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西安城壁
百度百科5 西安 (Xi'an、中国) 

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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西安城壁  城壁(百度百科1)  城壁(百度百科2)  城壁(百度百科3)
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 次は西安城壁の詳細4です。参考は中国百度百科5です。

◆西安城壁 百度百科5Xi'an 中国西安市)



安全点検

 城壁と文化財の安全点検作業を行い、問題のある場所(患部)の状況を全面的に掌握しました。問題箇所について安全のレベルを分類し、それぞれの部位に相応しい保護措置を採用すると共に、城壁文化財の保護作業について更に科学的にまた、基準化して行うこととしました。2005年以降の、城壁文化財の点検内容が公表されています。それによると、1cm以上の亀裂が214箇所、比較的大きな沈降が15箇所、剥離腐食が28箇所、大規模な膨張箇所が5箇所、穴は大小2000箇所近くがあります。

メンテナンス作業

 城壁北段の74番~75番の馬面の陥没と沈下が見られ、東段の86番の馬面も陥没と亀裂がかなり酷く進行していて修復しました。含光門の城壁断面も同様に、水が溜まっている遺跡(水涵洞遺跡)のカビの除去、害虫駆除。塩害による白華の除去、壁の版築( 夯土:こうど)の脱落箇所の重点保護作業などを行いました。

 注)夯土(こうど)Wikipediaより
   版築(ばんちく)ともいう。中国では夯土(こうど)といい,三方囲いの板枠を用いて家の壁や塀に広く
   用いられる。 土を建材に用い強く突き固める方法で、堅固な土壁や建築の基礎部分を徐々に高く
   構築する工法を指す。もともと石灰分を多量に含んだ微粒子から成りこの工法に著しく適した黄土が
   広く堆積した黄河流域で古代から用いられ、特に発展を見せた工法である。 なお版築で作った壁等
   の構造物自体を指して版築と呼ぶ場合もある。
   本来、版築自体はほぼ土や石(礫)と少量の石灰や稲藁等の凝固材の混合物でできているが、現在
   ではセメントを混ぜコンクリートに近い特性を持たせることも多い。

 2012年9月、西安で50年で最大規模の豪雨が三回あり、城壁の文化財の安全対策上大きな脅威となりました。管理委員会はこのとき、城壁及び文物の問題箇所について多種多様な措置を執り、城壁の安全と雨による影響を軽減するため力を尽くしました。

 城壁の一部は非常に重篤な課題を抱えています。具体的には;86番の馬面の陥没沈降、城壁基礎部分の空洞化、60番馬面の亀裂及び陥没と空洞化、玉祥門北側の43番の馬面の城壁全体に敷き詰めた石の緩みと激しい亀裂と陥没、32番の馬面壁本体の亀裂の急激な拡大、14番、16-17番、26番、46番、86番の馬面などの比較的激しい沈降と水溜まり等の課題、これらの見所の問題箇所の修理は一部終了一部は現在も作業中となっています。

 城壁文物の維持管理と修理に加えて,観光地となっている4つの門の城楼、箭楼、城上の敵楼には色彩絵による塗装工事が終了しています。


習Xi大統領は市壁を検査した
出典:中国百度百科

検査保護対策

 2005年から、専門家グループを雇用し、城壁の重点部位の全面的な点検モニタリングを実施しました。そして、順次、城壁文化財の保護と安全警報システム(セキュリティシステム)の構築を進めています。

 2007年には、城壁のセキュリティシステムのインテリジェント化を行い、監視室(モニタリングルーム)を設置して、全部で61台の監視カメラを設置し、城壁の保護と安全確保に努めています。

 南門城楼の修繕は終了し、南城壁部分の煉瓦が剥がれ落ちたところのはめ込み作業は終了しました。城壁本体と古代建築の深刻な問題については、そのレベルに応じて重点的な修理を実施しています。城壁文化財保護巡査制度の制定、城壁本体外側の重点監視部位26箇所の確定、観測標識の設置は終了し、観測地点と観測基準値の確定を行いました。これにより、城壁と壁本体及び古代建築の日常的な巡視作業が強化されました。

