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初秋の

「信濃の鎌倉」を行く

(6)安楽寺

青山貞一・池田こみち

掲載日:2014年9月20日
独立系メディア E-wave Tokyo
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初秋の「信州の鎌倉」を行く
(1)はじめに (4)別所温泉 (7)中禅寺薬師堂 (10)塩田城跡
(2)信濃国分寺 (5)常楽寺 (8)龍光禅院
(3)北向観音 (6)安楽寺 (9)前山寺 日本史年表

 2014年9月16日の夕方、私達は別所温泉にある常楽寺を後に、隣に鎮座する安楽寺を参拝致しました。

 安楽寺は、「信州の鎌倉」のメインとも言える寺院です。

 場所は下の地図にあるように、常楽寺の南西の山の麓にありました。


安楽寺の位置     出典:グーグルマップ

 下の写真は駐車場から安楽寺の本堂に向かう途中の参道です。両側には高木が立ち並ぶ間ん中に、石畳が続き、その先に60数段(池田が勘定、笑い)の階段があります。その先に山門があります。

 この風景だけで、厳かな雰囲気がピリーと伝わってきます。


安楽寺の参道と本堂に向かう階段
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日


安楽寺の参道にて
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日

 山門をくぐると鐘楼がありますが、現在、修理中で見れませんでした!

 安楽寺には、長野県で初の国宝に指定されたという希有で秀逸な八角三重塔の木造の塔があります。来る前に入った「日帰り湯」にも、八角三重塔の木造の塔の模型がガラスケースの中にありました。

 また東京の私が使っている電車の駅の上田市の観光案内の広告にも、安楽寺の八角三重塔の塔があるなど、この塔がいかに上田市民、別所温泉住民の心のより所であり、シンボルとなっているかが分かろうというものです。

 ここでは、まず安楽寺の概要と歴史から進めましょう。

◆概要

 安楽寺(あんらくじ)は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院です。山号を崇福山と称します。院号は護国院。開山は樵谷惟仙(しょうこくいせん)です。

 本尊は釈迦如来です。安楽寺には国宝の八角三重塔があります。さらに安楽寺は長野県で最古の禅寺であることで知られています。

◆歴史

 伝承では安楽寺は天平年間(729 - 749年)、行基の建立とも言われています。平安時代の天長年間(824 - 834年)の創立とも言われていますが、鎌倉時代以前の歴史は判然としていません。

 安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代です。実質的な開山である樵谷惟仙(しょうこくいせん)が住してからです。

 樵谷惟仙は、信濃出身の臨済宗の僧です。生没年ははっきりしていません。

 13世紀半ばに宋に留学し、著名な禅僧の蘭渓道隆(鎌倉建長寺開山)が来日するのと同じ船で寛元4年(1246年)、日本へ帰国したといわれています。

 2世住職の恵仁は宋の人で、やはり樵谷惟仙が日本へ帰国するのと同じ船で来日しました。

 鎌倉時代の安楽寺は北条氏の庇護を得て栄えました。しかし、室町時代以降衰退し、古い建物は八角三重塔を残すのみとなっています。大変遺憾なことです。

 室町時代、天正8年(1580年)頃、高山順京(こうざんじゅんきょう)によって安楽寺は再興され、以後、曹洞宗寺院となっています。

★中世史(鎌倉時代)
  1219 健保7年 鎌倉時代 源実朝が公暁に殺される
  1221 承久3年 承久の乱
  1232 貞永元年 貞永式目制定
  1247 宝治元年 宝治合戦
  1274 文永11年 文永の役
  1281 弘安4年 弘安の役
  1285 弘安8年 霜月騒動
  1293 正応6年 平頼綱の乱
  1297 永仁5年 永仁の徳政令
  1317 文保元年 文保和談
  1324 元亨4年 正中の変
  1331 元徳3年 元弘の変
  1332 元徳4年
  元弘3年 後醍醐天皇が隠岐に流される
  1333 正慶2年
  元弘3年 後醍醐天皇が隠岐を脱出。
  新田義貞が鎌倉を攻め落とす(鎌倉幕府滅)

