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晩秋の長州・萩短訪

F菊ヶ浜・相島・笠山

青山貞一 東京都市大学

現地訪問 2009年11月21日〜22日

独立系メディア E-wave Tokyo
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長州藩・毛利家
@今に残る希有な歴史文化都市 H吉田松蔭誕生地と一族
A萩市の産廃処分場問題 I吉田松蔭刑死と墓所
B産廃処分場問題講演会 J毛利家の菩提寺 東光寺
C反射炉跡と造船所跡 K松陰神社と松下村塾
D浜崎地区:旧萩藩 御船倉 L御成道と萩城跡
E浜崎地区:旧山村家住宅 M菊屋家住宅とその庭園
F菊ヶ浜・相島・笠山 N萩の城下町を歩く
G萩博物館 Oエピローグ
 浜崎地区視察後、すぐ北にある菊ヶ浜に向かった。「菊ヶ浜」は萩にある江戸時代から続く風光明媚な景勝地であり萩市民が夏場に海水浴を楽しむ海水浴場でもある。

 菊ヶ浜は橋本川と松本川の三角州の北側の海浜部を占め、西側は萩城跡と指月山、東は萩港までの範囲の海浜を指す。さらにこの菊ヶ浜からは北東にある笠山(半島)も望めることから、北長門海岸国定公園の主要な景勝地となっている。


出典:九州読売 

 下はグーグルアースで鳥瞰した萩市。橋本川、松本川の2つの河川に挟まれた三角州の一番海側が「菊ヶ浜」である。


出典:グーグルアースより筆者作成


■菊ヶ浜 

 下の写真は菊ヶ浜から指月山、萩城跡方面を見たところ。天気は悪かったが、それでも菊ヶ浜から見る指月山、萩城跡方面の景観は秀逸だ!


菊ヶ浜
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


 菊ヶ浜は江戸時代「阿古ヶ浜」と呼ばれ萩藩の御用商人で大年寄格でもあった菊屋家が藩士や足軽たちの家を建てて住まわせたことから、「菊ヶ浜」と称されるようになった。

 なお、萩歴史スケッチ(読売新聞西部本社)によれば、この菊ヶ浜は、上記のようにもともと「阿古ヶ浜」と呼ばれていたが、萩藩御用達の菊屋家の「菊」をとって菊ヶ浜と名付けられたという。その菊屋家は、源頼家の子孫と伝えられ、大内氏に仕えた後、武士の身分を捨て町人になったという。毛利輝元の萩入国に従い、山口から萩に移り萩城下のまちづくりに尽力したそうだ。

 その菊屋家は、後で訪問した萩の呉服町に屋敷を与えられ萩藩の米などを取扱うことで財をなす一方、その呉服町の屋敷は幕府巡視使の宿として本陣にあてられたという(詳細は菊屋家住宅を参照のこと)。

 また毛利家が関ヶ原の戦いで前田邸に参集したため、江戸幕府によりもともとあった120万石を約1/3の36万石に縮減された。その結果、広島などから藩士達が萩に移って来たとき、菊屋家は「阿古ヶ浜」の所有地に「惣固屋」と呼ばれる仮設住宅を建て住まわしたという。その功績により城下のひとびとは同海岸を「菊ヶ浜」と愛称で呼ぶようになったいう。

 なお、菊ヶ浜は最高の「夕日」を撮影するビスタポイントとなっている。今回は午前中に訪問したので残念ながら夕日は撮影できなかった!!


■指月(しづきやま)

 萩に行って最初に目に付くのは指月山(しづきやま)である。萩ではどこからでも見える。萩の市民は指月山の姿を見ると「やっと萩に着いた」と感じるという。

 指月山の標高は143m、阿武川下流の松本川と橋本川にかこまれた三角州の西北、 海に突き出たところに位置している。


指月山 菊ヶ浜より
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


指月山 椿東の丘陵より
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


指月山 萩城跡より
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8

 指月山は、シイやツバキなどの樹木で覆われており 緑の豊かな山だ。国の天然記念物にも指定されている。 山頂には、石垣が残っている。また麓には堀をめぐらした立派な石垣が築かれている。

 指月山は江戸時代に周防国と 門国を治めた毛利氏の萩城があったところだ。 周防国と長門国は明治時代になって山口県になった。萩城は1840年(明治七年)に取り壊されたが、現在、萩城の跡は国史跡に指定されており 「指月公園」と呼ばれている。


■相島

 菊ヶ浜からは、下のグーグルマップにある「相島」が見える。案内してくれた津田和夫さんと堀洋太郎さんによれば、相島を含む島々と笠山地域は、何でも日本でも数少ない単成火山群である阿武火山群に属するとのことで、地質学的に非常に貴重なものらしい。


出典:グーグルアースより筆者作成

 下の写真は菊ヶ浜から相島を見たものだ。相島の東端、西端はそれぞれ切り立った崖となっていることが分かる。今回は遠望しただけだが、相島の風貌は、なにやら岸壁がそそり立っている感じで「奇岩」がありそうな気配を感ずる。ちなみに21日夜、懇親会を行った料理屋の女将さんは相島の出身とのこと。

