シルクロードの今を征く Now on the Silk Road ドルマバフチェ宮殿 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
| 総合メニュー(西アジア) トプカプ宮殿 トプカプ宮殿1 トプカプ宮殿2 プカプ宮殿3 トプカプ宮殿4 トプカプ宮殿5 トプカプ博物館1 トプカプ博物館2 トプカプ博物館3 トプカプ博物館4 コンスタンティノープル大宮殿 チュラーン宮殿 ドルマバフチェ宮殿 ブーコレオン宮殿 次はドルマバフチェ宮殿です。 ◆ドルマバフチェ宮殿 (Istanbul、トルコ) ![]() ボスポラス海峡上から眺めたドルマバフチェ宮殿 Users Robert.raderschatt on de.wikipedia - Originally from de.wikipedia; description page is (was) here, パブリック・ドメイン, リンクによる Source:Wikimedia Commons ドルマバフチェ宮殿Dolmabahce Saray)は、トルコのイスタンブールにある宮殿です。 新市街の北東郊外ベシクタシュ地区のボスポラス海峡に面した埋立地に位置しています。ドルマバフチェとは「埋め立てられた庭」と言う意味です。 概要 ![]() 1922年11月1日のアンカラのトルコ共和国政府による帝制廃止を受けて、ドルマバフチェ宮殿の裏口から同宮殿を後にする最後の皇帝メフメト6世。この写真が撮られてから数日後、英国の戦艦でマルタに亡命。 不明 - http://mideastimage.com/viewimages/viewimage.php?id=26, パブリック・ドメイン, リンクによる Source:Wikimedia Commons イスタンブールを征服したオスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1843年にアブデュルメジト1世の命によって宮廷に仕えるアルメニア人建築家が設計、従来あった木造宮殿を取り壊して建てられました。1843年に着工され1856年に完成しました。 以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されました。 様式 ![]() 初代トルコ共和国大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクはドルマバフチェ宮殿のハレムだった居室で執務し、そこで没した。現在も「アタテュルクの部屋」として、そのときのまま保管され、公開されている。 Gryffindor - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ヨーロッパから取り入れたバロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿で、外観や装飾は近代西洋風ですが、建物の内部は男性向けの空間と女性のみの空間(ハレム)に二分割され、ハレムには多くの侍女や宦官も勤務しました。ボスポラス海峡に向かう面は海側に門と桟橋を備え、宮殿から公道に出ずに船でイスタンブール市内を自由に行き来できるようになっています。 宮殿の面積は45,000m2で、285の部屋、46のホール、6の浴場(ハマム)、68のトイレがあります。 現在 オスマン帝国の皇帝がいなくなった後も、政府の迎賓館として使われています。トルコ共和国の初期にはイスタンブールにおける大統領の執務所として用いられ、1938年に初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクはこの宮殿で亡くなりました。彼が亡くなった9時5分で宮殿内のすべての時計が止まっています。 現在は観光客の見学に開放されています。 へつづく |