任した。

◆大森雅夫氏略歴
岡山県岡山市北区東古松生まれ。岡山市立鹿田小学校、岡山市立桑田中学校、岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部卒業。1978年、大学を卒業し建設省に入省。本省での勤務の他、国土庁や内閣府、熊本県への出向も経験した。2012年9月より国土交通省国土政策局長。2013年6月に退官。同年10月、岡山市長選挙に自由民主党・民主党・公明党・日本維新の会岡山県総支部・連合岡山の推薦を受け、無所属で出馬。元官僚で知名度不足を危ぶむ声もあったが、選挙戦では強固な組織力をバックにつけ、元衆議院議員の高井崇志や元衆議院議員・岡山市議会議員の熊代昭彦ら4候補を破り、初当選した。選挙戦では2期8年間の高谷市政、特に行財政改革路線の継承を訴えた。10月9日、岡山市役所に初登庁し、正式に岡山市長に就任した。

出典:Wikipedia

 新火葬場の用地問題は、間違いなく谷茂男前市長と大森雅夫現市長に関わる問題であるが、多くの方々と議論した上で率直に感じたことは、キーパーソンが岡山市側の前市長や現市長ではなく公園や火葬場などの建設を所管する市民局の関係者ではないかということだ。

 これは会って話した大部分のひとの一致した意見であった。ただ、調べれば市民局は火葬場設置準備室の役割を持っているので、当然、この部署が市議会対応はじめ事業者対応、市民対応をしてきたことは間違いないところである。ただし、実際は産廃業者(事業者)の意向を受け動いた市議会議員がいるという情報もあった。

 岡山県市民局
 
 さらに会った市議や冨吉地区の住民からは、岡山市役所は複数の立地代替案を検討したが、冨吉以外は住民の反対があったから外したとしている。また岡山市は条例で県道沿いに火葬場を立地する場合には道路から200m以上奥に建設することとしているが、岡山市は自分たちがつくった条例を反故にし、県道に面し火葬場を計画したと述べている。

 一方、現地市民団体が平成26年4月6日に作成した「富吉地区 斎場建設に関するこれまでの経緯」という資料を見ると、立地選定などでの市民合意がいかに杜撰で虚偽に満ちていたかが分かる。以下を見れば、冨吉地区が立地や計画に賛成しているというのは真っ赤なウソであることが分かる。町内会長らを使い情報操作の世論誘導をしていることがよくわかる!

 火葬場建設をめぐっては、岡山市北区の4つの地区が関係している。結論から言うと、安定型処分場跡がある富岡地区はじめ三和地区そして田原地区の3地区は、平成25年1月18日に立地反対の陳情署名を出している。 4つの地区のうち3つの地区が反対、残りの1地区も半分の世帯が反対しているとのことである。

 第二回 反対の陳情書・反対署名
   富吉地区  80世帯   175名
   三和地区  34世帯   103名
   田原地区  36世帯    80名
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
     合計  150世帯   358名

 さらに平成25年11月16日に富吉町内会臨時総会が開かれている。その結果は以下の通りである。
 
 出席者 34名 委任状出席 26名 合計 60名
   立地に賛成   3票
   立地に反対  53票
   白票       1票
  として反対を決議している。 

 地元地区はじめ4つある地区の3地区の世帯、住民の多くが反対なのに、なぜ、富吉町に立地がきまったのであろうか? 最大の謎はそこにある。 その最大の問題は、4つある関連町内会会長の暗躍である。

 周知のように呼び名はいろいろあるものの町内会、自治会などは、いずれも法的には何の根拠、権限もない組織なのである。

 これについては、過去、他県ではあるが町内会と会員の間でいくつか訴訟が起きているが、いずれも町内会側が敗訴している。しかも最高裁判例となっている。以下にそのうちの2事例を示す。
 
◆町内会等に関する裁判例
埼玉県営住宅本多第二団地(新座市)自治会からの退会を巡り争われた裁判で、最高裁第3小法廷は2005年4月26日に「自治会は強制加入団体ではなく、退会は自由である」と判示した。この裁判では、自治会に加入していた会員が、会の運営に対して不満があり退会を求めたものである。滋賀県甲賀市の希望が丘自治会が自治会費に赤十字や共同募金への寄付分を上乗せして徴収することを決議したことを巡って争われた裁判で、最高裁第1小法廷は2008年4月3日に自治会側の上告を退け、自治会費への寄付分上乗せは寄付を強制するもので無効とした大阪高裁の判決が確定した。自治会による寄付集めを巡っては、自治会費への上乗せのほかにも班長などの役員が寄付を集める集金活動を強制され、断りにくい自治会の戸別集金で事実上寄付を強要されるなど、各地で問題になっている。町内会費を含む管理組合費の支払いを巡って争われた東京簡易裁判所の判決では、「町内会費相当分の徴収をマンション管理組合の規約等で定めてもその拘束力はない」と判示した。

