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初秋の上州
歴史・文化の拠点を行く

C浅間山大噴火と天明大飢饉

青山貞一 池田こみち
掲載月日:2013年9月15日
 独立系メディア E−wave Tokyo

 内 容 目 次
@ 渋川市の水澤寺 E 常林寺の道祖神と秋花
A 四百年の歴史をもつ水澤うどん F 蘇れ草軽鉄道
B 浅間山大噴火と鎌原観音、常林寺 G 旧草軽鉄道と高峰秀子
C 浅間山大噴火と天明大飢饉 H 旧北軽井沢駅
D その後の常林寺 I 旧北軽駅周辺の自然

 ところで、現在の常林寺は、大噴火前と別の小宿川の反対側、小高い里山のふもとちかくにあるが、その常林寺の駐車場の一角に以下の「天明浅間押し二百年祈念碑」がある。



 今まで、しっかりと最後まで読んでいなかったが、今回ブログを書くに際し、池田が上野「天明浅間押し二百年記念碑」に刻まれた石字を書き起こした。

 以下がその全文である。

天明浅間押し二百年記念碑

 時に一七八三年、天明三癸卯の歳七月八日、浅間山の大噴火は一時に多くの火砕流を急速に押し出し 山麓からさらに大量の泥流となって瞬時に村落を埋め人馬家屋田畑を諸ともに吾妻川に押し出し 利根川に合流して太平洋に運び去った。

 この浅間山山麓から吾妻川沿岸の流死者千五百人を数え内當寺から附与した流死者戒名数二十ヶ村千余名に及ぶ。

 さらに 噴火に伴う冷害等異常気象は前後数年に亘り、全国に及び為に天明飢饉の餓死者数十万に達すると言われ 史上最大の天変地異の災害を齎(もたらした)した。

 當山常林寺にあっては狩宿村黒源宅に斎出向中の歓鳳住職と田代村に檀用泊まり込みの龍道僧を残し、折しも吾妻川から逆流した浅間泥流によって留守居の六人と川向う大地にあった堂宇一切を奪い去り全村流出の小代 小宿両村と命運をともにした。

 斯くて今井村仮寺から二十余ヶ村檀信徒の汗血を注いだ伽藍再建の熱願みのる文政年間まで四十余年の苦難の歩みを辿った。

 明治四十三年水害後の川原畑吾妻川底に龍頭を失った光る梵鐘を発掘して唯一の災害物証を挙げ近くその龍頭も二百年後の現世にまみえるとか。

 今や天明浅間押し以来 二百年を数える豊かな昭和の代を迎えここ小宿川のほとり常林禅寺門前に泥流に流れ去った三原谷三十四番霊場第六番穴谷観音を再興し この日開眼法会を挙行して諸精霊の供養に捧げ 永久に天地の安泰を冀(こいねがう)う。

龍燈山 常林寺 三十世 邦 光 代

當寺より附与した村別流死者戒名数
 鎌原村 477
 寺 中   6
 小代村  17
 小宿村 131
 芦生田村115
 袋倉村  17
 古森村  14
 今井村   3
 石津村   1
 今宮村   3
 半出木村 44
 赤羽村  16
 中居村  11
 門貝村   3
 干又村   1
 西久保村 55
 大前村  36
 羽尾村   5
 熊谷村   6
 狩宿村   7
 他

 上の記念碑にある「噴火に伴う冷害等異常気象は前後数年に亘り、全国に及び為に天明飢饉の餓死者数十万に達すると言われ 史上最大の天変地異の災害を齎(もたらした)した」という一節は、さまざまな観点から貴重なものである。

 たとえば、火山大噴火による噴煙のチリが地表から10kmほど上空にある成層圏に入ると、数年間そのチリが地上に降り注ぐ太陽光、太陽熱を遮り、植物の炭酸同化作用ができなくなり、農業は全滅するという現象がある。

 これは「核の冬」現象、すわなち核爆発(実験)などをすると、爆発による膨大な量のチリが地表から10kmほど上空にある成層圏に入り、数年間そのチリが地上に降り注ぐ太陽光、太陽熱を遮り、植物の炭酸同化作用ができなくなり、農業は全滅し、しかも寒冷化をもたらすという現象である。

 記念碑の文章からは、そのことが世に言う、天明飢饉のもととなり、江戸時代にあって餓死者数十万をもらたした主原因であるとされている

 これは、気候文明史とでも言うべきものであり、過去の人類の歴史のなかで、たびたび世界各地で散見されている現象である。 以下はその例である。

文明の滅亡 火山噴火が寒冷化の一因か

 3500年前から再び寒冷化傾向が現れ、世界各地で干ばつが顕著になった。寒冷化のきっかけになった原因の一つに、大規模な火山噴火がある。

 火山性の噴出物がグリーンランドや南極の氷床コアから発見されており、これらは紀元前1627年の工ーゲ海サントリー二島の噴火と紀元前1159年のアイスランドにあるヘクラ火山の噴火のものである。

 サントリー二島の噴火は、噴火口の大きさが1883年のクラカタウ火山の2倍はあることから、噴出物は少なくともクラカタウ火山の4倍以上と考えられ、1815年のタンボラ火山級と推測される。