 日常管理については、専門民間業者に、環城西苑、城の壕の保護の試験部分、また、城壁の清掃クリーニングについて、業務を公開し、民間企業による管理を行い、庭園の手入れ、衛生管理についてきちんとした作業の実施など管理を委託し、一般市民の反応も非常に良好です。環城西苑、城壕の試験的部分については、既に西安城市建設の新たな拠点として公開されています。城壁は一日中綺麗に清掃されており、観光環境は大幅に改善され、国内外の観光客から高い評価を得ています。

地下鉄の建設保護:

 地下鉄建設業者は文化遺物の安全性を確保するために5項目の措置を講じています。:①路線の迂回、②シールド工法の採用、③鐘楼及び城壁の補強(強化)、④振動の少ない工事、⑤常時監視。

 西安地下鉄の「まず回避し、(文化財の)保護が重要」というモットーに基づき、文化遺産や遺跡を効果的に保護することができました。西安地下鉄2号線の建設は将来的に様々な地下鉄路線工事に際して、文化遺物の保護のための成功した経験を提供することができ、将来的に西安地下鉄建設に際して、沿道の文化遺産の安全確保に役立つことになるでしょう。

立法による保護

 2006年初頭、法務局と北西大学政治学及び法律学部は、地方の条例で城壁の保護と管理を規制するものとして「西安城壁の保護条例(草案)」を共同で制定しました。同じ年に、西安市議会の人民会議は、西安市の立法計画に、初めて、「城壁保護条例」を加えました。

 2006年初頭、法務局と北西部政治科学法大学は、「西安市壁の保護と管理を規制する地方規則」を共同で制定しました。同じ年に、西安市人民会議は、西安市の立法計画に最初に城壁保護規則を含めました。

 「西安城壁保護条例」は、2009年11月1日に施行され、毎年11月の「西安城壁と親しむ日」1号として設立しました。条例は、省と西安市の両方の議会で批准されました。この条例は西安の「帝都(皇城)復興」計画の一部であり、世界無形文化遺産としての申請に向けた準備として進められます。

 「条例」は、社会の各界各層、国内外の組織および個人に対して、城壁を保護するための西安市城壁保護基金の設立を応援促進しています。城壁および壁本体、城門内側から20メートル以内、城壁外側の濠の外沿エリアと4つの城門の内外の広場と緑地の保護エリア、さらに、城壁内側20メートルから100メートルの区域と壕の外側180メートル以内の区域の建設制限地域が対象となります。

 保護対象エリア内での落書き、汚染物の排出、ごみの積み上げ、危険物の保管、その他城壁の安全性を損なうおそれのある行為は禁止されています。また、勝手に城の壕で魚を取ったり釣ることも明確に禁止されています。また、何人も、城壁を使用して許可なく営業活動を行うことは認められていません。もし西安城壁のフィルム(映画)撮影などが必要な場合、テレビ、広告、その他のオーディオビジュアル素材を用いて撮影したり、大規模なイベントを開催したりする必要がある場合は、規定の手順に従う必要があります。行政機関は、規制違反に対しては、最高50万元の罰金を科すことができます。

 2009年4月29日、「西安市城壁保護規則(案)」が市議会常任委員会の第15回会議で最初に検討され、世論や意見が広く取り上げられました。


市壁夜景(安苑ゲート)⇒西安城壁の見所ガイドマップ
出典:中国百度百科

保護活動

“城墙亲近日”(城壁に親しむ日):
 2009年11月1日、「西安城壁保護条例」が公布施行され、同時に「城壁に親しむ日」の宣伝活動が行われました。

 2010年11月1日、「西安城壁保護条例」公布1周年を記念して、「城壁と親しむ日」関連の活動が南門の吊り橋広場で行われ、城壁保護活動の写真展が開かれました。「西安城壁保護条例」と「陝西省文化財保護条例」に基づき、広報宣伝諮問会議が設立され、児童福祉院など市の部署や市民が招かれ、観光客2000人あまりの城壁参観料が免除されました。同時に市民観光にも城壁が解放されました。

