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問われる政策提言、制度設計能力
青山 貞一 

掲載日:2004.7.25, 8.1、12.26改訂
未曾有の財政危機 破綻寸前の都道府県財政 県議会の反応は? 
問われる政策提言、制度設計能力 「報酬・年俸」の実態 「政務調査費」の実態
「海外視察」の実態 米国地方議会の議員数と年俸

地方分権時代における都道府県議会の役割

 では、地方分権時代における都道府県議会の機能、役割とは何だろう?
 まず以下は、全国都道府県議会議長会が考える地方分権と都道府県議会の役割である。

全国都道府県議会議長会が考える地方分権と都道府県議会の役割

1.改革についての基本的な考え方 

 地方分権の推進に伴い、地方公共団体には行財政能力の充実が期待されている。特に機関委任事務の廃止により関係省庁の関与等が減少し、地方公共団体が自ら決定し実行する範囲が拡大する。これに伴い、執行機関を批判監視し、政策を立案し、当該団体の意思を決定する地方議会の役割と責任が重要性を増すことはいうまでもない。地方議会は住民の代表機関、意思決定機関として、これまで以上に住民の意思を反映した活動を積極的に行わなければならない。このためには、地方議会を構成する議員が地方議会の役割と責任を十分認識して議員としての役割を果たすことが基本である。同時に地方自治法制定以来、50年を経た現在、地方分権の推進に伴い、地方議会の制度、運営の両面 で改善すべき事項は、この際改め、地方議会が住民の負託にこたえて活動できるようにする必要がある。

 このような観点から、改革実現のため特に次の事項に留意すべきである。
 
(1)政策提言能力の強化

 議会は、自ら進んで政策の提言を行うべきであるが、行政が高度化・専門分化したことや、議会を補佐する機構がこれにこたえられる体制になっていないことなどにより、議員が具体的な政策内容を規定した条例案等の議案を提出することが困難になってきている。

 現在、これを補完するため、議員は、審議の場で各種の提言を行い、また議会は、決議を行うことにより政策を明示し、知事がこれを予算や条例等の議案に取り入れることによって、間接的にこれが実現されている。議会は、法制能力の強化を図るととともに、議案の形式にこだわることなく、討議を通じて住民間の利害調整や施策の順位づけを含め、具体的な政策提言をさらに積極的に行うべきである。

 また、議会の提言は、これまで公共サービスの充実を求めるものになりがちであった。このことは住民福祉の観点から当然のことであるが、地方財政の現状から、行政の簡素合理化、経費の効率化を図ることについても積極的に言及すべきである。
 
(2)監視機能の強化

 地方議会には、政策立案、団体意思決定、執行機関に対する批判監視等いくつかの役割があるが、行政が複雑・広範・高度化している現在、批判監視機能の発揮が年々重要になりつつある。最近は民間オンブズマン等の活動が活発である。議会も、本来の役割を認識し、行政監視のための補助組織を整備強化することにより、自らオンブズマン的活動を行う等より一層の監視活動を行うべきである。
 
(3)住民の代表機関としての役割重視

 議会は住民の代表機関である。議会は、選挙のときだけでなく常時民意の吸収と住民への情報提供に努め、必要に応じ住民との間で討議を行うなど、住民と一体化した活動を行い、その役割を十分に果たさなければならない。議会は、そのための具体的方策を検討し実践することにより住民の議会離れ、政治離れの防止に努める必要がある。

 知事等の執行機関も住民代表である議会を尊重し、これと密接な関係を保持しなければならない。知事等は重要事項の決定・実施に当たっては、定例会の開催中に限らずこれを積極的に議会に報告・説明し、議会の意見を聴取するなど住民の代表機関である議会を積極的に活用すべきである。
 
(4)議会運営の自主性の発揮と独自性の確保

 地方分権の推進は、自治権の拡大により各地方公共団体の自主的で多様な運営を可能にするが、議会運営においても各議会は、自主性を発揮し、独自性を確保すべきである。

 同じ議会といっても都道府県議会と市町村議会では、かなり異なる点がある。都道府県議会の中でも、その地域をとりまく諸情勢や各議会の諸条件によって差異がある。各議会は、画一的、マンネリ的運営を排し、各議会の実情に応じ自らの判断と創意工夫により、活力ある議会の運営を図る必要がある。


◆疑われる議員の基本的資質、能力!?