◆町内会の法的な裏ずけについて
町内会であろうと自治会であろうと法的な根拠はなく、強いて言うならば民法に定める「権利能力なき社団」でしょうか。過去の判例から見ても会への入退会は自由ですし拘束力はありません。行政の肩代わりをしたりすることもあるようですが、主に地域の行事や災害などの時の相互扶助組織と私は認識しています。これに地域の神社仏閣などが絡んでくると宗教の自由などの問題が生じてきます。数年前でしょうか、確か秋田県だったと思いますが、町内会(班かも?)への非加入で村八分にされ、裁判になったケースがあります。当然、非加入側の原告が勝訴しました。当然ですね。ただ、地方に行けば行くほどこういう組織ががっちり固まっていて旧態依然とした運営がなされていることも事実ですし、役員にしても同一人が長期に居座るような事例もあります。役員になれば負担も大きいですが、何か美味しいことがあるのでしょうか。

 にも関わらず、どの地区でも町内会長が岡山市の意向を受け、地区の住民を臨時集会と称して集め、会長など何ら法的根拠も無いのに、本来、岡山市役所の担当者が説明すべき公共施設(火葬場)に関する立地選定地の概要について述べる。そしてこれに賛成すれば地区にとって、今後あれこれ市役所が便宜を図ってくれるというような、何ら根拠のないことで、はじめて集まった住民に条件付き賛成を迫る。 永年、大きな問題を抱えていなかった地区の多くの世帯は、詳細を知らされぬまま、とりあえず条件付き賛成となる。
 
 たとえば、処分場跡地がある富吉地区の場合、「富吉地区 斎場建設に関するこれまでの経緯」に次のように記載されている。

 平成24年9月29日 富吉臨時総会 
     出席者 60名、委任状出席 12名 合計 72名
     賛成37票、委任状(賛成)12名= 49名
     反対 23票だが、議事録に反対者数の記載なし。

 平成24年10月15日 
     4地区町内会連名の意見書提出
 
 平成24年11月28日 
     町会長、斎場建設承諾書を岡山市に提出

 平成24年11月29日
     第一回 富吉地区 反対の陳情書・署名提出

 何と、市役所の説明会は、この後開催される!

 平成24年12月13日
     第一回 馬屋上学区説明会

 その一ヶ月後には、以下にあるように、4地区のうち3地区が反対の陳情書を出し、反対署名を市役所に提出することになる。

 平成25年1月18日   第2回 反対の陳情書・反対署名
 
    富吉地区  80世帯   175名
    三和地区  34世帯   103名
    田原地区  36世帯    80名
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
      合計  150世帯   358名

 「富吉地区 斎場建設に関するこれまでの経緯」では、上記のような経過が延々とつづくことになる。要するに、本来最初に市役所が説明会を開くべきであるのに、市役所職員らが町内会長を集め、何はともあれ承諾書をとって欲しい旨を町内会長伝え、まともな説明をしないまま、条件付き賛成という承諾書を勝手に市役所に出しているようだ。
 
 これは3つの地域の住民からほぼ、同じ内容の話しを聞いた。その後、住民が町内会長にいくら反対の署名簿などを出しても受け取らず、何の返事も回答もないとのことで、これも3地区とも同じである。

 その後、市役所に上記の経緯、事実を伝えても、町内会内部の問題なので市役所としては関わりの無いことの一点張りとのことである。これも3地区ともに同じ対応である。

 要するに上述のように法的には何んら行政の下部組織でもない町内会の会長が、いいように市役所やおそらく議員らに使われ、町内会長は都合の良いことを並べ立て、早期段階に条件付き賛成を得ると、その後は町民に対し何ら説明責任を果たさず、逃げ回っているというのが実態である。

  「富吉地区 斎場建設に関するこれまでの経緯」はA4で3頁に及び、富吉小畑地区では、平成25年12月1日、富吉小畑地区住民に、「新自治会設立準備趣意書」を配布、新町内会設立に向け賛成を得、まとまる、とある。

 町内会長があまりにも酷いので従来の町内会から抜け出て新たな町内会を設立することまで記されている。

つづく