早春・欧州奮闘紀行 スロバキア ブラチスラバ旧市街 2 青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komchi Ikeda 2006年4月1日 |
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その1 その2 その3 その4 その5 ウィーン ミラノ コモ ベニス ■2日目(土)前半 朝6時過ぎ、ホテルの1階で朝食。 四つ星ホテルだけあってか、なかなか豪華なレストランと朝食だ。 バイキング形式のレストランではいろいろな食材、飲み物がある。クロワッサンにブルーベリー、ラズベリー、アプリコットなどのジャムとヨーグルトをつけて食べる。ジュースはオレンジ、トマトジュースも。 ホテルの部屋から見たブラチスラバ城と中世の町並みの一角 ゆっくり朝食。午前8時過ぎに旧市街を散歩。まず、ホテル近くの聖マルチン教会のカテドラルの前を通って、この町のシンボルとなっているミカエル・タワーに向かう。 聖マルチン教会は、14世紀に建てられたそうだ。相当遠くからも見える85mもの高さの塔を持っている。 何と、聖マルチン教会は、ブラチスラバがハンガリー王国のの首都だったとき、ハンガリー王家の戴冠式が行われた、という非常に由緒ある教会とのこと。 私たちのホテルはこのすぐ隣にあった。教会の庭にはハンガリー出身の音楽家であるリストなどの銅像が立っているそうだ。残念ながら今回は見れなかった。 ホテルの隣にある由緒ある聖マルチン教会のカテドラル 別角度から見た聖マルチン教会 土曜の朝なのに、通行人はほとんどいない。無人の町のようで気持ち悪い。 旧市街はバス、トラックはもとより、自動車も時間通行規制していて安心して歩ける。この旧市街地はブラチスラバ市のごくごく一部だどいうが、まさに中世の町並みをそのまま残している。その点では、ウィーンやプラハより、欧州のどこの都市より中世的であるかも知れない。 もちろん、外観は中世そのものだが、建物のなかは、「今風」にしている。 店の多くはウィーン同様、カフェバースタイル、昼は喫茶店、夜はバーが多い。次に多いのがレストラン。ただこの中世の小さい町、そのもののブラチスラバにも何とマックがあった。中世の町並みにマックは似合わない。その他、安売り航空チケット店、ブティック、宝石店などもある。 ブラチスラバ旧市街最大のストリート、ベンチュラスカ通りを歩く。同通りの北端近くに、観光客が必ず写真をとるミカエル・タワーがある。 その昔ブラチスラバのまちは、他の欧州の都市と同様、城壁に囲まれていた。ブラスチラバの旧市街には3つの門があったという。城壁の門は16世紀から塔式に改築されたが、そのひとつがミカエル門。今でも残っている。 見るからにルネサンス様式のミカエル門。その建設時期は16世紀の前半とされており、建設後18世紀の中頃に改修され現在に至っている。
ミカエル・タワーのゲートをくぐると、路面電車通りにでる。何と、大がかりな道路修復工事をしている。
そこを過ぎると、進行方向左にブラチスラバ城が見える。何はともあれまずはブラチスラバ城を攻略しようと、城に向かって歩く。どういうわけか、この旧市街には案内板がない。見える城を頼りに道を上がって行く。
天気が激しく変わる。昼間になって雲の合間からきれいな青空が 城へのアクセスはこの道が一番のよう。間違いない。城の足下に着く。門にある案内を見ると、午前9時から開城とある。 そこで城の周辺を歩く。城は小高い丘の上にある。ここからドナウ川がよく見える、遠くなだらかな山脈も見える。