 地方分権との関連でもっとも地方議会、議員に要求される機能は言うまでもなく、政策立案機能であり、政策立案能力である。

 一般的に言って、今の日本の地方議会議員の待遇は、彼らが年間実際にしていることに比べ、よすぎるのではないだろうか? 

 後述するように米国やスウェーデンなど欧米諸国では、昼間に議員以外の本業を行い、夕方から夜にかけ議会を開催している自治体が多いのである。

 実際、地方議員には高額な報酬、特権的な旅費や政務調査費をもらいながら、議員として本来具備すべき立法能力や政策提案能力、すなわち資質が備わっているひとが少ないと思う。 議員として具備すべき資質、能力がなければ、立法事務、立法提案など、できようもない。

 となれば本来、議員は資質はまだしも、具備すべきことを日夜勉強し少しでも習得すべきである。だが、地方議員の場合、奮励努力、勉強している議員にはあまりお目にかかれない。多くの議員は、よくて当選してから、そのイロハを学んでいる。それでも奮闘努力していればよい方だが。

 その結果、地方議会には、ただたまたま立候補し、選ばれただけと、言う議員が議席の多くを占める異常な状況が現出している。本来すべき最低限のことすらない、非常にお寒い現状が日常化している。

 問題は、このような議員に限って、地方を蹂躙する法律や法改正に、従順にそれに従う。知事が法律がもつさまざまな課題を解決するために、地方の実情に即した条例案を提案しても、その本質をまったく理解しようとせず、表相的な議論や揚げ足取りの批判、ヤジで対応し、地方からの改革を挫折させている、と言ったら過言であろうか。

 たとえば、今の地方自治法は、さまざまな課題がある。総務省(旧自治省)主導の法改正の多くは、その課題を解決するどころか、さらに課題を増やす可能性すらある。

 2001年、地方自治法一部改正による住民訴訟制度改正が衆議院で議論された。この改正は以下の記事にあるように間違いなく改悪であった。同時に行われた地方自治法を改正し、市町村合併を推進するための住民投票制度の改正にも多くの問題があった(下の記事参照のこと)。

 だが、都道府県知事、市町村長でこれらに疑義を唱え、さらに反対したのは、知事では田中康夫知事、市町村町長ではニセコ町長くらいであった。まして地方議会でこれに反対したり、まともな議論をした議会はほとんどなかったのである。その結果、地方自治法が改悪されたのである。

 またこのときに行われた地方自治法改正により、合併特例債までつけ、国主導の一方的な平成の市町村合併がその後、地方行政、地方自治に著しい影響を与えていることは、周知の事実である。
 
地方自治法改正案 時代に逆行する大改悪だ
住民訴訟が骨抜きに 毎日新聞2001年11月14日東京朝刊


 「官官接待」など自治体の無駄遣い是正に大きな役割を果たしてきた住民訴訟制度が骨抜きにされようとしている。

 前国会から継続審議となっている地方自治法改正案が成立すれば、住民が首長らを直接、訴えられず、機関としての自治体を訴える仕組みに変わる。応訴費用に税金を充てられる自治体が優位に立ち、手弁当で闘う市民らの苦戦は必至だ。時代に逆行する大改悪と言わざるを得ない。

 現行の住民訴訟は、不当な公金支出などにかかわった首長や職員、業者を住民が自治体に代わって訴え、損害賠償させる。株主の代表が経営者を訴える株主代表訴訟の自治体版といえる。1948年に、やはり地方自治法改正で導入された。

 官官接待やカラ出張だけでなく、公共工事の落札価格が談合により不当につり上げられたとして、落札業者を訴える例も最近は増えている。総務省の外郭団体「自治総合センター」によると、99年度までの5年間に提訴され判決が出た584件のうち、住民側勝訴は6・3%の37件。福井秀夫・政策研究大学院大教授は「勝訴に近い和解を含めると1割超」と分析する。

 改正案では、住民訴訟を2段階に変える。まず住民が自治体に対し「あなた(自治体)は被害者なのだから、加害者(首長ら)に損害賠償を請求しなさい」という訴訟を起こす。住民側が勝訴すれば、今度は自治体が首長らを訴える。

 背景には「現行制度は個人の負担が重すぎる」という首長らの声があるそうだ。「多額の訴訟費用を負担し、退職後も裁判が続く。職務上のことで個人責任を追及されるのはつらい」と、総務省の担当者は代弁する。「実質的に政策の当否を問う訴訟が多く、政策判断が委縮する」ともいう。

