メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 フォート・オーガスタス 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2017年12月10日公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ ネス湖 アーカート城 アーカート城博物館 フォート・オーガスタス フォート・ウィリアム1 フォート・ウィリアム2 グレンコー グレンコーの大虐殺1 グレンコーの大虐殺2 グレンコーの大虐殺3 グレンコーの大虐殺4 グレンコーの大虐殺5 ※ジャコバイトについて1 ※ ジャコバイトについて2 ◆フォート・オーガスタスの概要 私たちはネス湖をアーカート城から南西方向に下り、フォート・オーガスタスに到着しました。フォートはFortで砦を意味します。 出典:グーグルマップ 下はフォート・オーガスタスのまちの紹介です。フォート・オーガスタスはネス湖に注ぐ川のあるまちです。 フォート・オーガスタス Source: Wikimedia Commons フォート・オーガスタス Source: Wikimedia Commons オーイッチ川沿いの家々 Cottages on the River Oich Source: Wikimedia Commons フォート・オーガスタスの旋開橋(旋回橋)と湖 Source: Wikimedia Commons フォート・オーガスタス(Fort Augustus)は、スコットランドのハイランド地方にあるネス湖の南西端に位置し、Boleskine and Abertarff のパリッシュに属している集落です。 2001年の時点で、646人ほどの人口がありました。村の経済は、観光に大きく依存しています。 歴史 現在の村のスコットランド・ゲール語における名称は Cill Chuimein ですが、18世紀はじめまでは Kiliwhimin という名で知られていました。 1715年のジャコバイトの反乱以降、現在のフォート・オーガスタスに改名されました。かつての地名の語源として広く信じられている話によれば、かつて当地に教会を建てたアイオナ島の聖クメイン (Saint Cummein of Iona) に由来する命名であるといいます。 ほかにも、アイオナ島に2人いた修道院長のひとりが、スコットランドの氏族のひとつであるコミン氏族 (the Comyn) 出身で、その徽章にクミンに言及した Lus mhic Chuimein という言葉が記されており、これに由来する Ku Chuimein という名がこの村のもともとの名であるとする説や、ロッハバー (Lochaber) にいた最後のコミン氏族にちなんで Cill a' Chuimein(コミン氏族の故郷)とする別説があります。 1715年のジャコバイトの反乱後、将軍ジョージ・ウェイド (George Wade) は1729年から1742年までかけて当地に城砦を築き、時のイギリス王ジョージ2世の3男カンバーランド公ウィリアム・オーガスタスにちなんでフォート・オーガスタス(オーガスタス砦)と名付けました。 ウェイドは、この新しい駐屯地の周辺に町を作り、ウェイズバラ (Wadesburgh) と名付けようと計画していました。やがて集落は成長しましたが、その名は砦の名からとられることになりました。この砦は、カロデンの戦い直前の1745年4月に、ジャコバイト側によって攻め落とされました。 1867年に砦はラヴァット家 (the Lovat family) に売却されましたが、ラヴァット家は1876年に砦と周辺の土地をベネディクト会に寄託しました。この修道会によってフォート・オーガスタス修道院 (Fort Augustus Abbey) が設けられ、後には附属学校も設けられました。 附属学校は、スコットランドにおける教育制度の改革によって志願者が減少したために、1993年に閉校となりました。修道会は、トニー・ハームスワース (Tony Harmsworth) を雇い、施設をスコットランド最大の私設文化遺産センターに改装して1994年から1998年まで運営しましたが、建物の維持に十分な収益を上げることは出来ませんでした。 結局、修道会は寄託を返上してラヴァット家に不動産を返し、ラヴァット家はテリー・ナトキンス (Terry Nutkins) にこれを売却しました。ナトキンスは既に、1718年に建設された旧 Kilwhimen Barracks の4棟の兵舎のひとつの跡地に建つラヴァット・ホテル (the Lovat Hotel)を所有しており、その場所は、かつての砦の西の城壁部分にあたり、壁には銃眼も穿たれていました。ラヴァット・ホテルは、もともとは駅前ホテルとして建てられたものでした。 フォート・オーガスタス Source: Wikimedia Commons 交通 フォート・オーガスタスには、かつてはスピーン・ブリッジ (Spean Bridge) から結ばれたインヴァーガリー=フォート・オーガスタス鉄道 (Invergarry and Fort Augustus Railway) の終点フォート・オーガスタス・ピア駅 (Fort Augustus Pier) が、ネス湖岸に1903年から1933年まで存在していました。 当初はハイランド鉄道 (Highland Railway) が経営にあたっていましたが、後にはノース・ブリティッシュ鉄道 (North British Railway) がこれに代わりました。フォート・ウィリアムとインヴァネスを結ぶカレドニアン運河 (Caledonian Canal) は、階段状に配された劇的なまでの一連の閘門の連なりを経てフォート・オーガスタスを通過し、ネス湖へと至っています。 Caledonian Canal, Fort Augustus, Scotland Source: Wikimedia Commons フォート・オーガスタスのハイランド牛 Source: Wikimedia Commons 医療と教育 フォート・オーガスタスには、Cill Chuimein Medical Centre が医療サービスを提供しています。村には小学校 (Kilchuimen Primary School) と中学校 (Kilchuimen Academy) があり、校地は共有されています。 気候 ブリテン諸島やスコットランドの大部分と同じように、フォート・オーガスタスは、夏は涼しく冬は穏やかな海洋性気候に属しています。周辺の地域同様、日照時間は少なく、年間1000時間程度しかなく、気温の変化を予想することは難しくなっています。 フォート・オーガスタスでは、イギリス国内における5月の最低気温 ー9.4 °C (15.1 °F) が記録されたことがありますが、夏の到来も遅く、このような低温が生じるのは、風のない静かな夜に放射冷却を起こしやすい谷あいの位置によるものと示唆されます。この同じ地形が、場合によっては高い気温をもたらすこともあり、フォート・オーガスタスは、イギリス国内における12月16日の最高気温の記録を、80年近く保持していたこともあります。 つづく スコットランド総目次へ |