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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

「南京安全区」
全37避難シェルター概要(1)

出典:反戦史レポート  2020年12月14日


1937年南京大屠杀安全区及安全区内暴行史

 来源: 抗战史记 2020-12-14


翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年11月3日
 

南京大虐殺時、南京安全区を設定、難民シェルターをつくり支援したひとびと

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孫子偉(中国近代史専門家、
 「侵略日本軍による南京大虐殺史研究会」副会長)の前書き



孫子偉(中国近代史専門家、「侵略日本軍による南京大虐殺史研究会」副会長

 1937年の南京大虐殺では、南京安全区は虐殺された都市の中の孤島となった。 ジョン・ラーベ(John Rabe:ドイツ人)氏を中心とした国際的な友人たちの助けにより、約20万人の国民が救われ 南京の暗い歴史の中で、人間に光を与えた。

 しかし、国内外の様々な映画やテレビの解釈、メディアの語り口によって、多くの一般市民が安全区について重大な誤解をしている。特に、安全区の役割や外国人の友人の義理人情が著しく誇張されている。

 特に、安全区の役割や外国人の友人の行動は、非常に誇張されている。 南京には、中国でよく言われている25カ所ではなく、少なくとも37カ所の安全区があったそれぞれのシェルターの代表のほとんどは中国人であったが、残念ながらこれらの英雄たちは行方不明となってしまった。 それを見つけるのが私たちの義務である。

 本稿では、南京大虐殺の南京安全区での残虐行為について、孫仲偉、李徳英編著『南京陥落と残虐行為の記録/中国侵略における日本の残虐行為の歴史の研究』南京出版社、2017年版を参照しつつ伝えたい。

 中国のホロコースト(=南京大虐殺)で犠牲になった同胞を史実に基づいて記憶し、その素晴らしい外国人の友人たちに、感謝したい。


映画「ラーベの日記」のスチール写真。左側の背の高い人がラーべ


 I. ホロコーストでは37の難民施設があった

 南京大虐殺の前後には、戦争と日本軍による残虐行為の結果、南京市郊外の数十万人の市民が難民となった。 南京に住む国際的な友人(ドイツ人、アメリカ人、オランダ人、デンマーク人ら)たちのグループは、この街に留まり、市民を助けることを選んだ。

 市街地の北西に位置する3.86平方キロメートル(4ヘクタール弱)のエリアが「南京安全区」、別名「難民区」として設定された。

 しかし、管理を容易にするために、多くの難民シェルター(難民キャンプとも呼ばれる)が作られた。 また、住宅地の外や県の郊外など、特に難民を求める人が集中している場所には、多くの難民避難所が形成された。

 現在の中国や外国の文献によると、南京の難民避難所(保護施設)の数は25とされているのがほとんどである。 南京の国際救援委員会の権威ある報告書には、「これらの難民のうち、約7,000人は、国際委員会が共同で管理する25の大規模な収容センター(またはキャンプ)に保護され、食料、燃料、シェルターが提供された」と記されている。

 1938年1月14日、上海評議会に宛てた手紙の中で、国際委員会のラーベ会長は、「私たちの委員会は、全部で25の難民シェルターを管理しており、約7万人の難民がいます」と書いている。 国際委員会の幹事を務めていたスミスは、1937年12月21日に「公共の建物や学校に25の難民キャンプがあり、合計68,000人が収容されている」と手紙に記録している。

 さらに、国際委員会事務局長のフィッチ、南京の国際赤十字委員会会長のスペリング、マギー、また金陵女子大学のミニー・ヴォートリンも25カ所の難民キャンプの記録を残している。

 1938年2月21日付の沈玉樹、徐楚人らを代表とするラーベへの感謝状には、この感謝決議が2月15日に「南京安全区の9つの地区知事と25の避難所の責任者との第6回合同会議」で行われたことまで記されている。

 長い間、25のアサイラム(Asylum、避難所)は国内外の学術機関で検討されてきた。 しかし、入手可能な文献の中で、難民保護施設(難民シェルター)の数について異なることを述べているのは、国際委員会の最高財務責任者であるKlegel氏だけである。

 1938年1月13日に書かれた文書「南京受難の昼と夜」には、「安全区内には26の大きな避難所があり、数百人から数千人、5万5千人が収容されていた」と書かれている。

 しかし実際には、ホロコースト(=南京大虐殺)の際、安全区の外にある南京の郊外には、大小さまざまな難民の避難所が数多く存在していた。 国際安全区委員会が運営するシェルターだけに、より詳細な歴史が残されている。 しかし、安全区の国際委員会が管理していないシェルターは、安全性が確保されておらず、十分な履歴データも残っていなかった。

 孫左偉さんが中国や海外の安全な避難所や難民保護施設に関するさまざまな資料を丹念に調べたところ、国際安全委員会が管理したり、援助や後見を受けている難民保護施設が26カ所、そのほかに名前や記録のある難民保護施設を加えると全部で37カ所見つかっていた。


金陵大学別館 難民シェルター所長 姜振雲氏


(2)につづく 

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