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第5回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2016-6
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune


ヘルクラネウム遺跡 現地視察
HERCULANEUM  Ruins

 
フォーラム 1
まちの公共広場/集会場/市民が議論する場

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

2020年11月30日 独立系メディア E-wave Tokyo

トラヤヌスのフォルムの遺跡  Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 2.0, リンク

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 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

ブロック IV
モザイク・アトリウムの家1   モザイク・アトリウムの家2   アルコーヴの家  フォーラム1  フォーラム2  鹿の家1  鹿の家2  鹿の家3

フォーラム 1
 まちの公共広場/集会場/市民が議論する場(Town's Forum)(ブロックV、カルドVI)


参照:AD79eruption - Google Sites

 フォーラムは、以下のブロック図で10-11近くにあります。


Source:AD79eruption - Google Sites

古代ローマとフォーラム

 フォーラム(ラテン語: Forum, 複数形は Fora)は、古代ローマ都市の公共広場のことです。 帝政ローマ時代のフォルムは四周をバシリカ、元老院、神殿などの公共施設や列柱廊で取り囲まれた計画的なオープンスペースとなり、屋根のない公共建築の観を呈するのが普通でした。

 フォ-ラムは、幹線道路上に集落が形成されるとき、その中心に商店などが集まる広場として造られた場所を起源としています。町が発展し都市となると、フォルムは商業活動の中心だけでなく、政治・司法の集会、宗教儀式、その他の社会活動が行われるオープン・スペースであり、また市民生活の上で最も重要な都市施設となっていました。

 古代ローマの都市は、フォーラムを中心として東西・南北の大通りであるデクマヌス・マクシムスおよびカルド・マクシムスが造られ、その軸線を基準とした碁盤の目状の都市計画がなされました。フォーラムの広さは市民の人口に応じ、形は3対2の比率の長方形とされました。

 フォルムの北端にはユーピテル神殿などの神殿やバシリカが建てられるとともに、フォーラムに面した神殿の階段は選挙演説を行う場所としても使われました。こうした典型的なフォーラムは、帝政時代の計画都市であった北アフリカのローマ都市に多く、東方属州の都市は、むしろ古代ギリシアのアゴラに近い自然発生的な広場が多かったようです。

 古代ローマの首都である都市ローマには、最も初期に形成されたフォーラム・ボアリウム、共和政期に国家の中心として整備されたフォーラム・ロマヌム、フォル・ロマヌムが手狭になったため、帝政期に新たに整備されたフォラ・インペラトラムがなどがあります。

 フォーラムの機能は、古代ギリシア都市の『アゴラ』のそれとほぼ同じでした。アゴラとの違いは、規模がフォルムの方が際だって大きいこと、空間が都市化の進展にともなって矩形に整備されたこと、周囲に列柱廊をめぐらせるようになったことなどです。 現代において似た機能を果たす都市施設としては、イタリア語ではピアッツァ、スペイン語圏のプラザ、ソカロ、ドイツ文化圏のマルクト広場などがあります。


トラヤヌスのフォルムの遺跡
Source:Wikimedia Commons
CC 表示-継承 2.0, リンク


 フォーラムが近くにあった主要施設は以下の通りです。

・都市の守護神殿、
・市場(macellum)に象徴される、
・恒常的商業施設
・コミティウム など

 市民の政治集会である民会(プレブス民会やトリブス民会など)の場です。また 首都では元老院、他の都市では都市参事会の議場となります。


フォーラム・ロマヌムの俯瞰図 周辺にはバジリカがあります。
Source:Wikimedia Commons 
パブリック・ドメイン, リンクによる


フォーラム2へつづく