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   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド2日目

シャー・ヒ・ズィンダ霊廟群B
Sho-hi-Zinda ansambli Visit in Samarkand

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月13日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

 下の大きな図はシャー・ヒ・ジンダ霊廟群の全体平面図です。

 シャー・ヒ・ジンダ霊廟群は右端が入口です。左端が出口側です。

 この間に実に40近くの霊廟、石棺、モスク、礼拝所、ドームなどが配置されています。

 これは現地で撮影した写真をデジタル画像処理することで、やっとここまで見えるようにしましたが、現地では薄暗く、色も中間色なのでほとんど何がどこにあるか分かりませんでした(笑い)。

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1

  このシャー・ヒ・ジンダ霊廟群はウズベックのいわば宗主でありますティムールの親族、関係者、軍属、学者らの墓が並んでいます。まさに『死者の通り』と言えます。これらの霊廟は11世紀から20世紀にかけ建てられています。

 ただし、アミール・ティムールと妃のビビ・ハニムについては、先に視察してきましたアミール・ティムール廟とビビ・ハニム廟があり増す。

 一方、下は上に掲示した平面図の凡例です。この凡例はウズベク語であるだけでなく、さまざまな略語があり、簡単に理解できません。

シャーヒズィンダ廟群の凡例

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1

 たとえば、凡例の 1.は、Qusam Ibn Abbos Maqbaraasi, XI ASR と書かれていますが、これをウズベク語−日本語で対訳すると、クサム・イブン・アッバースの霊廟(11世紀) となります。つまり 1.は イブン・アッバース、11世紀のKusamの霊廟であり、シャー・ヒ・ジンダ霊廟群にある霊廟でもっとも古いものです。これが伝説にある クサム・イブン・アッバース が眠る廟であり宝石箱のような四段重ねの墓石が特徴です。

 なお、シャー・ヒ・ジンダ霊廟群には次のような伝説がります。

 676年に預言者ムハンマドの従兄である クサム・イブン・アッバース が、イスラム教の布教のためにサマルカンドにやってきました。その翌年の677年、クサム・イブン・アッバース は礼拝中に ゾロアスター教徒に襲われ、首を切り落とされました。ところがアッバースは何事もなかったかのように礼拝を終え、自分の首を拾い、深井戸に潜って行ったそうです。すなわち、 クサム・イブン・アッバース は、永遠の命を得たことを意味し、危機に陥ったときイスラム(マホメッド)が助けに現れたと言い伝えられています。

 このクサム・イブン・アッバースの霊廟(11世紀)は、チンギス・ハーンにも破壊されなかったため、サマルカンドで最も古い建築物となっています。クサム・イブン・アッバースの霊廟(11世紀)の具体的な位置は、以下の地図の@に相当する場所となります(上の平面図ほ左上)。これはシャー・ヒ・ジンダ霊廟群の出口に近い部分となります。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1

 このシャー・ヒ・ジンダ霊廟群には、クサム・イブン・アッバースの霊廟以外にも、すでに何度か述べたように、40にも及ぶ廟などがあり、凡例を見てもなかなかわかりません。

 そこで「地球の歩き方<中央アジア版>」などの記述をもとに、順不同で主な霊廟名を列記すると、以下のようになります。

コシュ・グンバス廟霊廟(15世紀)、2つのドームをもつ霊廟。これはティムールの孫で
   為政者、そして天文学者でもあったウルグ・ベクの先生、いわゆる家庭教師、カズィ・
   ザデ・ルミの霊廟です。

   
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1

ウルジョイオイーム廟(14世紀)、ウルジョイオイーム廟はかつて25スム札の絵柄にもな
   っていました。

   
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1

トゥグル・テキン廟(14世紀)、ティムールの部下の将軍フセインの母親の名からこう呼ば
   れているそうです。

・アミールゾダ廟(14世紀)、ティムールの部下の一人が葬られているそうです。

シリンベク・アカ廟、ティムールの妹を祀った廟です。

シャーディムルク・アカ廟(14世紀)、ティムールの美しい姪を祀った廟です。 
   霊廟群で最も美しい廟です。

八角形の廟、8つの壁面を持った廟(15世紀)ですが、誰のものかはわかりません。
  
  
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1

アミール・ブルンドゥク廟(15世紀)、ティムールの部下の将軍を祀った廟ですが未完です。

トゥマン・アカ廟(15世紀)、ティムールの妻であるトゥマン・アカを祀った廟です。

フッジャ・アフマッド廟(14世紀)、シャーヒズィンダで二番目に古い廟で、この廟の様式が他の廟の
   原型になったそうです。


 下に現地で撮影した写真をいくつか掲載しておきます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1


撮影:Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1

 霊廟の中にはいると、ある時代の王家や部下の墓石が祀られて居ました。その中のひとつに11世紀に作られたクサム・イブン・アッバース廟がありました。

、廟の中にはいると、右手にモスクがありました。このモスクは、サマルカンドでモンゴル来襲時に破壊を免れた最も古い建築物でした。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1

 モスクをさらに進むと迷路のようになっており、多数の小さな礼拝所がありました。礼拝所で他の参拝者や巡礼者と一緒に私たちも祈りに参加しました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  20151-3-1

 2015年3月上旬、ウズベキスタンのサマルカンド、シャー・ヒ・ジンダ廟群を訪問した際、11世紀に出来た廟近くの礼拝所でお祈りを聞きました。この礼拝所は明るく、また声も響き渡り、すばらしいお祈りを聞くことができました! 以下を見てください!


動画撮影:青山貞一 2015年3月3日午後

 以下は動画から切り出した写真です。


撮影:青山貞一 JVC GZ E256B 20151-3-1


撮影:青山貞一 JVC GZ E256B 20151-3-1


撮影:青山貞一 JVC GZ E256B 20151-3-1

 その後、シャー・ヒ・ジンダ霊廟群を出ると、丘の上に墓地が広がって居ました。


つづく