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千葉県北東部寺社短訪

妙光山・観福寺5香取市)


青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
2021年11月19日視察 2021年11月24日公開
独立系メディア E-wave Tokyo
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昼食  円静寺  日枝神社1  日枝神社2  日枝神社3
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撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日


出典:グーグルマップ


 この後、観福寺の高台部分の右側の伽藍や墓地をお参り視察した。ここには鐘楼、毘沙門天堂、伊能忠敬(伊能家)の墓地などがある。

鐘楼

  平成7年(1995年)に量賢和尚が建立(再建)している。


観福寺の鐘楼
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日



観福寺の鐘楼の前の青山貞一
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日


 下は季節外れのシャクナゲ。


季節外れのシャクナゲ
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日


毘沙門堂

  平成7年(1995年)に量賢和尚が建立(再建)している。


観福寺の毘沙門天
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日

 ※注)毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナ、
  梵: वैश्रवण, Vaiśravaṇa、巴: Vessavaṇa)
  毘沙門天は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、
  広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天
  王では多聞天として表わされる。また四天王としてだけでな
  く、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊とし
  て信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。
  出典:Wikipedia



観福寺の毘沙門天の前の池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日



 この後、観福寺にある緯度時代、現役退職後、歩いて日本全国を回り、正確な日本地図を作製した伊能忠敬の墓をお参りした。

◆伊能忠敬(伊能家)の墓

 以下は佐原の伝統と文化を大切にする会による現地に記事されいる伊能忠敬について解説。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日

 以下は伊能忠敬の墓の前に立つ池田こみち。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日

 ※注)伊能 忠敬(いのう ただたか[注釈 1]、延享2年1月11日
   (1745年2月11日) - 文化15年4月13日(1818年5月17日))
  伊能 忠敬は、江戸時代の商人、天文学者・地理学者・測量
  家である。通称は三郎右衛門、勘解由かげゆ。字は子斉、
  号は東河。, , 寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、
  17年をかけて日本全国を測量して[2]『大日本沿海輿地全図』
  を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。, , 1883年(明治
  16年)、贈正四位。


 以下は伊能家の代々の墓。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日

 なお、伊能忠敬については、以下の千葉県縦断の伊能忠敬と日蓮の足跡をたどる旅に詳細があるので参照して欲しい。。

◆青山・池田:伊能忠敬と日蓮の足跡をたどる千葉の旅
  2018年12月11日

 この後、以下の写真にあるように、観福寺の高所部分から本堂などがある部分に下り、参道から山門を経由して、近くにある佐原の山田屋別館で食事をする。この山田屋別館は青山が友人がいた佐原に来るたびに通った店である。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9990 2021年11月19日


昼食後 円静香寺へつづく