|
|
以下は建長寺の全体概要です。出典は主にWikipediaです。 ◆建長寺の概要 境内: 所在地 神奈川県鎌倉市山ノ内8 山号 巨福山(こふくさん) 宗派 臨済宗建長寺派 寺格 大本山 鎌倉五山一位 ※鎌倉五山について 本尊 地蔵菩薩 創建年 建長5年(1253年) 開基 北条時頼、蘭渓道隆(開山) 正式名 巨福山 建長興国禅寺 札所等 鎌倉二十四地蔵9~11番 鎌倉三十三観音霊場28番 文化財 絹本淡彩蘭渓道隆像・大覚禅師墨蹟法語規則・梵鐘(国宝) 山門・法堂・絹本著色釈迦三尊像ほか(重文) 建長寺の三門 出典:Wikipedia 概要 建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)といいます。 建長寺は、鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧蘭渓道隆です。 第二世は同じく南宋の兀庵普寧です。鎌倉五山の第一位境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されています。 建長寺 出典:Wikipedia 歴史 創建 建長寺は鎌倉幕府5代執権北条時頼によって創建された禅宗寺院で、建長5年(1253年)に落慶供養が営まれています。 開山(初代住職)は宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)でした。 蘭渓道隆像 蘭渓道隆筆「法語」(建長寺蔵、国宝) 当時の日本は、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定し、京都の中央政府の支配力は相対的に弱まり、鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代でした。北条時頼は熱心な仏教信者であり禅宗に深く帰依していました。 創建の時期については、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』に建長3年(1251年)から造営が始められ、同5年(1253年)に落慶供養が行われたとあります。造営開始時期については建長元年(1249年)ないし2年からとする異説もありますが、おおむね建長元年(1249年)頃から造営の準備がなされ、同5年(1253年)に完成したとされています。 建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であり、北条氏の本拠地でもありました。 建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていました。 建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものです。また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来しています。 開山の蘭渓道隆は中国・宋末の禅僧で、寛元4年(1246年)、33歳で来日しました。 はじめ筑紫、京都に住んだ後、宝治2年(1248年)に鎌倉入りし、建長寺が創建されるまでは常楽寺(鎌倉市大船に現存)に住んでいました。 当時の日本には、すでに半世紀以上前に建立された建仁寺(京都)や寿福寺(鎌倉)などの禅宗系寺院がありましたが、当時これらの寺院は禅宗と他宗との兼学であり、純粋禅の道場としては建長寺は、聖福寺(北九州)などに次ぐ古さを誇るとされています。 伽藍配置は中国式であり、寺内では日常的に中国語が使われていたといいます。 蘭渓道隆の禅風は中国宋時代の純粋禅を受け継いだ厳格なものでした。道隆は弘長2年(1262年)京都の建仁寺に移りましたが、2年後に鎌倉に戻って建長寺住持に復帰しました。 その後、文永の役の際には中国側のスパイと疑われたためか、甲斐(山梨県)に流されたこともありましたが、のちに許されて鎌倉に戻り、弘安元年(1278年)4月、建長寺住持に再度復帰しました。同じ年の7月、異国日本で生涯を閉じました。66歳でした。 蘭渓道隆像 出典:宮城県の指定文化財 その後 建長寺は正応6年(1293年)4月12日に発生した鎌倉大地震により建造物の大半が倒壊炎上、元から来日した一山一寧を第十世に任じて再建にあたらせました。 しかし、続いて正和4年(1315年)、応永23年(1416年)をはじめとするたびたびの火災で創建当初の建物を失いました。 鎌倉時代末期には修復費用獲得のため、幕府公認で元へ貿易船(寺社造営料唐船)が派遣され、「建長寺船」と呼ばれました。江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されましたが、1923年の関東大震災でも大きな被害を受けています。 伽藍(前頁までに紹介済み) 総門 三門 法堂 唐門(2011年の修理後) 庭園と得月楼 総門 三門(山門) 仏殿[ 法堂 唐門 華厳塔跡 その他 河村瑞賢の墓 境内には他に江戸時代初期の豪商河村瑞賢の墓などがあります。 境内および庭園 境内は1966年(昭和41年)9月12日、「建長寺境内」として国の史跡に指定されています。庭園は1932年(昭和7年)7月23日、「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定されています。「建長寺庭園」の指定範囲は仏殿前のビャクシンの植栽と、方丈裏の庭園です。 見学 指定文化財のうち、国宝の梵鐘は随時見学可能です。その他の書画、工芸品の大部分は鎌倉国宝館に寄託されており、同館の展示で順次公開されるほか、例年11月3日前後に3日間行われる「宝物風入れ」という行事の際、寺内で公開されています。 <参考> ※鎌倉五山について なお、近くの円覚寺でも同時期に同様の「宝物風入れ」が実施されています。 ◆建長寺境内の文学案内 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-11-27 つづく |