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   ウズベキスタン現地予備調査

スィトライ・モヒ・ホサ1

The Sitora-I-Mohi-Hosa Palace 1

宮殿の概要

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月7日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
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市民がかよう金曜モスク


 2015年2月26日の午後、私達は私立学芸員の車でブハラの北に4kmほど行ったところにあるブハラのスィトライ マヒ ホサ宮殿というブハラ王の夏の宮殿を視察します。

◆スィトライ マヒ ホサ宮殿  The Sitora-I-Mohi-Hosa Palace

  ブハラのスィトライ マヒ ホサ宮殿 (The Sitora-I-Mohi-Hosa Palace)」 は、ブハラ・ハーンの夏の宮殿です。場所はブラハの中心部から4キロほど北にM37号線で行ったところです。


出典:グーグルマップ

 住宅地と農地に囲まれた静寂で緑が多い場所です。下の衛星写真の中央にあるのがブハラのスィトライ マヒ ホサ宮殿です。


出典:グーグルマップ

 下がブハラの「スィトライ マヒ ホサ宮殿の入り口です。


ブハラの「スィトライ マヒ ホサ宮殿の入口
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25
 
 下は宮殿の入口であり、受付(チケット・オフィス)です。入場時には入場料以外に、カメラ、ビデオなどで撮影する場合には別途料金を徴収されます。


宮殿の入口、受付(チケット・オフィス)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25


スィトライ・モヒ・ホサ宮殿の概要

 この宮殿は別名、「月と星の宮殿」という名称がつけられているブハラ・ハーンの夏の宮殿です。

 ブハラを支配した最後のブハラハーン、アリム・ハンの指示によりロシア(当時帝政ロシア)と地元の技師、職人が建築に参加し、1911年に竣工しています。

 ハンが宮殿を現在の位置に決める際、ヒツジを四頭放し飼いにし、あとになって一番太ったヒツジがいた場所が最も空気、水、土など環境がすばらしく健康にも良いとして決めたとされています。現代でも通用するような卓越した知見の持ち主であったようです。

 前世紀、ブハラ(の町)は著しく拡大し、今日では、シトライ モヒ・ホサ宮殿は、町の中心部から4kmとなってしまいました。

 最後のブハラ王の居宅は、今から100年前には、孔雀が歩き回り、過去の栄光を映すかのように、来訪者に敬礼していましたが、今日も海外の大使や王室関係者たちを迎えています。

 別荘の建物の外観は西洋風です。内部の装飾や調度、置物などは東洋風とエキゾチックな宮殿となっています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25

 下が「白の間」と呼ばれる白亜の宮殿です。私達がこの宮殿を訪問したときは、私達3人以外誰も外部からの入場者はいなかったようです。時間もたっぷりあり、ゆっくりと探訪することができました。

 アリム・ハンの宮殿は、大きな中庭に面した白い色の建物、「白の間」と呼ばれています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25

 アリム・ハンの宮殿の建物には、すばらしいシャンデリアが下がっていますが、このシャンデリアに電気を供給するため、中央アジアで最初の発電機が設置されています。この部屋はロシアかイタリアのような感じがしました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25

 欧米で電気を実用化できたのは相当後のことであり、産業や日常生活で使われるようになったのは19世紀は後半だったことを思えば、中央アジアで1911年にはじめて発電機が設置されたのは思いの外、遅いわけではないようです。

 ロシア風の建物、水面に映るハーレム、庭には孔雀が放し飼い。お妃様の要望を入れた宮殿なのかも知れません。

 下は宮殿の庭園です。真冬なので木々の葉が落ちています。


噴水のある庭  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-26


つづく