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アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2003~2020
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune


  ポンペイ遺跡ブログ 3
Pompei Ruins Blog 3
    
青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2020年11月30日 独立系メディア E-wave Tokyo  
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 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

    
アマルフィの位置    ポンペイの紋章    イタリア国旗

◆ポンペイ遺跡ブログ3  2008年2月22日午後

アポロ神殿

 マリーナ門を入り少し行って左にあるのがアポロ神殿である。アポロはポンペイの守護神である。

 アポロ神殿のうち最初に作られた部分は、実に紀元前6世紀であり、ポンペイの建造物にあって最古の神殿とされている。その後、アポロ神殿は増築されており、AD1世紀のネロ帝時代に装飾がほどこされた。 当時は、48本の円柱で囲まれた長方形のけんぞうぶつであったが、現在に残るのは2本のみである。


「フォロ」にあるアポロ神殿の遺跡
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


古代の裁判所、バジリカ(Basilica)

 一方マリーナ門を入ってすぐに右にある遺跡がバジリカである。

 バジリカはBC120年から78年に建造された古い公共建築物である。おそらくポンペイで最も古い建築物であろう。規模は実に24×55mもある。


バジリカの建造物。正面に見えるのは裁判官用の建物

 肝心なバジリカの用途だが、当初、商業の用途に使われていたが、最終的に司法(裁判所)として使われた。地下にはいわゆる公文書館もあったという。バジリカの入口は公共広場、「フォロ」に面しており10m高のコリント式の円柱で支えられていた。


いまだ進む発掘と修復・再現作業

 バジリカの裏で発掘作業が進められていた。

 ところで世界遺産となっている現在の遺跡内では、あちこちで今でも遺跡の発掘や修復が毎日行われており、学芸員、大学、研究所などが発掘、修復作業をしている。 以下はバジリカの一角ですすめられている発掘作業(フェンスの中)。


バジリカ裏の発掘現場
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


バジリカ裏の発掘現場
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


公共空間・広場としての 「フォロ」(Foro)

 次は「フォロ」(=フォーラム、英語でForum)である。

 「フォロ」は有名なところでは、ローマのコロッセオに隣接する「フォロ・ロマーノ」に見られるにように広義な意味での公共空間「広場」である。 狭義な意味では政治、宗教さらに経済の中心地を意味する。


「フォロ」。左にヴェスヴィオ山の裾野が見える
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 「フォロ・ポンペイ」と呼ぶにふさわしいこの「フォロ」(公共広場)の規模は、38×157m ある。「フォロ」にはジュピター神殿、ヴェスパシアヌス神殿、ローマ人家庭の守護神の神殿、食肉の市場などがあった。

 下の「フォロ」の写真には、背景にヴェスヴィオ山が見える。ポンペイからみたヴェスヴィオ山はソレントからのものと違って双峰型になっていることが分かる。


「フォロ」。背景にヴェスヴィオ山の裾野が見える
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


「フォロ」。背景にヴェスヴィオ山の裾野が見える
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 「フォロ」のグランドは当時大理石床であったが、現在は芝生となっている。ここを根城とする犬が一匹いる(写真の左側)。下の写真にある列柱はフォロをとり囲むように建てられていたものの名残である。


「フォロ」の中心部。列柱が見える。
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


●イシス神殿(Tempio di Iside)の大噴火前後の再現図

 フォロから東に行くと、イシス神殿の遺跡がある。

 イシス(Isis)はエジプト神話の女神である。

 イシスはギリシア語であり、古代エジプトではアセトと言った。イシス信仰は、共和政末期にローマへ持ち込まれて発展した。

 ローマではIsis はIsideと表記されている。そのイシスはローマ帝国のほぼ全域で崇拝された。イシスがホルスに授乳する様子などが、イエスの母・マリアへの信仰の元になったといわれる。

 以下は現地で撮影した現在のポンペイ、イシス神殿正面の写真である。


イシス神殿の正面
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 以下は現在のIside神殿側面である。


イシス神殿側面
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 イシスは古代エジプトの女神でもある。

 その信仰は紀元前1世紀頃にローマにもたらされ、帝国全域で信仰された。AD79年の大噴火前のAD62年に地震がありイシス神殿は破壊されたがその後完全に復旧された。 イシス神殿を飾っていた数々の壁画は、ナポリの博物館に展示されている。


遺跡発掘時のデザイン画
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


大噴火前の神殿周辺を創造する絵画   出典:ポンペイ遺跡の展示板より
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


大噴火時の神殿周辺を創造する絵画   出典:ポンペイ遺跡の展示板より
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 
ポンペイ遺跡では、主要な神殿など建造物には、上記のような再現図とともに、推定される平面図、側面図、立面図などが遺跡のそばに表示されている。以下は、イシス神殿のもの。


イシス神殿の平面図、側面図、立面図、パース
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


イシス神殿の平面にあったフレスコ画
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


ポンペイ遺跡ブログ4につづく