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2018年 真夏の佐渡、歴史と文化の旅
長谷寺

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
無断転載禁
佐渡現地視察総合目次    

 長谷寺①   長谷寺②   長谷寺③   長谷寺④   長谷寺⑤


 私たちは世阿弥元清供養塔がある正法寺を参拝後、佐渡滞在最後の寺院として真言宗豊山派の長谷寺を参拝した。

 正法寺から長谷寺までは10km弱、時間でも18分弱である。


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ

 この長谷寺は以下にあるように、1200年以上前に創建された古い寺である。また佐渡上陸後に世阿弥が立ち寄り「金島書」に記したゆかりの地でもある。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 以下は佐渡の長谷寺の縁起、歴史などである。

◆大和に似た長谷の地に建つ空海開基の名刹

 佐渡の長谷寺は大和の「長谷寺」を模した古刹で807年弘法大師の開基である。佐渡上陸後の世阿弥が立ち寄り「金島書」に記したゆかりの地でもあり、また、ボタンをはじめ“花の寺”としても有名である。

 弘法大師作の十一面観音立像3体(国の重要文化財)をはじめ、平安期の金剛力士像、五智堂など、歴史を物語る文化財を多数所有している。また、県の天然記念物である三本スギや高野マキもある。

参考:さど観光ナビ


◆長国寺の歴史

 佐渡の長谷寺(ちょうこくじ)は、大和(奈良県)の長谷寺(はせでら)を模して807年(平安時代)に開基されました。時を経て、室町時代、能の大成者、世阿弥が佐渡に流されたとき(1434年)、たどり着いた松ヶ崎の浜辺から峠を越えて長谷寺に立寄ったことが「金島書」にかかれています。

 地元では花寺としても親しまれ、5月中旬に行われるボタン祭りでは境内のボタンの花々や宝物が鑑賞でき、野点でお茶も振舞われます。琴や郷土芸能のお披露目もあり、多くの参拝客が訪れます。

 出典:おけさ観光タクシー

 ※「金島書」: 世阿弥が佐渡へ配流になった境涯を綴った紀行文的小謡・曲舞集。

 ※佐渡の世阿弥ー『金島書』にみる最晩年の思い(放送大学)
 世阿弥は、永享5年(1434)、齢72歳で佐渡に流された。2年前に観世太夫を譲った息子が旅先で客死したことに追い打ちをかける事態であった。将軍義教による圧迫で過酷な境遇にあったが、世阿弥が佐渡で作った小唄集『金島書』は、悲嘆を秘めて「あら面白や佐渡の海。満目青山」と謡い、「神道の末ぞ久しき」と終る。そこには、50曲以上の能を作り、20篇もの芸道論を著しながら、深めてきた世阿弥の最晩年の思いが伺える。


◆世阿弥と長谷寺

 以下は境内にある「世阿弥と長谷寺」と題する解説である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

世阿弥

 古来、佐渡の長谷寺を訪れた人は数多く、中でも永享年間( 1431 年)佐渡に配流させられた観世元清(世阿弥)は、その「道の記」に「山路を下れば長谷と申して観音の霊地にわたらせ給い故郷にも聞こえし名仏なれば懇に拝し」と記している。


 以下は佐渡博物館にあった世阿弥佐渡山越行路図である。この地図が正しければ松ヶ崎を出発した世阿弥は最終的に長谷寺に到着したこと分かる。


出典:佐渡博物館 
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


出典:佐渡博物館 
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


つづ