 次は、安楽寺の伽藍の概要です。

◆伽藍



 著名な八角三重塔(後述)の他、本堂、庫裏、坐禅堂、経蔵、傳芳堂(文化財収蔵庫)などがあります。


安楽寺の本堂
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日


安楽寺の庫裡
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日


◆八角三重塔

 八角三重の塔は境内奥の山腹に建つっています。

 昭和27年3月29日に松本城とともに、長野県内の建造物として最初の国宝指定を受けています。その八角三重の塔を拝観するためには、下の写真にあるように、本堂から八角三重の塔に向かう途中に受付があり、そこで拝観料(大人ひとり200円)を支払います。


撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日


本堂から八角三重の塔に向かう途中の受付
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日

 受付を入ってすぐ真ん前にあった経倉です。


受付を入ってすぐ真ん前にあった経倉
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日

 下の写真は経倉の中にあった像です。


経倉の中にあった
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日

 右側に、小さな池がありました。


撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日

 さらに石の階段を登ると、向かって左右にお地蔵さんが並んでいます。


撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日


八角三重の塔側からみた受付
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日

 さらに八角三重の塔に向かって進むと、下の案内板がありました。よく見ると、安楽寺開山に関わった樵谷惟仙(しょうこくいせん)の坐像と安楽寺二世の坐像があると書いてありました。いずれも鎌倉時代1329年、今から700年近く以前のものです。


撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日

 下の写真は、2つの像が安置されている傳芳堂を参拝する池田こみちです。


傳芳堂に安置されている樵谷惟仙と安楽寺二世の坐像
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日

 この後、石の階段をさらに相当登ると、八角三重の塔がありました。長野県で最初に国宝となった木造建築物です。


安楽寺の三重塔、
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8


安楽寺の八角三重塔の公式説明
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8



安楽寺の八角三重塔
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8


「信濃の鎌倉」を象徴する安楽寺の三重塔
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8


動画:「信濃の鎌倉」を象徴する安楽寺の三重塔    撮影:青山貞一



安楽寺の八角三重塔
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8


安楽寺の八角三重塔
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8


安楽寺の八角三重塔
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8


安楽寺の八角三重塔の回りの墓石
撮影:青山貞一、 Nikon Coolpix S8



 以下は、八角三重の塔の詳細解説です。

◆八角三重の塔の詳細解説

 安楽寺の八角三重の塔は日本に現存する近世以前の八角塔としては唯一のものである。八角塔は京都法勝寺、奈良西大寺などにも存在したが、戦乱などで失われている。

 八角三重の塔は全高(頂上から礎石上端まで)18.75メートル。構造形式は八角三重塔婆、初重裳階(もこし)付、こけら葺である。

 (四重塔にも見えるが一番下の屋根はひさしに相当する裳階(もこし)である。)この塔は日本に現存する唯一の八角塔であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀有の存在である。

 組物(軒の出を支える構造材)を柱の上だけでなく柱間にも密に配する点(詰組)、軒裏の垂木を平行線状でなく放射状に配する点(扇垂木)、柱の根元に礎盤を置く点、頭貫(かしらぬき、柱頭を貫通してつなぐ水平材)の端に木鼻(彫り物)を施す点など、細部に至るまで禅宗様で造られている。内部の天井の形式や八角の仏壇も他に類を見ないものである。内部には禅宗寺院には珍しく大日如来像が安置されている。

 この塔の建立年代は、従来、漠然と鎌倉時代末?室町時代始め頃と考えられていたが、2004年奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明した。

 このことから当塔は13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、1320年建築の功山寺仏殿を凌ぐ日本最古の禅宗様建築である可能性が高くなった。

 2011年11月に屋根の葺き替えは60年ぶり、頭頂部金具の修理は100年ぶりとなる大規模な修復工事が行なわれた。

主な出典:Wikipedia

 この後、私達は一路、塩田・前山地区に向かいます。
 

つづく