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初秋の上州
歴史・文化の拠点を行く

B浅間山大噴火と鎌原観音、常林寺

青山貞一 池田こみち
掲載月日:2013年9月15日
 独立系メディア E−wave Tokyo

 内 容 目 次
@ 渋川市の水澤寺 E 常林寺の道祖神と秋花
A 四百年の歴史をもつ水澤うどん F 蘇れ草軽鉄道
B 浅間山大噴火と常林寺 G 旧草軽鉄道と高峰秀子
C 浅間山大噴火と天明大飢饉 H 旧北軽井沢駅
D その後の常林寺 I 旧北軽駅周辺の自然

 2013年9月12日、北軽井沢別荘の近くにある常林寺(じょうりんじ)という禅宗のお寺にでかけた。 

 常林寺(現住所、群馬県吾妻郡長野原町大字応桑547)には、今まで何度もでかけている。それには理由がある。


里山のこんもりした森の中にたたずむ常林寺
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2013-9-12


常林寺全景 
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-9-12

 常林寺は、旧小宿村近くにあるが、その周辺にはすばらしい里山があり、棚田があり、そして小宿川の渓流がある。何気ない小自然だが、これが何とも心地よいのである。まさに自然と人間との共生の原点を見る思いがするのである。


常林寺の周辺。そこにはすばらしい里山があり、棚田がある
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-9-12


そして小宿川の渓流がある
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-9-12

 ところで、この常林寺は、1783年、天明3年に浅間山が大爆発を起こしたとき、集落もろとも火砕流で埋没している。大噴火前、常林寺は、小宿川川を挟み反対側にあった。

 以下は、1783年、天明3年に浅間山が大爆発をの模様を書いた記録の一部である。

◆天明3年(1783年)浅間山噴火

 天明3年(1783年)、4月から7月初旬(旧暦)まで断続的に活動を続けていた浅間山は、7月8日(旧暦)に大噴火を起こした。

 このとき発生した火砕流に嬬恋村(旧鎌原村)では一村152戸が飲み込まれ483名が死亡したほか、群馬県下で1,400名を超す大きな犠牲者を出した。


天明3年(1783)の浅間山大噴火と鎌原村
上側にあるのが浅間山。下側が鎌原村
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10  2008.5
出典:鎌原村郷土資料館


天明3年の浅間山大噴火の経過
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10  2008.5
出典:鎌原村郷土資料館

 浅間山の大噴火により大量の溶岩と火山灰が噴出し、溶岩流は北側の吾妻川流域へ火砕流となり山腹を流下した。

 流下した溶岩は三派に分かれ、一派は東方の分去り茶屋に、もう一派は西方の大笹方面に、残りの一派は他の二派の中央を真直ぐ北流した。

 流下した溶岩は、大きな火砕流となって山腹を走り、分去り茶屋に向かったものは、小熊沢川と赤川に流れ込み、旧小宿村・常林寺を経て芦生田集落を埋没させた。


天明3年(1783)の浅間山大噴火と鎌原村
上側にあるのが浅間山。下側が鎌原村
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10  2008.5
出典:鎌原村郷土資料館

 大笹方面に流下したものは、大前で吾妻川に流れ込んだ。

 そして中央を北流したものは、旧鎌原村を直撃し一村を壊滅させた上で、現在のJR吾妻線万座・鹿沢口駅東側で吾妻川に流下した。

 浅間山噴火による火砕流の流下により旧鎌原村では一村約100戸が呑まれ、483名が死亡したほか、長野原210名、川島128名、南牧104名など多くの犠牲者を出した。

 以下はその一部である。
集落数 死者数 流家数 集落数 死者数 流家数
鎌原 483 152 長野原 210  
西窪 42 21 坪井 8  
与喜屋 55   立石   3
大前 74 100 川原畑 4 21
芦生田 23 43 川原湯 18  
赤羽根 15   川戸 7 10
羽根尾 20 51 岩井 1  
中居 10   川島 128 150
小宿 57 60 三島 16 57
今井 36   松尾 3 6
出典:国土交通省

 天明3年の浅間山大噴火では、常林寺は小宿集落にあり火砕流による死者数57人、流家数60戸であったが、浅間高原北側の鎌原村(現在、嬬恋村)だけで、死者が483人、火砕流による流家数が152戸もあった。 

 下は、この観音様に逃げ込んだ村民、数10名が生き残ったとされる鎌原観音である。この観音堂は私達の別荘からも近く、今まで別荘に来る度にお参りに出かけている。

◆浅間山大噴火と鎌原観音について


嬬恋村の鎌原神社
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2009.5.2

 以下の写真は2008年11月に撮影したものである。


嬬恋村の鎌原観音にて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10  2008.11.2

 以下の写真は2013年4月に撮影したものである。


嬬恋村の鎌原観音にお参りする池田こみち、鷹取敦
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10  2013.4


嬬恋村の鎌原観音にて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10  2008.11.2

 この鎌原神社は、天明の浅間山大噴火で多くの村民が亡くなったなか、下の写真にある観音様の階段を上りつめた数10人の命が助かったことから、今でも嬬恋村村民にとって大切な観音様となっている。


鎌原神社の「階段」
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2009.5.2 


天明3年浅間やけ遺跡の解説板
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10  2013.4


群馬県指定史跡、天明3年浅間やけ遺跡の解説板
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10  2013.4

 鎌原観音には、火砕流に追われ観音に逃げ込んだ村民の中で、母親をおんぶし階段を上ろうとし、途中で息が絶えた親子の遺骨の以下の写真が展示されている。

 詳しくは隣にある郷土資料館に資料や写真がある。

 
    火砕流に追われ観音に逃げ込んだ村民の中で、
    母親をおんぶし階段を上ろうとし、途中で息が絶えた親子の遺骨
    撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


上記親子それぞれの顔型。現在ならDNA鑑定すれば
親子であるかがどうかがすぐに分かるだろう。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


浅間山、十石なだれ、鎌原観音(発掘地点)の位置を表す写真
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2008.4


つづく