早春・欧州奮闘紀行 スロバキア ブラチスラバ旧市街 5 青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komchi Ikeda 2006年4月1日 |
||
その1 その2 その3 その4 その5
ウィーン ミラノ コモ ベニス ■4日目(月) 朝6時過ぎ起床。いつものようにホテルの食堂で朝食。 今日は韓国かDPRKとおぼしき男性が4−5名食事をしている。東洋人はきわめてめずらしい。黙々と食事しているが、たまの会話はどうみても韓国(朝鮮)語だ。 今日も風が強いが、雨、雪は降っていない。朝食後、ホテルをチェックアウトし、ホテルのリムジンでバスターミナルまで送ってもらう。料金は200SK。700円ほど。結局来るときの白タクは100SK多く取っていることになる。そりゃそうだろう。 ブラチスラバだが、総合的な印象は次のようなものだ。 すなわち、いまどきの一国の首都として、これほどのんびり、ゆったり、静かで、こじんまりした中世のような町はないと言う意味で、ギンギン、ギラギラの巨大都市ではまったく味わえないものがあった。私自身いままで何十と言う世界の国の首都を歩いたが、これほど観光地ずれせず、それなりに人々が宗教や哲学と言った精神文化を生活のなかで大切にしている町はお目にかかったことはない。 おそらくそれは以下のような歴史的経路から来ているものではないかと推察した。 それはスロバキアはかつて欧州の交通の要所として栄えたものの、他の東欧諸国同様、冷徹な社会主義、さらに共産主義の洗礼を受けることになる。 その後、わずか数100kmしか離れていないチェコで旧ソ連軍による「プラハの春」を目の当たりにする。 人々は、1993年、やっとのことで社会主義からのみならずチェコスロバキアと言う国家からも分離独立した。その後、イラク戦争を境にEUにまで加わったものの、欧米の市場経済社会にもなじめず質素な生活をベースに、カソリックのキリスト教を心の支えとする精神文化を未だ大切にしているからだと思う。冬場の非常に厳しい気象、気候、そのうえに成り立つ風土との関係もあるだろう。 西欧社会で巨大消費社会、グローバル市場経済にうつつを抜かしているなか、このような町がウィーンから一時間のブラチスラバで実在していることそのものが奇跡としかいいようもない。 いずれにしても、当初予想したように、観光地ずれしていない、素朴な中世の欧州の小さな都市、と言うイメージは図星だった。ほとんど日本人の観光客にもあわない。ウィーンからわずか1時間でこんなすばらしいゆったりとしたドナウのような時間の流れをそそかしこに感じ取れたのはすばらしかった。 ブラチスラバ旧市街の典型的風景。 今まで来た欧州はどうしても国際会議とかビジネスの合間でまとまった時間がとりずらく、ベルリンとか、アムステルダムとか、プラハとか、バルセロナと言った大都市、それも世界的な観光都市ばかりだった。それを思うと、土日にすべて歩いてまわれ、一流のフィルハーモニーが聞け、カテドラルでゆっくり、静かにお祈りができる中世ライクな町、ブラチスラバは、欧州の穴場かも知れない。 以前、ウィーンの友人にブラスチラバについて聞いたことがある。彼はそっけなく「行ったことがない」と言った。欧州を席巻したのハップスブルグ家の地元、ウィーン子にしてみれば、すぐ隣とはいえ、ブラチスラバなど眼中にないのかも知れない。これはブダペスト子にも言えることだろう。 しかし、けしてそんなことはないはずだ。欧州の小国はいずれも世界史に翻弄され続けた歴史を持っている。とくに東欧の国々は近代、現代になってからも翻弄されつづけた。その面影は、ひとびとの顔姿に残っていると感じた。来るときのバスの中の異常な静けさ、町を歩いていても同じだ。音楽で言えばウィーンがモーツアルトの長調とすれば、ブラチスラバは短調だ。同じドナウに接していながら、こうも違うのはなぜか、そんなことを感じる旅であり印象をブラチスラバに 感じた。 繰り返すがウィーンからわずか1時間1000円の交通費でブラスチラバを経験できるのだから、西欧を訪問する者は、日帰りでもよいからこの地を経験することをお勧めしたい。 バスターミナルからウィーン行きの長距離バスに乗る。出発は午前8時25分だ。行きに買った往復の切符を使う。今日の基本方針は、できるだけ早くウィーンに行き、ミラノへの飛行機の出発(午後3時30分)前に、市内をあちこち、できる限り視察することとした。 ウィーン行きバスに乗る人々 ブラチスラバを後にした長距離バスは時間通り午前9時30分頃、ウィーンに到着する。 ウィーンにつづく |