シルクロードの今を征く Now on the Silk Road チューラン宮殿 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
| 総合メニュー(西アジア) トプカプ宮殿 トプカプ宮殿1 トプカプ宮殿2 プカプ宮殿3 トプカプ宮殿4 トプカプ宮殿5 トプカプ博物館1 トプカプ博物館2 トプカプ博物館3 トプカプ博物館4 コンスタンティノープル大宮殿 チュラーン宮殿 ドルマバフチェ宮殿 ブーコレオン宮殿 次はチューラン宮殿です。 ◆チューrン宮殿 (Istanbul、トルコ) チュラーン宮殿(Çırağan Sarayı, Çırağan Palace)は、19世紀に建設されたオスマン帝国の宮殿です。 イスタンブールのベシクタシュ地区の海沿いにあり、ドルマバフチェ宮殿の北方、ユルドゥズ宮殿と近接した位置にあります。 ![]() チュラーン宮殿 Josep Renalias - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons 概要 ボスポラス海峡に面した風光明媚な土地で、同位置には18世紀のアフメト3世が邸宅を築き、娘婿で大宰相のイブラヒム・パシャが居住していました。 1834年にはマフムト2世がそれまでの邸宅を取り壊し、自分用の宮殿を建設しました。その宮殿も1857年にアブデュルメジト1世によって廃され、新たな宮殿が建設されかけたが、これはアブデュルメジト1世の死によって工事が中止されました。 現在のチュラーン宮殿はアブデュルアズィズの命により建設されたものです。 アルメニア人建築家ニコオス・バルヤンとその子サルキス・バルヤン、ハコプ・バルヤン(バルヤン家)の設計で、1863年から1867年頃に着工し、1872年に完成しました。外装は大理石で、内装は壁から天井まで木が使用されています。 宮殿庭園の外周は高い壁で囲まれ、すぐ後背の丘陵にあるユルドゥズ宮殿とは連絡橋で繋がっていました。なお、この時代のオスマン帝国のスルタンは上記のように各個人の私邸を建設する習慣があり、チュラーン宮殿はその例に則って建設された最後の皇帝私邸です。 ![]() マフムト2世の宮殿(1840年) 不明 - History of the Çırağan Palace, パブリック・ドメイン, リンクによる Source:Wikimedia Commons ![]() 火災(1910年) 不明 - History of the Çırağan Palace, パブリック・ドメイン, リンクによる Source:Wikimedia Commons 歴史 完成後、アブデュルアズィズが居住しましたが、1876年に亡くなったため、施工主であるアブデュルアズィズの私邸として使われたのはごくわずかな期間でした。次のスルタンであるムラト5世は私邸を建設せず、そのままチュラーン宮殿を使用しましたが、精神を病んでいたムラト5世はわずか93日で退位し、1904年に亡くなるまで同宮殿で軟禁生活を送りました。 1909年11月からチュラーン宮殿は議事堂として転用されましたが、その直後の1910年1月19日、屋根裏から出火し、外壁だけを残して焼け落ちてしまいました。この火事で多くの貴重な美術品や書物が失われました。 1930年には旧庭園用地にサッカーの競技場が整備され、ベシクタシュJKのホームグラウンドとなりましたが、宮殿部分は修復されずにそのまま廃墟として放置されまし。1946年には政府の所有からも外れました。 現在 ![]() 現在のチュラーン宮殿内部 Gryffindor - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons 1987年、日本の熊谷組が買い取り、大規模な修復が開始されました。工事は1989年に完成し、チュラーン宮殿は約80年ぶりに蘇えりました。 この修復工事ではホテルとしての機能が追加され、1990年からはドイツのケンピンスキーが、同国の最高評価である5つ星の格付けを持つ高級ホテルとして運営しています。 へつづく |