 この火山噴火が起きた後にクレタ島のミノア文明が衰退していったため、プラトンがその著作『クリティアス』で描いたアトランティス大陸の水没は、火山噴火による津波と地震によるミノア文明の惨状を描いたのではないかといわれている。

 また、アイスランドのヘクラ火山の場合、アイルランドやアナトリアの年輪分析から、顕著な気候変動が起きたことが確認されている。

 3500年前に始まる寒冷化の痕跡は、ヨーロッパだけではない。カナダでは100年から200年の間に平均気温が3度低下し、北部の森林限界は3500年前頃に200キロメートルから400キロメートル南方に動いている。

 また、乾燥化したことで山火事が多発した。カリフォルニア州ホワイトマウンテンのブリストルコーンパインの年輪には、3300年前の急激な寒冷化が残っており、アラスカでは3500年前から3300年前にかけて氷河が前進している。

出典:気候文明史 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/32745710.html

 私達は、別荘に行く度に鎌原観音をお参りするとともに、浅間山大噴火と、それによる周辺地域、農業、集落、吾妻川などへの影響について学んできたが、常林寺の石字の記念碑から、まさか天明の大飢饉の主たる原因が浅間山大噴火による寒冷化にあったとは、今まで知ることがなかった。

 私が学んできた多くの気候文明史の多くは、地中海のギリシアの島々であったり、インドネシアの島々、それも大昔のものであったが、西暦1700年代後半の江戸時代、しかも日本にあったことに驚嘆した次第である。

 なお、以下はWikipediaに見る「天明の大飢饉」の記述である。色を変えた部分に天明3年のの浅間山大噴火が書かれている。

◆天明の大飢饉

 江戸時代中期の1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した飢饉である。江戸四大飢饉の1つで、日本の近世では最大の飢饉とされる。

 東北地方は1770年代から悪天候や冷害により農作物の収穫が激減しており、既に農村部を中心に疲弊していた状況にあった。

 こうした中、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が、7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。

※岩木山(いわきさん)
 青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する標高1,625 mの安山岩(SiO2 56〜64%)からなる成層火山(コニーデ型)。円錐形の山容から津軽富士、また、しばしば「お」をつけて「お岩木(山)」とも呼ばれる。津軽平野のどこからでも見ることができる独立峰で青森県の最高峰。山頂部は、岩木山・鳥海山・厳鬼山(岩鬼山)の3つの峰で形成されている。日本百名山及び新日本百名山に選定されている。

 
火山の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下による冷害傾向をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。このため、翌年から深刻な飢饉状態となった。

 被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定で約2万人)が餓死したと杉田玄白の著書『後見草』(のちみぐさ)が伝えるが、諸藩は失政の咎(改易など)を恐れ、被害の深刻さを表沙汰にさせないようにしていたため実数はそれ以上とみられる。

 被害は特に陸奥で酷く、弘前藩(津軽藩)の例を取れば死者が十数万人に達したとも伝えられており、逃散した者も含めると藩の人口の半数近くを失う状況になった。飢餓と共に疫病も流行し、全国的には1780年から86年の間に92万人余りの人口減をまねいたとされる。
 
 農村部から逃げ出した農民は各都市部へ流入し治安の悪化が進行した。1787年(天明7年)5月には、江戸や大坂で米屋への打ちこわしが起こり、その後全国各地へ打ちこわしが広がった。
 
○異常気象の原因

 1783年6月3日、浅間山に先立ちアイスランドのラキ火山(Lakagigar)が巨大噴火(ラカギガル割れ目噴火)、同じくアイスランドのグリムスヴォトン火山(Grimsvotn)もまた1783年から1785年にかけて噴火した。

 これらの噴火は1回の噴出量が桁違いに大きく、おびただしい量の有毒な火山ガスが放出された。成層圏まで上昇した塵は地球の北半分を覆い、地上に達する日射量を減少させ、北半球に低温化・冷害を生起し、フランス革命の遠因となったといわれている。

 影響は日本にも及び、浅間山の噴火とともに東北地方で天明の大飢饉の原因となった可能性がある。ピナツボ火山噴火の経験から、巨大火山噴火の影響は10年程度続いたと考えられる。

 しかしながら異常気象による不作は1782年から続いており、1783年6月の浅間山とラキの噴火だけでは1783年の飢饉の原因を説明できていない。

 大型のエルニーニョが1789年-1793年に発生し世界中の気象に影響を与え、天明の飢饉からの回復を妨げたとの説もある。

出典:Wikipedia

 なお、青山は火山の大噴火、それに続く気候破局、寒冷化問題については、以前から大きな関心があった。もちろん、地球物理的な意味での関心もあるが、同時に、それがその後の歴史、文化に甚大な影響をもたらしたという意味での関心からである。

 火山の大噴火、天体落下、核戦争とそれに続く気候破局、寒冷化問題については、以下の著作が秀逸である。
 
 ※ M.I、ブディコ、G.S.ゴリッィン、Yu.A.イズラエル著
    エアロゾルによる地球的な気候破局〜大噴火、天体落下、核戦争〜
    学会出版センター、1988年10月10日初版

 以下は、同書による大噴火からの時間経過(年)と温度低下の例である。ただし、以下は浅間山の場合ではない。


 



つづく