 2011年11月1日、 「西安城壁保護条例」制定2周年を記念して、 "城壁に親しみ、文化を共有しよう"をテーマにした一連の宣伝活動が開催されました。

 その後、「西安城壁保護条例」の公布日の記念活動は毎年続けられています。

学術研究会

 2006年に、国家文化遺産管理局は、南京、西安、荊州、興城など4つ城郭都市をまとめて「中国の明と清時代の城壁」として中国世界文化遺産のリストに加え申請しました。山西・大同及び浙江・臨海の2つの都市も遺産を申請する意向であり、中国の明と清王朝の城壁保護の仲間入りをしました。これがすなわち、「4 + 2」方式と言われるものです。

 2011年9月11日~12日に、南京、西安、荊州、興城と大同、臨海を含む6つの都市の代表者が、西安で中国古代年学会城壁保護専門委員会の4 + 2都市の第3回学術検討会を開催しました。現在、会議は6つの都市で城壁保護専門家と管理者によるプラットフォームを設置し、相互に切磋琢磨し交流を行っており、城壁保護の「4+2」方式を形成しています。
 
市壁アプリケーション:

 城壁(の世界遺産登録へ)の申請:
 西安城壁は1987年から世界文化遺産への申請をはじめ、過去二回、西安城壁申請に邁進する国が「世界遺産登録準備リスト」に登録宣言をしていました。

 2003年に、西安城壁管理局は、陝西省文化遺産局に対し、正式に世界文化遺産申請の報告を提出しました。2006年12月15日に、西安城壁と南京城壁が一緒に、「中国世界文化遺産予備リスト」に登録されました。

 2011年10月、陝西省文化遺産保護センター古代建築研究所は「西安城壁申請書」の作成を委託され、最初の草案は10月31日に完成しました。世界文化遺産申請すると「文化遺物の個々の保護だけでなく、文化遺物の環境を保護すること」も求められます。政府は城壁の保護と良好な周辺環境の創造のためにも、西安城壁の申請を後押ししています。

 2012年11月17日に北京で開催された全国世界文化遺産プロジェクト会議では、45項目の異なる種類の文化遺産が国家文化遺産管理局によって、「中国世界文化遺産保護準備リスト」として更新され、西安城壁もその中に列記されました。

西安市壁保護財団

 2011年6月30日、西安城壁管理委員会は陝西省の西安城壁保護基金会と準備会を開催し、協議しました。
 2011年7月21日、管理委員会は、「基金管理規則」の関連規定に従って、西安壁保護基金会の設立を市文化遺産局に正式に申請しました。
 2011年9月には、中国古都学会城壁保護箭門委員会4+2城市第三回学術検討会を招集開催し、西安城壁保護基金会の成立を宣告し、西安市は新たな方式のモデルをもって西安城壁の保護を探求していくことになりました。

歴史的価値

 西安の古代城壁は、古代中国の働く人々の知恵が一箇所に集まっていて、明代の歴史、軍事や建築を研究するための貴重な実物の資料を提供しており、封建社会の城市建設、歴史、軍事、建築芸術など、すべてにおいて、非常に高い価値を有しています。なんと言っても、西安城壁は、文字のない歴史書に他なりません。


明時代の西安府
出典:中国百度百科

 西安は世界で4つの古代首都の1つであり、王朝の数が最も多く、中国史上最長の歴史を誇っています。長は当時、唯一の人口が100万人を超える国際化した大都市であり、城壁の規模で当時の年と比較してもローマの城の7倍あり-千年後には中国の首都北京の倍の規模でした。唐王朝末期になると、李朝の衰退に伴い、長安城は外郭城と宮城の改築を諦め、帝都(皇城)のみが再建され、規模が大幅に縮小されました。

