戦争証跡博物館1 戦争証跡博物館2 戦争証跡博物館3 ベトちゃんとドクちゃん ◆ベトナム戦争証跡博物館② 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ミセス Nguyen Thi Ui とその息子は米軍のリン爆弾によって傷つけられました。 ミセス Thi Ui とその息子はリン爆弾によって傷つけられた 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 また、その後、Nguyen Thi Ba とその息子の親子は1970年8月18日、米軍のナパーム弾によって殺害されました。 1970年8月18日、米軍のナパーム弾によって殺害された親子 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2歳児の Nguyen Hong Tamは、1965年10月15日、米軍によるナパーム弾 によって焼かれた 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8
米軍のリン爆弾による犠牲者 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 1970年1月、Nguyen Thi Tu Oanh は、Quang Bihn州において、 米軍のナパーム弾で傷つけられた 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 1966年8月17日、My Thuan 村のVung Lien 地区から来た Sau Chau(男性)は、焼却された 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 米軍がベトナムで使った爆弾、地雷の数々 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 戦争証跡博物館展示写真 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 戦争証跡博物館展示写真 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 戦争証跡博物館展示写真 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 戦争証跡博物館展示写真 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) 戦争証跡博物館 (トリップアドバイザー提供) 戦争証跡博物館展示写真 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 今、ホーチミン近郊の観光名所となっているクチ・トンネルは、実に250kmにも及ぶ地下トンネルを人海戦術で掘り、サイゴン陥落の一端を担っています。 今や観光名所となっているクチトンネルの出口 ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) 今や観光名所となっているクチトンネルの出口 ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) 空から落ちる米軍機の残骸 戦争証跡博物館展示写真 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 米軍の兵士が落下するヘリコプターとともに地上に起ちてくるところの写真 戦争証跡博物館展示写真 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 現在、最新鋭の武器、銃器で武装した米軍がアフガンでてんてこ舞いしている史実と重ね合わせると、人間を人間とも思わない米軍的な戦争が結局、人間の精神力には勝てない証左であると思えました。 ホーチミン市の戦争証跡博物館 に展示された写真より 戦争証跡博物館展示写真 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 今回、写真撮影は、ホーチミン作戦博物館以外は原則OKでした。 ベトナム歴史博物館は事前許可制(有料制)でしたが、、戦争証跡博物館は、世界のより多くの人々にベトナム戦争やベトナムの苦難を知ってもらう姿勢が強く感じられました。 3へつづく |