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   東南アジア最後の秘境 ミャンマー

操り人形の観劇(2)
Mandalay Puppet play

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
(52) クドードォ・パゴダ(1) (53) クドードォ・パゴダ(2) (54) サンダムニ・パゴダ
(55) マンダレーの丘 (56) 操り人形の観劇(1) (57) 操り人形の観劇(2)

 下はミャンマーの操り人形、糸操り人形についての情報です。

◆操り人形劇
 糸操り人形のヨウッテーは、他国の影響を受けない、ミャンマー固有の芸能です。糸操り人形のヨウッテーは他国の影響を受けない、ミャンマー固有の芸能。子ども向けと思われがちですが、王様に愛された糸操り人形は大人が楽しむものでした。彫師により製作された人形は45-70センチの大きさ。命を吹き込む人形遣いの手にかかれば約13本の糸を操ることによって100以上の動作をするといいます。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Serial/Photoessay/200707.html

 また、以下は、ホテルで観劇しました操り人形劇を動画にしたものです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-4


影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-4

 さらに、以下はミャンマータイムズがマンダレーの操り人形の歴史について書いた著書と著者についての詳細な紹介記事です。





 
下は、上の新聞記事の日本語翻訳(池田こみち)です。

◆P
ulling strings: a history of puppetry
By Nandar Aung | Sunday, 26 January 2014

糸を引く:操り人形の歴史   
Nandar Aung 2014年1月26日(月)

 ミャンマーのマリオネットのアーティストがパフォーマンスを賞賛したいときには、人形遣いの仲間たちはみな「ラメイング(Lamaingという人物)の精神を受け継いでいる"と言うでしょう。ラメイング は仏教における劇団の支援者(パトロン)であり、その精神は、アーティストをインスピレーションで満たすのです。

 これは、本書「ミャンマーの操り人形」(Sarpay Beikman:K6000:出版元と値段と思われます)を読んで発見できる大変すばらしいことのひとつなのです。芸術作家であり、国の優れた人形遣いの一人であるYe Dwayによる(人形劇の)歴史であり、この伝統芸術が消滅しないように保護することを使命としてまとめられた著書といえます。

 本書は、2011年にSarpay Beikman 文学研究所による最優秀賞を受賞し、著者は、翌月マンダレーで開催されたイラワジ文学祭にほかの大勢の作家とともに参加しました。

 複数の図書は、ミャンマー語で操り人形と演劇について書かれています。また、英語で書かれた次の三冊の有名な本として、Noel F. Singer 著「ビルマの操り人形」、Ma Thanegi 著「幻の人生:ビルマの操り人形」、そして、Axel Burns 著「ビルマの人形劇」があげられます。

 しかし、分厚いめがねをかけた78歳になるこの人形遣いの作品(著作)は、どこか違っていました。彼は、ミャンマーの人形劇のユニークな側面に着目し、インドやタイの伝統と比較を行ったのです。

 「ミャンマーの人形劇の動きは(インドやタイとは)違います。円を描く動きなのに、他の劇団では、垂直的な動きをしています。多くの人は、ミャンマーの人形劇はインドやタイの演技を真似ていると考えていますが、私は違いを説明することにつとめました。」とYe Dway氏は述べています。

 人形は、娯楽として使用される前は、宗教的な目的で使用されており、一般的に、東は中国やインド、西はギリシャやイタリアを起源としたものだろうと考えられ
ていました。

 しかし、Ye Dway氏によれば、ミャンマーでは、操り人形はHsinbhyushin王時代(1763年〜1776年)のコンバウン王朝の時代に生まれたとしています。その後、即興演劇が人気を増していきました。海外から映画やその他の娯楽が入ってきたことが一因となって劇場が衰退していったのは、1920年代までではありませんでした。

 1963年、彼が27歳のころ、Ye Dway は、Tharyarwady において、年老いた人形遣い Aung Twin氏から人形遣いの芸について学びました。その2年後、彼は、ミャンマーでチェコスロバキアから招いた二人の女性の人形遣い、Eva Boctic KovaとJana Havlikovaのによる3ヶ月間の現代人形劇訓練コースに参加しています。

 この訓練を経て、Ye Dwayは100万チャットの資金と少なくとも35名の演技者を集めて、Dagon Aungと呼ばれる人形劇団を結成しました。1965年から1947年の間、この劇団は、上ビルマで大きな喝采を受けて上演していました。

 彼は、「今日では、こうした劇団を結成するのはより困難になっている」と述べています。劇場を維持するのは高額の費用がかかり、劇団もばらばらになって運営が難しくなっていくからです。彼は、「今は、ミャンマーの人形劇公演はほとんどなくなってしまった」と指摘しています。

 「若者は、人形を操ることに興味をもたず、公演を見ることもしません」と。しかし、人形そのものの市場は、ヤンゴンやマンダレーではまだそれなりに存続しています。人形たちは、舞台ではなく「人形館」に集められて展示されているからです。本書には、高品質の人形や衣装、公演のイラストが盛りだくさんに掲載されています。

 加えて、人形や衣装の作り方とともに、どのようにして劇団をつくるかといったことも書かれています。Ye Dway は、影、手袋、竿そして糸の4種類の異なる人形の使い方について詳述しています。いずれも南東アジア全域に見られる手法ですが、糸による操り人形だけがミャンマーの文化的伝統芸能のシンボルとなるまでに発達しました。「ミャンマーの操り人形」は貴重な本です。特にこのテーマについて論文を書く人たちにとって、また、素人歴史家にとって見逃せない一冊といえるでしょう。



つづく