 現存する西安城壁は明時代の洪武7年から11年(1374年-1378年)に建てられ、唐の長安城の帝都(皇城)を基礎として建築されたため、この明代の城壁の歴史は、その前身である唐時代の長安城まで遡ることができます。6世紀の大建築士である宇文恺によって建築された隋の大興城は、千年を超える中国の歴史にとって、学べ分析できまた、鑑賞もできる歴史の担い手となっています。

 注)大興城
  中国の隋王朝を開いた楊堅(文帝)が、漢以来の長安の近郊に建造した都城。現在の西安。隋の
  文帝(楊堅)は長安に大興城を建設し首都とした。周の鎬京、秦の 咸陽もその付近にあった。漢の
  高祖が長安を首都として以来、晋、西魏、北周の都として続いたが、隋ではその近くに新たに都城
  を建設した。それが大興城である。
  北周に代わって隋を建国した文帝は、北周が使用していた長安城が建物の老朽化、汚水の処理や
  飲料水の確保にも問題があったので、ただちに鮮卑系の宇文愷(うぶんかい)に命じて新首都の建
  設を開始した。宇文愷は旧都のやゝ東南の龍首原という台地を選び、ここに東西10km弱、南北9km
  弱の外城壁をもつ巨大な方形都市を創案した。これが唐朝に引き継がれた長安城である。

 明王朝時代に城壁が最初に建設されたのは、東南西北4箇所の城門でした。それぞれの名前は長楽門、永寧門、安定門、安遠門であり、当時の人々の生活の平安と安楽を思って名付けられました。20世紀の2-30年代には、中山門、玉祥門、勿幕門が開設され、これらはいずれも、特筆すべき革命の先駆者たちの名字からその名前がつけられています。新中国誕生以降も多くの城門が設置され、平和や建国と命名され、時代の特徴を鮮明に反映したものとなっています。また、朱雀、含光といった唐時代の城門の名前が再度使用され、ある種、文化伝承を体現したものとなっています。

 明の街と人は、いずれも自己がはっきりした個性を持っているに違いなく、歴史文化ある西安の名城、その鮮明な城市(帝都)としての個性は、城市建築を実現する必要上非常に大きく作用していると思われます。

 都市の開発過程において、古い建物を壊し取り除くことはごく正常なことではありますが、ただ、古い建築物はいずれも歴史遺産として非常に貴重なものであり、巨大な文化を含んでいます。そのため、古いものをすべて排除するのではなく、その是非を見分ける必要があります。級建築の価値を確認し、必ず、細心の保護を加える必要があります。この観点からの西安市の作業は最善、細心を尽すことからはほど遠いですが、いずれにしても、経験を尽くして、明時代の城壁の完全な保存を完全に終了ることは難しく、古都西安の大きな目標となっています。


西安の城壁の風光明媚なパノラマ
出典:中国百度百科

 第三に、西安城壁の保存と廃止をめぐる論争は、現代文明のレベルを検討するための試金石です。半世紀以上前に起こった西安城壁の保存と廃止をめぐる論争は、実際のところ、異なる領域と異なる修養に基づく二種類のタイプの人たちの異なる主張を示しています。

 大躍進の時期は、西安城の解体の声がわき上がっていました。文物遺産担当者はその当時、当時の西安市当局への陳情がうまくいかず、市を飛び越えて、国務院の介入を要請しました。1959年9月29日、西安市は「西安城壁保護に関する国務院」からの通知を受け取りました。12月28日、西安市長の刘庚は、「城の煉瓦のはぎ取り行為や城の土を掘ったり、その他の環城壁を破壊する行為の即日厳禁」と記載されたその文書に署名しました。この文書は、城壁の生命線の壁を救い、西安城壁の苦難はなくなり、辛くも惨事を免れることが出来ました。1961年3月4日に、西安城壁は最終的に国務院が第一級の全国重点文物保護対象施設と認定し発表されました。

