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   ウズベキスタン現地予備調査

スィトライ・モヒ・ホサ2

The Sitora-I-Mohi-Hosa Palace2

宮殿の詳細

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月7日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
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市民がかよう金曜モスク


●夏の宮殿:Mokhi-Khosa Palace:スィトライ マヒ ホサ宮殿の詳細

 ここでは、スィトライ マヒ ホサ宮殿の詳細について見てみましょう。

●夏の宮殿:Mokhi-Khosa Palace:スィトライ マヒ ホサ宮殿の詳細
 Sitorai Mokhi-Khosa Palace: the residence of the Emir of Bukhara
 http://www.advantour.com/uzbekistan/bukhara/sitorai_mohi_hosa.htm

 19世紀半ば、ブハラ ナスルラ ハーン王は自分自身のために新しい郊外の別荘を建てることにした。夏の暑さから逃れるため涼しい場所を選ぼうと、建築家は羊を使った古い方法を頼りに建築現場の可能性を模索した。

 結果的に、肉が腐るまでに最も時間を要したところを、新しい宮殿を建てる場所に選んだのだ。それがブハラの郊外のこの場所だったというわけだ。しかし不幸なことにこの宮殿は今日まで続くことはなかった。

 数十年後、別のブハラの王、ミール・サイード・ムハンマド・アリム・カーンはそこに新しい宮殿を建築し始めた。王は、この宮殿を彼の妻であるシトラに捧げたという伝説がある。王宮の建設には数年を要したが結果として、これまでにない美しい王の居宅ができあがったのである。

 ブハラの建築家たちは、ロシアで訓練を受け、彼らの新たな建造物には、東洋と西洋の様式を一体化した様式を取り入れる技術を学んだ。王の妻が亡くなってしばらく経ち、彼女の名前がこの宮殿の名前となった。

 それが、シトライ モヒ・ホーサ宮殿である。その意味は、タジク語で、「星、まるで月のような」である。この名前は今日も続いている。しかし、残念なことに、シトライ モヒ・ホーサ宮殿もまた、最初の宮殿と同じ運命をたどることとなり、破壊されてしまった。

 現存のシトラオイ モヒ・ホーサ宮殿は、最後のブハラ王であるサイード・ムハンマド アリム カーンの命により、1912〜1918年に建設された。建設は当時のブハラの最高の建築家たちを集めて行われ、その中には、マルグリスとサトヴィッチという2人のロシア人エンジニアも含まれていた。

出典:Sitorai Mohi Khosa Palace, Bukhara, Uzbekistan

 宮殿の中心的な建物は、複数の受付レセプションホールと王の私的な部屋からなっています。

 特に注目されるのが「白の間」(White Hall)です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-26

 この部屋は、後に夏の宮殿の敷地内に記念像が建てられその後永年にわたって褒め称えられた著名な建築家であるシリン・ムラドフによって装飾が施されました。

 白の間はganch(ウズベキスタンの伝統的な装飾)が施され、壁に設置され鏡で覆われていました。
 
 同じ模様は一つとしてありません。この宮殿の鏡の数は相当な量にのぼることに注目しなければなりません。ベネチアのガラスの鏡、日本の鏡などが美しい額縁にセットされ、反射させるための格子が40回も繰り返し設置されていたそうです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-26

 また、夏の宮殿には豪華に金の組紐を飾った、ティールームや小さなミナレット、ゲストハウスなどもあります。それぞれの宮殿にはそれぞれの秘話や伝説があり、何時間も話すことができるほどです。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-2-26

 宮殿の中の接見の間、謁見の間には、当時、30人以上の建築、タイル、彫刻などの職人が動員されおり、壁、天井、床などに趣向を凝らしています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25

 建築様式は基本はロシア、イタリア、フランスなどの洋式となっていながら、部屋ごとに装飾は著しく異なり、さらに調度、置物は日本、中国などの陶磁器も多数あるなど、まさに欧州とアジアの融合というよりは、アマルガムのような神秘さを感じます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-2-26

 1927年、ブハラ王没落の少し後、宮殿は美術館に改装されました。展示物は定期的に入れ替えられます。しかし、今日では、美術と工芸の美術館の両方の機能を備えています。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-2-26


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-2-26

 下の白い建築物は、もともと宮殿のハーレムでした。現在は博物館になっています。

 またその前はプールです。王が投げたボールを泳いでいる側室達のなかで、そのボールを拾った側室が王のお相手となったという言い伝えがあります。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-2-26


つづく