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厳寒のロシア2大都市短訪

   
パブロフスク宮殿

謁見の間


青山貞一 Teiichi Aoyama  
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo
 
無断転載禁
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 ・パブロフスク宮殿施設・内装 (間、教会、寝室、図書室)
  
荘厳な寝室  イタリアの間1   イタリアの間2    騎士の間
  ギリシアの間  マリア・フェオドロフナの図書室      教会
  戦争の間    エジプトロビー   平和の間       謁見の間


◆サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)
  サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

 
パヴロフスクの紋章

◆パブロプスク宮殿の謁見の間
  パブロフスク宮殿の謁見の間


パブロフスク宮殿の謁見の間
Source:Wikimedia Commons
Chatsam - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる


 玉座の間(謁見の間)は宮殿の中で最も大きな部屋です。この部屋はヴィンセント・ブレンナのプロジェクトの後、1797年~1799年の間に造られたもので、建築様式として最も優れた作品の一つです。

 この四角い部屋の角は隅切りがされており、ひろい窪みが造られ、その中には鋳物でつくったストーブが置かれています。

 各壁面の中央は、アーチ型に切り込まれた窪みがありますが、その窪みの開口部の大きさは四隅の窪みとぴったりの大きさとなっています。豪華な漆喰製のモールディング(型押し成形)と彫刻はこの効果を強調する一方、狭い窓や出入口がそれらの間の隙間の単調さを打ち破っています。

 室内造形の構成は、天井に描かれた遠近法のデザインによって補完されています。 天井は、ゴンザガ(Gonzaga)のオリジナルのデザインの後には塗装されていないと長い間信じられていました。

 しかし、最近の研究では、オリジナルプロジェクトが、修復資金が少なくなった19世紀後半には、実際の所、ただ壁に石灰を水に溶かして塗っただけであることを大部分確認しています。

 現在の塗装は、作者のオリジナルデザインの後、1957年に行われました。アーチ型開口部(窓)を構成する一対の女人像の柱には特別な注意を払うべきです。 それらはヴィンセント・ブレンナ(Vincenzo Brenna)によるデザインの後、彫刻家Ivan MartosとMikhail Kozlovskyによって1798年に作られました。

 女人像の柱は戦前の写真に基づいて彫刻家T. Shabalkina(左)とN. Maltseva(右)によって苦労して再現されました。

 玉座の間(謁見の間)もともと、ダイニングルーム(食堂)として設計されました。このような名前の部屋は建築文書で実際に言及されており、装飾的なモールディング(型押し成形)の主題は、本来の意図である - 果物、花、宝石類および楽器 - に対応したものとなっています。


パブロフスク宮殿の謁見の間
Source:Wikimedia Commons
Chatsam - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる



パブロフスク宮殿の謁見の間
Source:Wikimedia Commons
Chatsam - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる



パブロフスク宮殿の謁見の間
Source:Wikimedia Commons
Chatsam - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる



パブロフスク宮殿の謁見の間
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