 カッパドキア(トルコ)、野柳(台湾)、セントジョーンズ(カナダ)、ケイプ・ブレトン(カナダ)、アマルフィ海岸(イタリア)、黒斑山(群馬県)など世界の奇岩、断崖、絶壁を見てきたマニアとしては、近い将来、相島にもおじゃましてみたいものだ。


相島を遠望
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8

 この相島は面積2.48平方キロメートル、人口224人(平成18年3月30日)であり、萩の北西約14km、日本海上にある。相島も北長門海岸国定公園のなかにある。

 相島には平安時代末期には人が住み始めており平家伝説が多く残されているという。江戸の幕末には黒船来航を見張るため相島遠見役が置かれ毛利藩の海上防備のための御藩所や大砲台場なども設けられていたという。

 その昔は除虫菊の栽培が盛んであったが、現在はスイカの産地として有名。相島の沿岸域には奇岩が多く島中央の大山や相島港と合わせ「相島八景」として親しまれているという。ぜひ、一度相島にも出かけてみたいものだ。

 なお、以下は岸壁に立つ萩・相島の灯台。


出典:灯台のアルバム

 下はグーグルマップで見た相島の地形。標高は約120m、周囲の岸壁が切り立っていることとが分かる。


グーグルマップで見た相島
出典:グーグルマップより作成


■笠山

 下の写真は菊ヶ浜から笠山(半島)方面を見た景観。手前に萩港が見える。


菊ヶ浜からみた笠山(半島)
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8

 今回は時間の関係で遠望するだけだったが、この笠山は、萩市北東部海岸より日本海に突き出した陸繋島上に形成され、北長門海岸国定公園に含まれている。標高はわずか112mだが、世界最小の火山とのことだ。近くには萩市最大の漁港、越ヶ浜漁港もある。

 実は昨日(11月21日)宿泊したシーサイドパレス萩(ホテル)の私の部屋から撮影した夕日(下の写真)に映し出されていた山は笠山であった。車ならホテルからすぐの場所にある。

 
萩マリーナから夕日の笠山を望む 2009年11月21日夕方
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


萩マリーナから笠山 2009年11月21日夕方
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


グーグルマップで見た笠山
出典:グーグルマップより作成

 なお、笠山北西部の虎ヶ崎周辺には約25,000本のヤブツバキ原生林があり、さらに笠山の北部にはコウライタチバナが自生し日本唯一の自生地として天然記念物に指定されている。風穴の近くでは涼風のためコタニワタリやホソイノデなどの寒地性植物も自生し、極めて珍しい植物相を形成しているなど、生物、生態学的見地からも稀少な場所となっている。

笠山

 日本でも数少ない単成火山群である阿武火山群に属する活火山であり、玄武岩性の溶岩台地の上にスコリア丘が乗った形で形成されている。

 直径 30m 、深さ 30m の噴火口があるが、これはスコリア丘の形成の過程で出来たものであり正確にはカルデラではない。

 噴火の年代は部位によって様々だが、現在の笠山は約1万年前に形成されたと考えられている。周囲の海岸は無数の溶岩流が固まった後、波に浸食されて出来た複雑な岩場で形成されている。

 頂上に噴火口があり、火口壁の尾根を一周する登山道が整備されている(所要2分)。噴火口内へ降りていく道は2006年現在立入禁止となっている。頂上付近にある展望台からは阿武火山群の島々と、九州・島根県両方面への日本海の海岸線が見渡せる。朝は島々の断崖に日光が反射するさまが、夕方は日本海に沈む夕日が、夜は沖合いのイカ釣り漁船の灯が見られる。

 山体が冷えて固まった溶岩で形成されているため、日本海からの海風は岩の隙間を通り、地中で冷やされる。このような涼風が吹き出す隙間の多い岩場は風穴と呼ばれており、夏場の格好の観光スポットとなっている(富士山などの洞窟様の風穴とは別の概念であるので注意)。また、島の東側の麓には明神池と呼ばれる汽水湖があり、やはり溶岩の隙間を通って日本海の海水や魚が出入りしている。

 沖を流れる温暖な海流の影響で暖地性植物が多い。笠山北西部の虎ヶ崎周辺には約25,000本のヤブツバキ原生林(ただし自然史的な意味での原生林ではない。

 もともと混交林だった同地を観光開発の目的で選択的に伐採したもの)があり、開花期の2〜3月頃には萩・椿まつりが開催される。北部にはコウライタチバナが自生し、日本唯一の自生地として天然記念物に指定されている。風穴の近くでは涼風のためコタニワタリやホソイノデなどの寒地性植物も自生し、極めて珍しい植物相を形成している。

 またツバキの落ち葉を食べるイトウムシオイは殻径 5mm の小さなカタツムリで、中国地方と愛媛県の一部にのみ生息し、絶滅危惧種に指定されている。

 周囲の海岸はサザエ、アワビ、ウニ、ナマコなどの良好な漁場となっている。

 出典:Wikipedia


つづく