 今日の西安城壁は中国で最大かつ最も完璧に保存されている古代の城壁であり それについては、西安城壁の保存を主張した見識ある人々に崇高な経緯を払わなければなりません。当面、西安城壁の存廃を巡る論争は近代文明の大きな試金石を考え合わせて判断する(配慮する)時期(期間)であり、ことに、彼らは自らの鮮やかなきらめきと高い品位を物語っています。

 第四に、西安城壁は市民や帝都の記憶が具体的に凝縮しているところです。

 長い歴史の流れの中では、西安城壁は「二虎守長安」の時代の凄惨な武器を使って渡り合い、抗日戦争時期の日本の侵略者の飛行機による爆撃、大躍進時代の城壁の傷だらけの惨状、直前の20世紀の80年代の市民の労働奉仕による城壁の修復場面、そして、今の城壁での国際マラソン競技会、全国的な漢式衣装での結婚式、「世界最初の儀式」と呼ばれる「酔長安--大唐迎賓盛礼」....これらの帝都(城市)の記憶と同じ物質文化遺産の城壁がしっかり結びついて、歴史的価値と人類の文明的財産に満ちているのです。


西安の城壁夜景
出典:中国百度百科

現代文化

地下鉄サイン


 西安の地下鉄の標識は城壁の主要なマークです。主な色調は中国の赤と白で、「城壁のマーク」と類似しています。表示看板の形は四角が採用され、デザインの中にまさに、西安のランドマークである城壁と地下鉄が一体化して描かれています。城壁章のデザインは正方形で、国内の現有の地下鉄標識の大多数が採用している円形や不規則な形のデザインではなく、中国では初めてのものでした。四角は、中国の印鑑を思い出させる意味合いも有り、ある意味、地下鉄が市民へのサービスという意味合いも含んでいるという認識もあります。

国際マラソン

 西安市壁国際マラソンは1993年に設立され、西安市人民政府が主催し、西安市体育局が主催し、毎年11月に開催されています。


西安マラソン  出典:百度百科

西安の城壁国際マラソン

国際マラソン競技会
 西安城壁国際マラソンは1993年に創設され、西安市人民政府主催で、西安市体育局等が担当し、毎年11月に開催されています。

 西安城壁国際マラソン競技のルートは、永寧門城楼東側200メートルのところから出発し、経文門-和平門-長楽門-朝陽門-解放門-安遠門-尚武門—玉祥門—安定門—含光門—永寧門城楼西側で終点となり、全行程は13.7キロメートルで
す。

 西安城壁国際マラソン競技は世界60の国や地域からマラソン愛好者が集まります。競技大会として成長するとともに、人々の関心や注目が年々高くなっています。

名誉受賞歴

 
2018年4月13日、西安壁は「神秘の西北100景」に入賞しました。
 2019年9月17日、「2019中国旅行ブランド影響力大会・国内観光地選出」総合
大賞(グランプリ)を獲得しました。

観光開発

 西安城壁は、2004年に古都復興計画の担い手として、一歩一歩、西安の歴史と文化の中核的な分野となり、西安の人的、文化的分野を反映し、古都西安の特色の一つである重要なブランドであるとともに、西安が世界に通用する特別な名前(名刺)となっています。


クリントンが1998年6月25日に西安を訪問   出典:百度百科

 城を保護する壕は全面的に浚渫され、除去された浚渫泥の量は13万立方メートルに及びました。壕の試験部分での景観改修工事は全面的に竣工しました。城壁のライトアップは全線完成、鉄道駅に繋がる場所の城壁の照明は西安の新しい夜景を作り出しています。

 観光文化活動については、長安の古代音楽文化週間を実施し成功しました。また、「唐都上元不夜城」と題する灯会(元宵節に開かれるさまざまな‘彩灯’を見る会)、中秋の観月動(中秋に月の動きを鑑賞する会)、「鐘鳴盛世,祈福長安」(鐘の音とともに世の中の反映と幸福長寿安寧を祈る)新年を祝う活動、城壁国際マラソン競技会等、毎年開催される大型文化観光イベントは10以上あり、まさに、これらは、観光地独特の文化観光ブランドを創り出しています。

