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真夏の群馬・栃木短訪

J一度来たかった「足利学校」
青山貞一
掲載月日:2012年9月13日
 独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁

 ◆特集:真夏の群馬・栃木短訪 2012.9.5〜9.8
@世界のクマ縫いぐるみ博物館  G奧草津の「チャツボミゴケ」公園
A鹿沢の「かえでの小径」  H庭山由紀・前桐生市議インタビュー 
B鹿沢の「たまだれの滝」  Iくだんの桐生市訪問
Cパノラマライン北コースと硫黄鉱山跡  J一度来たかった「足利学校」
D旧六合村の新名所「世立八滝」  K吉田松陰も来ていた「足利学校」
E群馬県企業庁の水力発電  L「足利学校」の希有な文物
F旧六合村の「冬住みの資料館」

●日本最古の学校訪問

 私達は、20数年前、岡山県にある西日本最古の学校とされる閑谷学校(しずたにがっこう)を兵庫県赤穂市の知人に案内され環境総合研究所東京と環境総合研究所大阪の所内旅行の一環として見学したことがある。


岡山県と兵庫県の県境にある西日本最古の学校、閑谷学校
出典:Wikipedia

 また何度か長野県長野市松代にある松代文武学校を見学したこともある。


松代藩の文武学校の入り口にて 
撮影:鷹取敦


松代藩の文武学校の入り口
撮影:青山貞一


松代藩の文武学校の全体図
撮影:青山貞一

 一方、東日本さらに日本全体で最も古く設立された学校とされる栃木県足利市にある足利学校に一度行ってみたいと思っていた。たまたま妻の淑子が数年前、東京からのバス旅行で足利学校を見学しパンフレットや下の写真にある孔子の論語抄を買ってきてくれていた。



 そんなこともあり、せっかく栃木県足利市に隣接する群馬県桐生市に行っていたこともあり、足利市を訪ね足利学校を見学することにした。

●足利学校への行き方

 桐生市同様、東京から足利市に行くのは、結構大変である。

 鉄道、自動車いずれを使っても、そう容易に行けない。足利学校でもらったパンフによると以下の通りである。

 鉄道の場合、東武伊勢崎線足利市駅、JR両毛線の場合には、足利駅で下車し、それぞれ徒歩15分、10分となっている。

 自動車だと、東北自動車道の佐野藤岡ICから30分、北関東自動車道の太田桐生ICから15分、佐野田沼ICから20分、足利ICから10分となると書いてある。

 今回、私達は桐生市から一般国道50号、桐生バイパスを使い足利市まで来た。



●足利市の歴史の概略

 足利市は、栃木県の南西部にある市で、となりは群馬県である。

 古くは足利庄が栄えて清和源氏義家流・足利氏発祥の地としても知られ、フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼んだ有名な足利学校がある。

 以下に足利市の歴史概要を示す。

 足利市は、下野国(現在の栃木県)足利荘(現在の足利市)の清和源氏義家流四男・義国からの足利氏ゆかりの地である。

 平安時代末期には足利義兼が源頼朝の縁戚として鎌倉幕府創設に尽力し、有力御家人の本貫地として発展した。

 鎌倉時代、足利尊氏は後醍醐天皇の討幕運動に参加し、室町時代に足利将軍家となった。足利市は足利義康の時代から絹の産地であり、近世近代において隣の桐生同様、織物業が発達し、その自由にして闊達な足利人の気風を生んだ。

 足利市は両毛線敷設の時、「ジャパンランカシャープラン」と命名し、資金を国内外から集め、横浜をリバプール、桐生・足利をマンチェスターに準えたが、これらは木村半兵衛の功績によるところが大きい

 なお、「足利」の由来は駅夫(駅から駅へと町の情報を伝える人)が足利きだったことに由来するそうだ。

 下の立体地図は、足利市全体を示したものである。市の南部を流れる川は、桐生市同様、渡良瀬川(わたらせがわ)である。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-9-7

●足利学校の歴史の概略(詳細は別途)

 足利学校は、下野国足利庄(現・栃木県足利市)にあった平安時代初期もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関である。

 室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府であったとされている。
 足利学校は、下野国、足利庄五箇郷村(現・栃木県足利市)にあったが、明治初期には建物があるだけとなり、明治5年(1872年)には廃校になっていた。

 以来、足利学校は、孔子廟などわずかな建物を残すのみであったが、1990年(平成2年)に方丈や庭園が復元され、一般公開されている。

 今日では、足利大学は足利市民の心のよりどころ、そして生涯学習の拠点であり足利学校は、足利市教育委員会によって管理されている。

 私達は、足利市到着後、足利学校近くの2時間まで無料の観光駐車場に車を駐めて、歩いて足利学校の入徳門に向かって歩いた。下は足利学校史跡内マップである。

 なお、足利学校は、今で言う自学自習の拠点であった。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-9-7



 下の写真は、上の地図の【史跡内マップ】とある位置で撮影したもの。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-9-7

●足利学校への入園

 下の池田さんが写っている写真の背後にあるのが入徳門である。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-9-7

 入徳門から入りしばらく進むと、学校門がある。学校門を入って右側に受付事務所がある。入場料は大人一人400円(団体の場合330円)である。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-9-7

