アンコール遺跡群現地調査報告 バンテアイ・サムレ1 (Banteay Samre) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2019年1月24日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
アンコール遺跡全体目次 <東部の寺院・遺跡1> スピアン・トマ タ・ケウ1 タ・ケウ2 バンテアイ・サムレ1 バンテアイ・サムレ2 タ・プローム1 タ・プローム2 スラ・スラン バンテアイ・クデイ1 バンテアイ・クデイ2 バンテアイ・クデイ3 ◆バンテアイ・サムレ(Banteay Samre) バンテアイ・サムレは「サムレ族の砦」という意味を持っています。バンテアイ・サムレはアンコール・トムのバイヨン形式のつくりで回廊に囲まれた中に中央祠堂が建っています。そしてその回廊の周りをテラスが取り囲んでいます。 バンテアイ・サムレは中央祠堂には拝殿がついており、その拝殿は東塔門と近接して配置されています。 東西の塔門は分離して造られており、周壁と中央祠堂とを回廊で連結する造営がなされています。 第一周壁、第二周壁も、それぞれが東西南北の4つの塔門が配されており、 第二周壁の内部には西向きに2棟の経蔵があります。 同じ時期に造られたチャウ・サイ・テボーダやトマノン遺跡での祠堂と拝殿の連結手法を受け継いでいる と言われています。 このバイヨンの造営のヒントにもなったバンテアイ・サムレの動線と回廊のテラスを歩けば伽藍内部を一周できるという考え方は アンコール・ワットがつくられた直後に創建されたこの寺院であり、 バイヨンとの違いを見るうえのひとつのポイントなります。 アンコール遺跡・寺院地図 バンテアイ・サムレの位置 出典:グーグルマップ バンテアイ・サムレもタケウ同様、敷地は完全な正方形であり、その中心に祠堂があります。 バンテアイ・サムレの位置 出典:グーグルマップ 寺院の中央塔 Source:Wikimedia Commons バンテアイ・サムレへの入り口 Source:Wikimedia Commons 009:バンテアイ・サムレで撮影されたバンテアイ・サムレ寺院の戦争の 場面を描いた壁画 Source:Wikimedia Commons バンテアイ・サムレ(Banteay Samre)は、カンボジアのアンコール遺跡群における寺院遺跡の1つであり、東バライの東側に位置します。12世紀中頃にスーリヤヴァルマン2世(在位1113-1150年)の統治時代に造られたアンコール・ワット様式のヒンドゥー教寺院であり、小アンコール・ワットともいわれています。 高さ6メートルの外周壁に囲まれたバンテアイ・サムレは、インドシナ半島の古代民族サムレ (Samre) にちなんで名づけられ、「サムレ(入れ墨)族の砦」の意をもっています。寺院はバンテアイ・スレイと同じ材料を用いています。 バンテアイ・サムレは1936-1944年にフランスのモーリス・グレーズにより修復されました。 構成 バンテアイ・サムレの窓 Source:Wikimedia Commons ラテライトの外周壁 Source:Wikimedia Commons ラテライトで造られた周壁がほぼ正方形に囲んでおり、外・内周壁の東西南北それぞれに塔門(ゴープラ、gopura)を持っています。外周壁は83×77メートルであり、通常、ラテライトのテラスから続く東門より入場します。 内周壁(回廊)は44×38メートルです。内周壁には回廊へと改造された痕跡が認められています。 二重の周壁には連子窓(れんじまど)が見られ、円錐状の塔をもつ中央祠堂と、東側の基壇上に南・北となる2棟の経蔵などを備えています。 寺院の東西に参道があり、ラテライトの上に砂岩を敷いた東参道は延長200メートル、境界石が両端に認められる西参道は350メートルにおよび東バライの東端まで続きます。 バンテアイ・サムレ2につづく アンコール遺跡全体目次 |