 しかし、最終的に負ければ個人が賠償する点は同じだ。途中の訴訟費用が重いなら、総務省が音頭を取って、訴訟費用を立て替える共済制度でも作ればいい。

 福井教授は「政策判断の委縮も根拠にならない」と指摘する。公共事業そのものの是非など実質的な政策論を住民訴訟に持ち込んでも、財務会計上の不正を正すという制度の趣旨に合わないとして、ほとんどは退けられているからだ。

 首長らが怖がるのは山口県下関市のようなケース。同市は破たんした第三セクターのフェリー会社の借金を肩代わりするため、8億4500万円を支出した。98年6月の山口地裁判決は住民側の訴えを認め、元市長に全額を市に支払うよう命じた。今年5月に広島高裁で出た控訴審判決も3億4100万円に減額したが住民側勝訴だった。

 98年の1審判決は首長らの間に衝撃を広げ、住民訴訟脅威論が高まるきっかけになったという。しかし、これが「政策判断」だというなら、大いに委縮してもらっていい。行政の責任者として、その程度の緊張感を持つのは当然だ。

 総務省は「自治体が被告になれば内部資料などが証拠として提出され、説明責任が強まる」という妙な理屈も展開する。しかし、東京都の下水道設備談合をめぐる住民訴訟を担当する高橋利明弁護士は「第三者だからこそ、自治体も資料を出してくれる。被告になれば、不利な証拠を出すわけがない」と、一笑に付す。

 談合企業を直接訴えることもできなくなる。全国市民オンブズマン連絡会議の代表幹事を務める大川隆司弁護士は「本来は利害を同じくする住民と自治体が原告と被告として対立させられ、自治体が談合企業をかばう構図になる」と指摘する。税金を食い物にした企業を守るため、また税金が使われるのだ。

 これほど矛盾や問題点が多いのに、改正を強行しようとするのは、住民訴訟のハードルを高くしたいからとしか思えない。「役所のやることに口を出すな」というわけだ。

 「シビル・アクション」という米国映画がある。環境破壊に抗議する住民に、最初は金目当てだった弁護士が心を動かされ、最後は自分が破産するまで奔走する。実話だそうだ。「訴訟社会」と批判される米国だが、公正な社会を求め、市民が自ら行動を起こす気風は見習っていい。「法の実現」は役所の専売特許ではないはずだ。

 国会審議のカギを握る民主党には賛否両論あると聞く。同党のスローガンは「市民が主役」。その言葉にふさわしい結論を出してくれると信じたい。


分権損なう地方自治法改正案
福井秀夫 法政大学社会学部教授 2001年11月2日(金) 読売新聞朝刊 論点


 地方分権の本旨は、権限・財源を地方へ委譲して、きめ細かい住民サービスと地域の自律的発展を促すことにあり、首長等自治体の幹部は以前に増して倫理的・法的責任が求められる。逆に、責任を軽くするのでは、強大化する権力の歯止めがなくなり、腐敗と住民無視が助長されかねない。

 地方自治法に基づく住民訴訟は、談合や不正経理など自治体の財政上の違法を是正するうえで大きな役割を果たしてきた。最近五年間でも原告勝訴や和解などの比率は住民訴訟全体の10 %を上回り、一部で言われるような乱訴とは程遠い。

 ところが、現在国会で継続審議中の地方自治法改正案では、住民訴訟にあたっては、個人としての首長等ではなく機関としての首長等を被告としなければならなくなる。首長等の応訴の負担を軽減することで、業務を遂行する際、過度に慎重になり事なかれ主義に陥るのを避ける目的があるという。

 また、被告が敗訴しても、損害賠償させるためには、代表監査委員が個人としての首長等を相手に新たに提訴しなければならない。自治体に損害を与えた民間業者を被告として訴えることも禁じられる。

 改正法案は分権を損なうものであり、慎重な検討が必要だ。

 第一に、住民訴訟は首長等が住民全体に損失を与えた事実に基づいており、原告の住民は、自治体の利益を代弁する代理人としての立場に立つ。その意昧で、本来被害者同士である住民と自治体の関係をあえて敵対関係の構図に置き換えるのは、奇妙である。被害者である自治体も、訴えられれば、理由のいかんを問わず自己を正当化するのは公的機関の宿命でもある。