 その中でも新年を祝う活動は今後も城壁観光特有のスポットとなり、西安の市民にとって新年を迎える重要な祝賀行事として固定化しつつあります。

 先頃、国際歴史的遺跡理事会第15回大会、第12回広告祭、第1回欧州アジア経済フォーラム、モバイル映画祭、また、盛大な西安賓客城壁ツアーなどが開催され、西安城壁の知名度と影響力が非常に高まっています。

 1983年、西安市人民政府は、市の建設整備計画に合わせて1000万元を投資し、環状都市公園の建設を始めました。その後、城壁の上の排水系統を完成させ、敵台と姫垣(城壁の上に創られた凹凸型の低い壁)を順次修復しました。黒川の水を曲江池と興楽湖を経由して壕に引き込みました。壕の両側に植樹した後、塀をとりまく環城の林を造りました。花壇や芝生が城壁の下一帯に整備されました。

 西門から東門へは、順次、松園、牡丹園、石榴園、桜園、吉備真備園、含光閣、架け橋、吊り橋、南門の月城などの観光スポットがあります。

 雄大で壮大な西安城壁は既に市内で最も人気のある観光名所のひとつとなっています。城壁の外側にそって造られた環城公園は市内の居住者にとっても最適絶好の運動の場所となりました。

 注)吉備真備
  吉備 真備(きび の まきび)は、奈良時代の公卿・学者。元の名は下道 真備(しもつみち の まきび)。
  唐にて学ぶこと18年、天平7年(735年)に玄昉と同船で帰路に就くも種子島に漂着するが、多くの典籍
  を携えて帰朝した。唐では経書と史書のほか、天文学・音楽・兵学などを幅広く学び、帰朝時には経書
  (『唐礼』130巻)、天文暦書(『大衍暦経』1巻、『大衍暦立成』12巻)、日時計(測影鉄尺)、楽器(銅律管・
  鉄如方響・写律管声12条)、音楽書(『楽書要録』10巻)、弓(絃纏漆角弓・馬上飲水漆角弓・露面漆四節
  角弓各1張)、矢(射甲箭20隻、平射箭10隻)などを献上し、『東観漢記』をもたらした。

観光情報

・住所:西安の城壁は陝西省西安の繁華街に位置し、碑林区、新城区、蓮湖区の三区にまたがっています。

・時間:南 門(年間を通じて08:00-22:00)
    含光門(年間を通じて8:00-17:30)、
    その他の門(4月1日~ 4月30日、08:00-18:00)
          5月1日~10月31日、08:00-19:00
    11月1日~翌年3月31日、08:00-18:00)

    南門での上演時間:
     南門での古代の様式や方法をまねるたパフォーマンス(毎日09:30南門吊り橋広場)
     武士軍陣パフォーマンス(毎朝10:30、午後16:30 南門甕城)

・交通機関:公共交通機関
    -4、7、10、15、18、21、23、31、43、45、201、107、202等はバスで西門に行く路線
    -6、9、26、28、33、36、37等は地下鉄二号線で北門つきます。
    -11、12、16、23、26、31等は地下鉄二号線で南門につきます。
    -8、22、27、29、33、37等はバスで東門につきます。

・チケット:大人54元、(身長)1.2~1.4メートルの子供、学生証(修士以上の学生、外国の大学の学生証を除く)、65~70歳の高齢者は27元/人。 城壁での自転車レンタルは可能で1台45元、二人乗りは90元/台。 いずれも200元のデポジットで借りることができます。

・登城地点:西安城壁には8つの登城ポイントがあります。それらは;東門、南門、西門、北門、和平門、文昌門、含光門、尚徳門です。
 これらの門からの登城チケットは、最寄り場所を選んで登城チケットを買うことができます。


甕城(おうじょう)つづく