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ナチスドイツのソビボル絶望収容所 目次 その1 その2 その3 その4 その5 その6 ※注:絶望収容所の意味 ナチスドイツが欧州に設置した強制収容所のうち、 多くは一度収容されると、二度と解放されない、すなわち銃殺、ガス室、 生き埋め、毒殺、餓死な手段は問わず、収容所内で殺害されるという 意味でありポーランド東部、ウクライナやベラルーシとの国境沿いに設 置された強制収容所は、いずれも後に絶望収容所と呼ばれた。 ■2009年3月12日 映画「ソビボルからの脱走」 (Escape from Sobibor)から (追記:2010年11月1日) ◆参考:ナチスドイツの強制収容所 1943年 ポーランド 「死の工場」での暴動 10月14日のソビボル強制収容所での暴動を誰がどのように組織したのか E表紙 © TASS / ウラジミール・ユーディン 以下は映画「ソビボルからの脱走」の場面を静止画にしたものである。映画であり実物の写真ではないが、生存者の証言をもとに制作された映画であるので、かなり実際の物に近いものと思われる。 下は映画「ソビボルからの脱走」に出てくる「チューブ」(The Tube)。150mほどある。映画では少年がこのチューブを歩く。この道は外から見えないように密度の高い垣根で両側を塀にしている。中を歩く人も外は見えない。 出典:映画「ソビボルからの脱走」より チューブの先には更衣室があり、シャワーを浴びると言われ、男女、聯玲を問わず皆、裸になる。 出典:映画「ソビボルからの脱走」より 下は映画「ソビボルからの脱走」に出てくる脱衣室から裸になって送り込まれるガス室(Gas Chambers)の一場面である。 この構図はアウシュビッツ、ビルケナウ、マイダネクでも同じである。 出典:映画「ソビボルからの脱走」より ガス室には自動車や戦車の排ガスが引き込まれ一酸化炭素ガス(CO)で殺されたとされている。殺されたユダヤ人らはすぐその隣にある焼却炉で次々に焼却された。 出典:映画「ソビボルからの脱走」より ◆追記:英国BBCのソビボル絶滅収容所特集より (追記:2010年11月1日)
大脱走と絶滅収容所の閉鎖 看守たちは20名ほどのSSと約100名のウクライナ人義勇兵で構成され、SSが工場の管理職について元ウクライナ兵の監視員たちを指揮する体制になっていた。 多数がその場で銃殺、殺害されたが、約50人が終戦まで生き残った。1943年10月に収容所は閉鎖され農場に見せかけられた。 証拠隠滅のためソビボル絶滅収容所の建物を解体している様子を撮影した貴重な写真 Source:Holocaust Education & Archive Research Team この大脱走事件の後、このソビボルは閉鎖されることとなる。ただし、ソビボルの名は冒頭の地図にあるように、戦後も絶望収容所付近の村の名前として残っている。 なお、囚人たちから最も悪質な看守として恐れられていたグスタフ・ワグナー(映画でも最大の悪役として登場している人物)は、ナチス国家の崩壊後、どこの国とも犯罪人引渡条約を結ばないブラジルへ逃げこんだため、罪からは逃げおおせている。しかし1980年10月に謎めいた自殺をしている。 参考:Wikipedia その5につづく ナチスドイツのソビボル絶望収容所 目次 その1 その2 その3 その4 その5 その6 |