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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

南京大虐殺の前夜、唐生智は南京を

死守しようとしたが、蒋介石は3通の

電報で早急な撤退を命じた①

南京大屠杀前夕,唐生智本想死守,
蒋介石连发3道电令:从速撤退

来源:腾讯网/百度 2022年2月8日


中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2022年2月9日
 

蒋介石

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本文

01 - 命令される危険がある

 1937年11月16日、蒋介石は上級将官会議を開き、南京の防衛策を協議した。 その場の雰囲気は静まり返り、その場にいた上級将兵の誰一人として敢然と立ち向かおうとはしなかった。 唐生智は突然立ち上がり、至極真面目な顔で言った。

 ※注)唐生智(とう せいち)
   唐 生智(とう せいち、1889年 - 1970年4月6日)は中華民国の
   軍人および中華人民共和国の軍人・政治家。字は孟瀟。湖南
   省東安県芦洪市鎮生まれ。軍人としての階級は国民革命軍一
   級上将。
   唐生智は中華民国の建国初期から日中戦争が始まるまで、異
   るいくつかの重要な職務を担当し、上将の称号を授かった。国共
   内戦末期には湖南で中国共産党を支持し、それ以後は湖南の軍
   政機構で湖南省副省長などを務めた。唐生智の四番目の弟唐生
   明は国民革命軍の中将である。
   1937年12月における南京防衛戦の総指揮官であり、中華人民共
   和国成立以降も大陸に残った。1949年、湖南省知事に命じられ、
   中国国民党革命委員会の委員、全国人民代表大会の常務委員を
  歴任した。 「南京は我が国の首都であると同時に、国父の墓があ
  るところでもあります。 もし、戦わずに南京をあきらめたら、天にいる
  建国の父の精神をどうやって正当に評価することができるだろうか?
  私は南京を守り、南京とともに生き、南京とともに死ぬことを望んで
  いるのだ!」。 出典:Wikipedia

 唐生智の発言は蒋介石を喜ばせ、彼は直ちに南京守備隊の指揮官に任命された。 蒋の部下には文官や武将が多く、唐より軍事力のある人はたくさんいたのに、なぜ南京の警備に唐生智を選んだのだろう。

 蒋介石は3回の軍事会議を開き、南京放棄の問題を検討した。 しかし、誰も率先して名乗り出ない。誰もが心の中では、「南京は守れない」と思っていたからだ。

 上海陥落後、南京は軍事的に「行き詰り」となり、守るべき危険もなく、退却の道もなかった。 国民党政府が首都を重慶に移すことを決定したため、南京は国防上の戦略的意義を失った。 ほとんどの将軍は、南京を防衛しないか、少数の軍隊で象徴的に防衛することを提唱した。

 李宗仁は、「南京は戦術的に絶望的な場所で、敵は接近することができ、後方は長江に阻まれ、単純に退却する方法がなく、保持することができない」と主張した。 白崇西は、李宗仁の意見に賛同し、「我が軍は松湖作戦の後、特にひどく消耗しており、南京を守ることができない」と述べた。 何英欽や陳澄といった他の上級将校も南京を放棄することを主張した。

 蒋介石が無力であったもう一つの重要な理由は、兵力の不足であった。 南京の郊外に70キロメートル以上の陣地があり、迫り来る20万人以上の日本軍の精鋭にかろうじて対抗するには、少なくとも40万人の兵力が必要であった。 しかし、南京の防衛に参加できたのは15万人の国民党軍だけであった。



 太原の戦いでは国民党軍は40万人以上の兵力を投入し、松湖の戦いではさらに75万人の兵力を投入したが、30万人の兵士と民間人の重い犠牲を払ってなお敗退したのである。 そのため、蒋介石のドイツ軍事顧問は、「南京は無防備な都市であり、防衛するにしても重装備の部隊はなく、戦場に出しても必ず負ける」と断言していたのである。

 戦わずして退却、ましてや都を捨てるなど、千載一遇の不遇に陥るに違いない。 戦略的には南京を放棄すべきあろうが、蒋介石からすれば、南京を守らなければならないのあった。 南京の警備は誰がやるべきか? 蒋介石は、対日戦争準備の計画を担当し、上海と南京の戦争計画立案を主宰していた唐生智を思い浮かべた。

 唐生智の後日談によると、上海撤退の前夜、蒋介石から呼び出され、話をした。 蒋介石は彼にこう言った。「孟孝兄さん、南京を守るには、私が残るか、あなたが残るか、どちらかです」。 唐生智は、「よくもまあ、居られるものだ。 あなたが残るより、私が残ったほうがいい!」

 蒋介石は孟孝兄に、「委員長が残れと言っているのだから、どうして逆らうことができようか」と心の中でつぶやいた。 蒋介石は、「あなたの把握はどうなっていますか?」と尋ねた。 孟孝兄は、「危うきに近寄らず、難に几帳面という八つの言葉しかでない 」と答えた。

 蒋介石は、「南京を失った」責任を取ってもらうために唐生智を選んだのである。 南京の警備を引き受けた者は、スケープゴートにされる運命にあったのだ。 唐生智は当然それを理解していたが、すでに「虎の威を借る」状態であった。

11月20日、唐生智は南京駐屯地の司令官に就任した。


(2)へつづく

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