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   ボロブドウール寺院遺跡群
 Archaeological site of Borobdur temple

ムンドゥッ寺院 レリーフ1

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年1月31日
独立系メディア E−wave Tokyo
 
無断転載禁
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ムンドゥッ寺院のレリーフ(1)

 ムンドゥッ寺院を有名にしているの三体の仏像とともに、外壁などに彫られたレリーフです。

 下はお堂の中から階段方面を撮影した写真です。鬼子母神のレリーフは右側、毘沙門天は左側のレリーフは外壁にあります。



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix 9900 2016-11-19

 まず寺院に堂内に入る壁には鬼子母神や毘沙門天などのレリーフがあります。下のレリーフは鬼子母神です。

・鬼子母神のレリーフ


鬼子母神のレリーフ
撮影:池田こみち Nikon Coolpix 9900 2016-11-19



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix 9900 2016-11-19


◆鬼子母神

 鬼子母神は、仏教を守護するとされる夜叉で女神ヤクシニーの一尊です。

 夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王[1])の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べてしまっていた。そのため多くの人間から恐れ憎まれていたとされています。

 それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラを乞食に用いる鉢に隠しました。彼女は半狂乱となって世界中を7日間探し回わりましたが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなります。

 そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言いました。

 彼女が承諾し、三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻しました。そして五戒を守り、施食によって飢えを満たすこと等を教えたんどえす。かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となりました。盗難除けの守護ともされています。

主な出典:Wikipedia

 次は毘沙門天のレリーフです。

・毘沙門天のレリーフ


毘沙門天のレリーフ???
撮影:池田こみち Nikon Coolpix 9900 2016-11-19


◆毘沙門天

 毘沙門天は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされれます。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方があります。種子はベイ(vai)です。

 インド神話の財宝神クベーラを前身とされています。ヴァイシュラヴァナという称号は本来「ヴィシュラヴァス (vizravas) 神の息子」という意味で、彼の父親の名に由来しています。インドにおいては財宝神とされ、戦闘的イメージはほとんどありませんでした。

主な出典:Wikipedia


つづく