隣にあるビルが気になる。近づくと人気のないビルからいかつい男性が出てくる。何の建物か聞くと、パーリアメント、スロバキア議会であることが分かった。確かに城の真ん前にスロバキア共和国議会なら理解できるし、許せる? スロバキア共和国議会棟から そうこうしているうちに、開門となり中に入る。 ブラチスラバ城から見たドナウ川。左端が宿泊しているドナウホテル 城のつくりは3本のタワー(本来4本だが数回の火災などにより3本を復旧したもの)、日本の城ならヤグラをもつ四角のシンメトリーの配置だ。その一角から中庭に入れる。しかし、何ともブッキラボーというか、味けのない中庭だ。 何もない。ドイツのドレスデンのツヴィンガー宮殿のように、中庭に花壇や噴水があればと勝手に想像する。もっぱら、中世のままを残すとして中世時代に中庭に何もなければ仕方があるまい。 ブラチスラバ城の外観 このブラチスラバ城は、かのマリア・テレサの居城だったそうだ。そんなこともあってマリア・テレサが好んだクリーム色が全体のトーンの基調をなしている。城のなかは、スロバキア国立歴史博物館と楽器博物館として使われている。 この城のつくりをみると、相当古くから要塞(シタデル)として使われていたことがわかる。 事実、ここには古代ローマ時代の遺跡もあるそうだ。 ブラチスラバ城の歴史だが、ハンガリー王国の支配下に入った10世紀に始まるそうだ。 城は歴代の城主によって、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式など、イタリアなどの城や教会にありがちな改修や改装が繰り返されて行き、最終的に18世紀中頃、マリア・テレサ時代に本格的に再建されたという。 その後、19世紀になって大火災が起こった。その結果、私たちが現在みているブラチスラバ城は第二次大戦後、時代区分としてはマリア・テレサの建物様式を再現しているとのことだ。マリア・テレサと言えば、ウィーンのシェーンブルグ宮殿を思い起こすが、そのシェーンブルグ宮殿の色も同じ、クリーム色だ。 ブラチスラバ城の位置。 旧市街の西、ドナウ川のほとりの小高い丘のうえにある。 中庭の一角に城の入り口があった。 下の写真にある白亜のすばらしい階段を上る。すると切符を買う場所とおぼしき受付がある。切符きりのおばさんがいる。ひとり80SK、日本円で300円ほどを払い、最初の展示物を見る。そのあと分かるのだが、回廊・シンメトリーの構造の城の居室それぞれが展示コーナーとなっていて、家具やマイセンのような磁器などの文物、肖像画などがゆったりと展示してある。 ブラスチラバ城に入ってすぐにある白亜の階段 土曜日なのに、城への訪問者はほとんどいない感じでどの展示場もゆっくり、ゆったりと見れる。 展示室のひとつにサムソンの大型液晶ディスプレーと船井のDVD装置によるブラチスラバ各地の城や文物、歴代の人物、自然公園などの映像と音声をかけてもらう。スロバキア語なので音声の方はさっぱりわからない。映像の方がきわめて秀逸、すばらしい。
ブラチスラバ城以外の地方にある城などがハイビジョン映像で綺麗に見れる。四季の自然も。
こんなかわいい絵も 城の内部展示の最上階に行くと、案内の女性がドアを開けてくれた。 4つある城のタワーの一つが展望台となっている。かなりの数の階段を上ると、ブラチスラバのすばらしい中世の景観が一望できた。これを見ただけでもここまできた甲斐があるというものだ。 ブラスチラバ城の敷地から見たブラスチラバ市内。 チェコの方角を臨む ハンガリーの方角を臨む。まさに中世の町並みそのもの。 高い塔は聖マルチン教会。 ゆっくり見るといくら時間があっても足りない。ひととおり見て中庭にでる。
WCが目に入ったので、中庭にあるトイレに行くと一人当たり20SKを取られるが、中はすごく綺麗、清潔だ。 欧州やトルコなどでは有料WCをよく見かけるが、城などの遺産を保全するためには、入場料や土産に加えこの種の収入が不可欠だろう。 城を出ておみやげ屋に入る。大した物はないが、日本語のブラチスラバ案内があるのにはびっくり。というのも今回、スロバキアに来る前、東京で何度もグーグルを使って日本語でブラチスラバを検索したが、何と100ちょっとかひっかからなかったからだ。そのアーティクルのどれを見てもブラスチラバは見るべき物がないという。実際、欧州のどこにでも見られる日本からの観光者はほとんどいない。 にもかかわらず、日本語の有料パンフレットがあるのにおどろいたわけだ。 おみやげ屋を出てから城のまわりを回遊する。プラハ城のように洗練されていないが、逆に純朴、素朴な庭が楽しめる。季節が春なり夏なら花々、木々が楽しめるだろう。 土産物やからでる。 ブラチスラバ(その3)へつづく |