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千葉県北東部寺社短訪

正峯山 妙興寺多古町)


青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
2021年11月19日視察 2021年11月24日公開
独立系メディア E-wave Tokyo
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 まずは遠くから見えた妙興寺の山門と鐘楼を紹介。

◆山門

 以下は山門と仁王像の解説と写真である。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日

  妙興寺の威風堂々の山門


妙興寺の威風堂々の山門
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日



山門の仁王像
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日


作者、製作年など
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日



山門の仁王像
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日


作者、製作年など
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日


多古町指定有形文化財

 ◆妙興寺 山門
                          昭和62年8月21日指定

 入母屋造り、トタン葺き、繁棰(しげたるき)の二軒。三間三戸の八脚楼門で、妻飾りは、虹梁大瓶束式で蕪懸魚を懸けてある。

 平面は一は、桁行7.89m、梁間4.88mとし、主柱(径35cm)、控柱(径31~32cm)とも粽つきの円柱で、礎石上の礎盤は、木製である。

 下層の柱上は、和様三手先斗栱をすえ、象鼻をつけ、中備の蟇股(かえるまた)に多古藩主の家紋の彫刻がある。

 上層は、桁行を7.72cm、梁間4.24cmとし、径30cmの円柱に長押、台輪で結架し、柱上は、和様三手先斗栱、尾棰(おたるき)つきとし、中備は蟇股を入れ、軒下
は雲と浪の彫刻を施した板支輪を付けてある。

 この門は、県下で残存例の少ない三間三戸の八脚門で、両側面に仏像を納めた装飾も珍しい。当寺の記録と施工の手法からみて、江戸末期(文政年間)の建立と推定される。

昭和63年1月 多古町教育委員会


◆鐘楼

 次は妙興寺の袴をはいた立派な鐘楼。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日

 下は袴をはいた立派な鐘楼。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日

多古町指定有形文化財

妙興寺 鐘楼
                        昭和62年8月21日指定

 入母屋造り、銅板葺き、繁棰の二軒で、下層を羽目板囲いとした袴腰鐘楼で、妻構架は虹梁大瓶束式に組み、蕪懸魚を飾る。

 平面プランは桁行、梁間とも3.78mとし、入り口を西側に設け、片引戸である。

 基壇は、7.6m方形で、下層の柱は径37cmの角柱。柱は腰貫、飛貫、頭貫、台輪でかため、柱上は、二手先和様斗栱で上層の回縁を支え、木鼻は象鼻である。下層を囲む袴腰底辺長は、6.45m。

 上層は、円柱に縁長押、内法長押打ちとし、出組斗栱で軒桁を支持している。四周の回縁に和様高欄をつけてある。

 柱間は各辺とも、中央に花頭窓、左右は格子窓である。内部の床は板張り、天井は棹縁天井である。
 当寺の記録に拠れば、「明和六年に歿した三十八世の月廷が建立」とあり、施工の手法等からみて十八世紀中頃の改築と推定される。

昭和63年1月 多古町教育委員会


妙興寺3につづく