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アンコール遺跡群現地調査報告


バンテアイ・クデイ2
(Prasat Banteay Kdei)


青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2019年1月24日公開
独立系メディア E-Wave Tokyo 
無断転載禁
アンコール遺跡全体目次

<東部の寺院・遺跡1>
スピアン・トマ  タ・ケウ1  タ・ケウ2  バンテアイ・サムレ1 
バンテアイ・サムレ2  タ・プローム1  タ・プローム2   スラ・スラン  
バンテアイ・クデイ1
  バンテアイ・クデイ2   バンテアイ・クデイ3



◆バンテアイ・クデイ2(Prasat Banteay Kdei)

 ラテライト石で造られた東西700メートル、南北500メートルの大きな複合周壁内に3つの周壁があり、寺院の祠堂部分は、65×50メートルの敷地を巡る回廊で囲まれています。入口は東側の塔門(外周壁東塔門)であり、十字形で観音菩薩(ローケーシュヴァラ、Lokesvara)像が装飾されています。寺院は、バイヨンおよびアンコール・ワットの建築様式における彫刻の宝庫です。

外周壁


仏面塔(東塔門)
Source:Wikimedia Commons

 4辺の同心の壁を持つ外周壁は、タ・プローム寺院と同じく4つの塔門を持っており、すべてある程度の保存状態内にあります。塔門には観音菩薩の四面があり(その微笑んでいる顔は王ジャヤーヴァルマンであるともいわれ、バイヨン寺院に見られるものと同様とされています)、4隅のガルーダ像の上に配置されています。

 東に面した塔門は、特にその4隅のガルーダ像がよく保存されています。この周壁の入口の西より200メートルで濠に至り、そこはライオン(シンハ)の像やガルーダの乗ったナーガの欄干で装飾された広いテラスがあります。その濠自体が320×300メートルとなる境内の第3周壁であり、同様にラテライトの壁で囲まれています。この門の入口内にある仏像は、後に安置されたものです。

第3周壁


前柱殿のアプサラスの彫刻
Source:Wikimedia Commons

 第3周壁は、十字形(英語版)に設計された塔門(第3周壁楼門)を持ちます。そこにある柱はアーチ型の天井を支えています。この囲いには3つの通路があり、両側の2つはラテライトの壁で独立しています。

 ここにある壁龕(へきがん)は小立像を持ち、また単体ないし1対の踊りのポーズをとるアプサラス(アプサラ)やデヴァターがあります。仏像は、この周壁内の中庭で、破壊者によって壊された。東楼門からナーガの欄干を持つ敷石された通路があり、2つの周壁を備えた祠堂へとつながっています。

 これらの周壁回廊の入口となる東端から、前柱殿(「踊り子殿」、"Hall of Dancers")は屋根のなくなった中庭としてあり、その柱はアプサラスの繊細な彫刻を持っています。

第2周壁


アプサラス(左)やデヴァタ(右)のレリーフ
Source:Wikimedia Commons

 祠堂の一部である第2周壁は、58×50メートルとなる。塔門はその東端にあり、また西にもそれに次ぐ塔門があります。出入口は南・北の端にもあります。塔門は、1つの外壁と2重の列柱とともに回廊のように築かれ、中庭へと通じています。

 この中庭にはアプサラス像が装飾されており、中央の間にある仏像は破壊者により損傷しています。バイヨン様式の建築の特徴として備えたものには、「覆いの下げられた連子(れんじ)のある偽窓や、三角に燃え立つ小さな盤に頭飾りのあるデヴァター」があります。砂岩とラテライトで築かれたアーチ型の屋根は、柱廊の数か所で崩壊しています。内周壁内には、その北と南に経蔵があり、さらに中央祠堂を包含します。

内周壁

 祠堂の内周壁は36×30メートルの配置計画に基づき構築されています。この周壁は、小さな塔門に隣接した4隅に塔を持ちます。主軸沿いに通る回廊が、これらの塔を主祠堂に連結させています。北東と南東にある塔は、仏坐像の見られる第2回廊とつながります。

 2.75メートル四方の回廊となる主祠堂部分は、神々の彫像の痕跡をいくつか持ちます。一方、この回廊のすべてがバイヨン様式で構築されていないことから、それ以前の時代のものであることが推測されます。また木製の天井の残骸もここで見られています。中央祠堂への入口には、アプサラスに囲まれたドヴァラパーラ(門衛神)が側面にあります。


スラ・スランは、儀式のための王の沐浴池とされる
Source:Wikimedia Commons

スラ・スラン 詳細は「スラ・スラン」を参照

 バンテアイ・クデイの東にあるスラ・スランは、「王の水浴池」または「沐浴池」といわれています。10世紀のラージェンドラヴァルマン2世の治世中に掘られたもので、大きさは東西700メートル、南北300メートルとなります。

 太陽と向き合う池のほとりには、砂岩の外縁を持つラテライトの階段が配置され、ジャヤーヴァルマン7世によって美化されています。スラ・スランは、大きな木々に囲まれ、一年中、青緑色の水をたたえています。

 水辺への階段には、装飾されたナーガの欄干に2体のライオン(シンハ)の石像が側面に並んでいます。この池は、王や彼の妻が使用するために備えられたとされています。かつて池の中央にあった島に見られた石の基盤には、王が瞑想した木造の寺院がありました。池の水は現在、地域の農民による稲作に使われています。

建築上の特徴


厚い石の屋根を支える大きな柱
Source:Wikimedia Commons

 バイヨン様式として発展したいくつかの特有な建築学的特徴が、この寺院で明らかに認められます。第3周壁の東と西の棟の屋根は自立した柱で支えられ、屋根を支える柱の内側の列で十字形になるように造られています。

 柱はまた、木製の構造物に見られる「ほぞ穴とほぞの接合」を用いて、つなぎ梁により壁に接続されています。注目すべき他の特長としては、一時的にラテライト製ブロックの支柱で補強された西側の棟にある4本の中央の柱があります。仏像彫刻がこれらすべての柱に見られますが、ほとんどが傷つけられています。自立する柱上に築かれた屋根に装備された一時的な支持方法は、この時代に構築された寺院に見られる設計の問題点を示しています。

修復


塔門部分のレーザースキャン
Source:Wikimedia Commons

 バンテアイ・クデイおよびアンコール・ワット西参道陸橋のレーザースキャンや画像化が、非営利団体 CyArk との協同で、カリフォルニア大学と上智大学によって2004年3月に始まった研究において実施されました。

 得られた資料は、これらの構造物の修復や復元を促進し、そのプロジェクトから入手可能な多くの資料が CyArk より公開されています。

 アプサラ機構 (APSARA Authority) は、アンコール遺跡建造物の管理と保全において著しい発達を遂げています。塔や回廊の一部は修復中であり、そのため、いくつかの場所は閉鎖されています。強化処置が寺院境内の一部に見られ、危険な状態にある構造物がケーブルで繋がれています。


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