 住民訴訟と類似する私企業の株主代表訴訟で、加害者(取締役等)の負担軽減を目的に、被害者同士(会杜と株主)を争わせるのが適切だ、などという議論は聞いたこともない。

 住民・株主から業務を任された首長・取締役の責任は、組織ではなく、個人としてのものである。しかも、自治体の場合、首長等の報酬は、住民から強制徴収した税金で賄われる。民間役員よりも首長等の責任が軽いという理屈はない。

 第二に、改正案では、首長等は、弁護士費用をはじめ訴訟に関する金銭・労力的な負担を、すべて自治体、すなわち住民に負わせて最高裁まで争うことができるようになる。これでは、加害者が被害者の負担で我が身を守ることになる。一方、原告の住民は手弁当のため、両者はおよそ対等性を欠く。

 第三に、勝訴した場合、首長等の弁護士費用は個人負担とならないよう現行法でも措置されている。自らに恥じるところのない首長等が恐れることは何もない。本人死亡の場合、遺族が困っているなど特異な事例を、法改正の理由に挙げる向きもあるが、それなら賠償責任保険や賠償限度額の導入などを講じればいい。

 第四に、住民の貴重な財産を回復する機会や権利を、実質的に制限する機能をもつ。

 改正によって利益を受けるのは、無尽蔵の訴訟資源を私益のために投入できる、違法支出に覚えのある首長等である。

 労働組合員も条文上被告になりうるためか、一部組合が改正に賛成しているが、訴訟の被告は通常、最高幹部であって、組合員にかかわるのは犯罪に近い不祥事だけだ。当局と本来対峙する組合がこれを支持するのは矛盾であろう。

 首長等は、現在でも政策判断の是非で責任を間われることはない。過大な負担が間題だというなら、住民訴訟の対象に政策判断が含まれないことを確認する規定を置くのが筋である。

 国会は、法治国家の最高機関としての見識に照らし、まずは改正案を再検証して、良識にかなう措置をとるべきである。


 残念ながら日本の地方議会をつぶさにみると、肝心な「政策提言能力とディベート能力」のかけらもないひとが結構、議員になっていることに驚く。批判的精神が旺盛な議員であっても、「政策提言能力とディベート能力」がない議員ばかりでは、有権者は救われない。


◆制度提案しない地方議員

 そもそも、日本の議員の多くは自分たちが立法府、つまり条例などの制度を提案しつくることなどすっかり忘れている。忘れていると言うより、もともとその気がない議員も多い。条例制定のための立法提案など、およそ自分たちの仕事だと思っていない。

 これは何も地方議会だけでない。国会議員ですら、衆議院、参議院を通じ、圧倒的多くの立法は政府提案法案(内閣提案法)であって、重要な法案で議員提案はきわめて少ないのが実態ではなかろうか。

 私は1999年の冬から夏にかけての通常国会で参議院発の議員立法に係わった。そのとき、参議院法制局の資料から議員立法、それも参議院発の環境立法の数について調べてみたが、確か10年間に1ないし2本しかなかった。参議院法制局にも50〜60名のスタッフがいるはずだから、私たちは膨大な税金をそれらのスタッフに払っていることになる。


参議院予算委員会で後述する青山貞一(左)。この予算委員会で
参議院発の議員提案による環境法が誕生した!


  それでも衆参議員は野党議員を含め議員提案法案を出しているが、地方議会で議員が重要な政策分野で条例案を提案することはきわめて希である。


◆もちろん、地方議員のすべてがそうだと言うわけではないが....

 地方議員にも、資質、能力はじめさまざまな意味ですばらしい議員も少なからずいる。

 しかし、大変残念なこととして、彼らあるいは彼女らの絶対数が少ない。また無所属か少数会派に属することが多い。その結果、今の地方議会では、ほとんど発言機会や提案機会がもてないと言う実態がある。

 これは私が代表理事を務める特定非営利活動法人 「一新塾」(政策学校)※から地方議員になった塾生が寄せる意見からもよく分かる。

 ※ちなみに2003年春の統一地方選において一新塾から立候補した塾生のうち、
   70%以上が県議会議員、市区町村議員に当選している。さらに2004年秋の
   衆議院議員選挙でも4人が立候補し3人が当選している。


 一新塾の政策コースでは、「政策提言能力とディベート能力」を特に重視している。それは国、地方を問わず議員として具備すべき最低限の能力であるからだ。

 これらの能力はひとにあらかじめあるものではなく、自ら努力するとともに、一新塾のような政策学校で鍛えられはじめて身に付くものと考える


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