 下は足利学校の入学証、このような証を入場者にわたすところは、なかなかすばらしい。



●足利博物館遺蹟博物館

 学校門を入ってすぐ左に、遺蹟図書館がある。東京都市大学で7年ほど、図書館長をしていたこともあり、図書館と聞くとどうしても足が向いてしまう。


足利学校遺蹟図書館(この写真は秋に撮影されたもの)
出典:Wikipedia

 この足利学校遺蹟図書館は、栃木県足利市の史跡足利学校敷地内にある図書館であり、足利市教育委員会の足利学校事務所が運営する市立の図書館である。

 現在は主に足利学校伝来の古典籍と足利ゆかりの郷土資料及び一般の参考図書のみを所蔵している。

 公共図書館というよりは専門学芸員を置き、企画展示が可能な専門図書館に近い施設といえる。蔵書冊数は約3万2000冊とのこと。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-9-7

 この図書館で平清盛展を開催していた。

 足利学校所蔵書籍に見る平清盛である。この催しは、9月13日まで開催とあった。さっそく遺蹟図書館に入る。

 この遺蹟図書館の平清盛企画展示には、大日本史、十訓抄、集古十種、続本朝通鑑、平家物語、参考保元物語、参考平治物語、翻刻愚管抄、複製平治物語絵巻、芸州巌島圓会、複製平家能経、複製文選中国南宋時代明州刊本、中国産磁器破片など貴重な書物が展示されていた。

 折からNHKが平清盛を放映していることもあってか、結構、来館者が多かった。

●足利学校遺蹟図書館の沿革
 
 足利学校遺蹟図書館は1903年、足利町(現足利市)によって設立され、同年8月1日に開館した。これより以前、足利学校は廃藩置県のあおりを受けて廃校となり、敷地の東半分は小学校に転用されていた。

 しかし、西半分は県から地元に返還され、足利学校の所蔵していた上杉憲実以来の貴重な蔵書は足利文庫として保存されていた。

 足利学校遺蹟図書館は足利文庫を引き継ぐとともに、栃木県内初の近代的公共図書館として町民に対して図書館サービスを行った。

 1914年、足利町会は大正天皇即位の大典を記念して足利学校遺蹟図書館の本館新築を決議し、木造瓦葺平家建て、452.95平方メートルの和風洋館建築が足利学校史跡内に建設された。新築なった本館は翌1915年に落成し、以来この建物は太平洋戦争を挟んで1970年代まで足利市域唯一の公共図書館として利用された。

 その後、1980年に栃木県立足利図書館が足利市有楽町の足利市民会館隣の設立されたのにともない、足利市域における公共図書館機能の主軸は市立の足利学校遺蹟図書館から県立の足利図書館に移されることになり、古典籍等特殊コレクションを除く遺蹟図書館の蔵書の大半は足利市から栃木県に寄託され、足利図書館に移管された。

 1990年3月には足利市の組織改正により足利学校遺蹟図書館の組織が廃止され、公立公共図書館としての足利学校遺蹟図書館は87年の歴史を閉じた。

 同年12月、足利学校跡の東半分にあった東小学校が移転した跡に足利学校の建物と庭園が復元され、足利市教育委員会の史跡足利学校事務所管理下に公開された。史跡足利学校の一部として管理されることになった足利学校遺蹟図書館はその建物自体が建設後80年を経て、1994年に市の指定文化財となり、建物の保存整備が行われた。

1995年、足利学校遺蹟図書館は新たに一般公開を行い、現在に至っている。

出典:Wikipedia

 以下は、遺蹟図書館に所蔵されている指定文化財の一覧である。おそらくこの図書館にしかない書物が多数あるのだろう。紙類はうまく保管管理をすれば、1000年でももつと言われるが、万一火事にあうと図書館の建物とともに一巻の終わりとなるので、火事には十二分に注意しないといけない。

国宝
・宋刊本文選(金沢文庫本) 21冊
 南宋刊本。もと金沢文庫に蔵されていたものを1560年(永禄3年)に
 後北条氏が足利学校に寄進した。
・宋版礼記正義 35冊
・宋版尚書正義 8冊
 いずれも五経正義の南宋刊本。上杉憲実が足利学校の公用に
 供するため寄進した旨の墨書をもつ。
・宋版周易註疏 13冊
・南宋刊本。上杉憲実の子、上杉憲忠の寄進。

重要文化財
・足利学校旧鈔本 4種19冊
・『周易』5冊、『周易伝』3冊、古文孝経』1冊、『論語義疏』10冊をまとめて
 指定したもの。いずれも室町時代中に足利学校で教科書として使用
 するため刊本から書写した写本である。
・宋刊本附釈音毛詩註疏 30冊
・『毛詩正義』の南宋刊本。上杉憲実寄進。
・宋刊本周礼 2冊
・南宋刊本。1449年に足利学校に寄付された旨の墨書がある。
・宋刊本附釈音春秋左伝註疏 25冊
・『春秋正義』の南宋刊本。上杉憲実寄進。
・宋版唐書列伝残巻 22冊
・上杉憲実が足利学校に寄進した『新唐書』の南宋刊本の残巻。
 埼玉県内の旧家に蔵されていたが、長澤規矩也によって
 足利学校に戻された

●天然記念物のナンバンハゼ
 
 遺蹟図書館のすぐ前に、天然記念物のナンバンハゼ(かいのき)の大木があった。この木は、楷(かい)の木とも言われ、おそらく中国から渡ってきた木のはずである。私がいた東京都市大学横浜キャンパスでは、「かいの木会」という卒業生と教員との同窓会組織がある。これは初代学部長が、中国から「かいの木」の苗を正規の手続きで日本に移送してキャンパスに植えたと聞いている。


ナンバンハゼ(かいのき)の解説
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-9-7


遺蹟図書館の前にあった天然記念物のナンバンハゼ
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-9-7


遺蹟図書館の前にあった天然記念物のナンバンハゼ
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-9-7

つづく