エントランスへはここをクリック     <全体メニュー・中央アジア> 

   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド2日目

シャー・ヒ・ズィンダ霊廟群A
Sho-hi-Zinda ansambli Visit in Samarkand

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月13日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

 ここで、シャー・ヒ・ジンダ霊廟群の全体解説をしておきましょう。ただし、写真は文章の説明内容と連動していません。

◆概要

 シャー・ヒ・ジンダ霊廟群 (ラテン文字:Shah-i-Zinda、ウズベク語: Shohi zinda、生ける王を意味する) はウズベキスタン・サマルカンドの北東部にあるネクロポリス (霊廟群)です。シャー・ヒ・ジンダ霊廟やシャー・ヒ・ジンダ複合体という名称も用いらます。


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)

◆歴史

 シャー・ヒ・ジンダ霊廟群は、9〜14世紀及び19世紀に建設された儀式用の建築物と霊廟の集合体です。シャー・ヒ・ジンダ (生ける王を意味する) という名前は、預言者ムハンマドのいとこであるクサム・イブン・アッバース (Kusam ibn Abbas, Qassim-ibn-Abbas)が7世紀にイスラム教布教のためアラブ人によるサマルカンドへの侵攻が行われた時期にこの地を訪れ、同時期に埋葬されたという伝説と密接に結びついています。


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)

 先に述べましたが、一般的に知られている伝説においては、クサム・イブン・アッバースはその信仰のため斬首されましたが、自分の首を拾って地中深い井戸の中にある楽園の庭に行き、現在でも生きているとされています。

 シャー・ヒ・ジンダ霊廟群は、11世紀から19世紀までの9世紀の間に作られており、現在では20以上の建造物の集合体となっています。

 シャー・ヒ・ジンダ廟群は建物の建つ位置の高さから大きく3つのグループに分かれます。これらの建築物はチャルタク (Chartak) と呼ばれる、4つのアーチ状をしたドーム型の通路で結ばれています。


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)

 一番初めに建設された建物の建設時期は11〜12世紀に遡ります。当時の建築物の基礎部分や墓石などの主な部分は現代まで残っています。建物の大部分は14〜15世紀に建設されています。

 16〜19世紀に再建築がなされましたが、建物の構成や外観は変化していません。初期の中心的な建築物であるクサム・イブン・アッバースに関する建築物は廟群の北東部に位置しています。

 それらの中で最も古い建築物であるクサム・イブン・アッバースの霊廟とモスク (16世紀)はこの建築物群の中に位置しています。


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)

 廟群の内、高い位置にある建物は互いに向かい合う3つの廟群から構成されています。最初に作られたのはホージャ・アフマド (Khodja-Akhmad) 霊廟 (1340年代)です。中心の通路の北側に位置しています。右側にある1361年に建設された霊廟は中心の通路の東側に位置しています。

 中位置に立つ建築物のグループは14世紀の第4四半世紀に建設が開始されています。最初の半分は15世紀に建設され、ティムールの親戚や軍事的、宗教的に高位にあった者の名前と結びついています。


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)

 西側にはティムールの姪にあたるシャーディ・ムルク・アーガー (Shadi Mulk Aga)の霊廟があり、1372年に建設されました。反対側にはティムールの妹であるシリン・ベク・アーガー (Shirin Bika Aga) の霊廟があります。シリン・ベク・アーガー廟のとなりにはオクタヘドロン (Octahedron)と呼ばれる、15世紀前半の地下室があります。

 多段階段を降りた先には、低位置に立つ建築物の内もっとも均整のとれた建築物が位置します。15世紀初めに建設された2つのクーポラを持つ霊廟です。この霊廟は数学者であり天文学者であったカーディー・ザーダ・アッ=ルーミーを祀っています。


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)


サマルカンド (トリップアドバイザー提供)

 ウルグ・ベクにより1434〜1435年にかけて彼の墓の北側に建設されたこの霊廟はティムール王家の霊廟と同じ高さのクーポラを持っています。


つづく