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真夏のスペイン Dragon by Gaudi

独立の機運に燃えるバルセロナ短訪

マドリードの街並み

鷹取敦

掲載月日:2015年8月27日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
8/10 バルセロナ 8/12 11 ガウディによる3つの邸宅
1 スペイン・カタルーニャの歴史 12 カタルーニャ広場、サン・ジュセップ市場
2 カテドラル・スペイン自治の歴史 13 バルセロナからマドリードへ列車の旅
3 ガウディの後援者パラウ・グエル マドリード・セゴビア
8/11 4 サンタ・マリア・ダル・マル教会 14 マドリードの街並み
5 グエル公園 8/13 15 セゴビア・アルカサル
6 サグラダ・ファミリア 16 セゴビア・カテドラル
7 グエル別邸 17 セゴビア・古代ローマ水道橋
8 国立宮殿(カタルーニャ美術館) 8/14  18 マドリード・マヨール広場
9 海洋博物館(中世の造船所) 19 マドリード・王宮
8/12 10 カタルーニャ音楽堂   スペイン滞在中の個人線量記録

◆マドリード

 ベラスケス宮殿に隣接したアトーチャ駅からグラン・ビア通りに面したホテルに徒歩で向かいます。徒歩で40分弱の道のりです。


アトーチャ駅からホテルまでの道のり(写真撮影位置)Picasaより


マドリード

 マドリードは、 イベリア半島のほぼ中央、標高655mの高原に位置しています。
 マドリード市はスペインの首都、マドリード州の州都、マドリード県の県都です。マドリード州の人口は646万人(2010年)、マドリード都市圏の人口は541万人(2011年)、マドリード市の人口は約317万人(2014年1月)です。

 歴史的には9世紀後半に後ウマイヤ朝のムハンマド1世が征服地を守る北の砦として現在の王宮の位置に小さな宮殿をそのそばに要塞を建設したのが歴史に記録された最初です。近くのマンサナーレス川はアラビア語でアル・マジュリードと呼ばれ、そこからマジェリト→マドリードとなりました。

 1085年にカスティーリャ王国のアルフォンソ6世(レオン王国およびカスティーリャ王国の王、カスティーリャ王としてはアルフォンソ1世)によって再征服されました。

 1561年にフェリペ2世(カスティーリャ・アラゴン連合王国=スペイン帝国最盛期の王)がこの地に宮殿を移したことにより、ハプスブルグ朝スペインの中心都市となりました。

 ブルボン朝スペインの最初の王であるフェリペ5世がマドリード王宮を含む宮殿を建設し、その第5子であるカルロス3世により近代的な都市として整備されました。

 スペインの中では比較的新しい都市と言えます。

参考:Wikipedia マドリード
   外務省・スペイン基礎データ



旧駅舎の外観が保持されているアトーチャ駅 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ベラスケス宮殿が近いためか、駅から宮殿に向かい騎馬警官が巡回しています。


アトーチャ駅近くの騎馬警官 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 アトーチャ駅からマドリードの中心部に向かうアトーチャ通りは上り坂となっています。

 下の数枚の写真を見ても分かるように、人がまばらなだけでなく、なんとなく寂れた感じのする通りになっています。賑やかで明るく熱気のあるバルセロナとは対照的な雰囲気です。

 建物もバルセロナと比較すると新しいものが多く、歴史的な雰囲気にも欠けているような印象があります。それでも電柱が全く無いのは、東京など日本の大都市と比べると優れています。


アトーチャ通りの街並み 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


アトーチャ通りの街並み 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


アトーチャ通りの街並み 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


アトーチャ通りの街並み 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


アトーチャ通りの街並み 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 やっと少し賑わいのある場所に出てきました。ハシント・ベナベンテ広場です。大道芸人もいました。ハシント・ベナベンテ広場は1922年にノーベル文学賞を受賞したハシント・ベナベンテ(1866〜1954)にちなんでいます。


ハシント・ベナベンテ広場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


ハシント・ベナベンテ(Jacinto Benavente)

「1866.8.12 - 1954.7.14.(1945.説あり)スペインの劇作家。マドリード生まれ。別名Jacinto Benavente y Marunez。
 近代スペイン演劇の代表者。マドリード大学を中退し文筆の道に入り、1894年処女戯曲「他人の巣」を発表。ウィットに富むしゃれた言葉と巧みな作劇術により、貴族や上流社会を風刺した作品を数多く書き、当時のスペイン演劇界を刷新活性化した。
 1922年ノーベル文学賞を受賞。他の作品に「土曜の夜」(’03年)、「奥様」(’08年)、「作られた利害」(’09年)、「呪われた恋」(’13年)等がある。」

出典:コトバンク−ハシント・ベナベンテ


 ハシント・ベナベンテ広場で進行方向を北に変えて進むと、すぐに大きな広場(プエルタ・デル・ソル)に出ました。


プエルダ・デル・ソル(太陽の門) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


プエルタ・デル・ソル(太陽の門)

 マドリードの中心部にある賑やかな半円形の広場です。マヨール通り、アレナル通り、アルカラ通り、プレシアドス通りなど歴史的な通りや幹線道路が合流しています。旧郵便局前が各地方に向かう国道の基点、0km地点となっています。日本で言えば日本橋でしょうか。

 マドリード自治州政府が置かれている旧郵便局の時計が有名です。毎年12月31日、新年を告げる鐘の音が鳴り響き、建物の下に集まった大勢の人々が12粒のブドウを食べるのが伝統的な行事です。

 またマドリード市の紋章の要素を表現した熊とマドロニョの像があり、この像は待ち合わせによく使われます。

 広場の反対側にはマリブランカ像(17世紀の作品の複製)が、広場の中心、マリブランカ像のすぐ近くに、マドリードを近代化したカルロス3世の騎馬像があります。

参考:Wikipedia プエルタ・デル・ソル
   マドリード観光オフィシャルサイト−プエルタ・デル・ソル



プエルダ・デル・ソルのカルロス3世騎馬像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 プエルタ・デル・ソルから北側のプレシアス通りが繁華街となっています。この通りから枝分かれしているいくつかの通りも下の写真のように上にネットがかけられています。


プエルダ・デル・ソルからカリャオ広場に向かうプレシアス通り 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


プレシアス通り 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 プレシアス通りから右折し、サルー通りという狭い通りに入ります。この先にあるグラン・ビア通りというメインストリートに面したホテルにチェックインしました。

 プエルダ・デル・ソルやその北側の繁華街は人が大勢いて賑わっているのですが、やはりバルセロナと比べると、相対的にではありますが、街並みに歴史的な味わいが乏しく、明るさに欠け、熱気が無いような印象を受けました。

 このような印象を受けたのは、あるいは曇天だったせいかもしれませんが、地中海に面して独立心旺盛なカタルーニャ(バルセロナ)と、内陸にあって中央集権的にスペインを統一したカスティーリャの気質の違いもあるのではないかとも感じました。

つづく