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   東南アジア最後の秘境 ミャンマー

旧国会議事堂と遷都
、連邦議会

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
(6) ヤンゴン二日目の朝  (7) 国立歴史博物館@  (8) 国立歴史博物館A
(9) 旧国会議事堂と遷都、連邦議会  (10)人民公園と人民広場


旧国会議事堂
 
 博物館を見学後、私達は博物前のPyay Roadを北上しました。旧国会議事堂を見るためです。


出典:入場時パンフレット

 下はグーグルマップのストリートビューで示した国立博物館から旧国会議事堂までのフットプリントです。約12分ですが、何しろこの日は好天でものすごい日射です。その中を歩きました。


出典:グーグルマップのストリートビュー

 現地に行ってみてわかったのですが、旧国会議事堂は公開されていませんでした。おそらく公開日は決まっているのでしょう。

 フェンス越しに外から見るだけだったのです。下の写真は、グーグルアースで見た旧国会議事堂の全景です。旧国会議事堂は広大な敷地の中にあったのです。


出典:グーグルアース

 下写真は旧国会議事堂をPyay Road 側からフェンス越しに撮影したものです。


出典:グーグルマップ・ストリートビュー


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-1


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-1


◆ネピドーへの遷都

 ところで、ミャンマーは2006年に旧首都ヤンゴン(ラングーン)に代わり、ヤンゴンの北にあるネピドーを首都と定め、遷都を行っています。

 下の地図で★を付けたのが新首都のネピドーです。ヤンゴンの北で内陸にあります。ネピドーはすでに人口で92万人、ミャンマーではヤンゴン、マンダレーに次いで人口規模で第三番目の大都市となっています。


出典旅行のとも Zen Tech

以下に遷都に至る経緯について記します。

◆遷都に至る経緯

 2003年夏より、ピンマナの西数キロの軍用地だった場所で新行政首都の建設が始まるも、移転計画が明らかになったのは2005年の中頃でした。

 遷都は急過ぎて不可能とする見方も多かったのですが、ミャンマー政府は同年11月7日に移転を開始し、省庁・政府機関の職員達はトラックでヤンゴンからピンマナへと向かいました。

 翌2006年3月27日の国軍記念日には新首都で内外の報道陣を招き軍事パレードが開かれています。この席で、ミャンマー政府は首都地域をネピドー(Naypyidaw.svg, Naypyidaw, 「王都」「首都」の意)と呼ぶことを公式発表し、10月10日には公式に遷都を発表したのです。

出典:Wikipedia

 下の写真はネピドーにできた新たな国会議事堂です。これも広大な敷地の中にあります。 


ネピドーにある新たな国会議事堂   出典:Wikipedia


ネピドーにある新たな国会議事堂   出典:Wikipedia


ネピドーにある新たな官庁   出典:Wikipedia

 なお、下の航空写真はネピドーの新たな国会議事堂を含む立法府を上空から写したものです。

 遷都してすでに92万人を超えていますが、ネピドーはしっかりとした都市計画のもとにつくられているので、オーストラリアのキャンベラ同様、非常に美しい景観が保たれています。


出典:グーグルアース 


出典:グーグルアース 

 ちなみに下の航空写真は、ネピドーの住宅地です。やはりしっかりと都市計画が行われており、みどりの森の中に戸建ての住宅地が並んでいます。


出典:グーグルアース 

  なお、遷都の理由は公表されていませんが、以下が指摘されています。

(1)アメリカからその専制を批判されているミャンマーが、米国からイラク戦争同様に侵攻を受けた場合、内陸に位置するネピドーは海に近いヤンゴンよりも占領されにくく、より戦略的に有利な位置にあるからだという見方。

(2)ネピドーはカレン州、シャン州、チン州など少数民族の多い州(ピーネー)に近く、かつ上ビルマと下ビルマの結節点に位置しており、国内の治安維持を重視したという説。

(3)元首で上級大将のタン・シュエのお抱え占星術師の命令によるものだという説。2005年11月9日のマレーシアの英字紙、ニュー・ストレート・タイムズは『首都移転の影に占星術師』のタイトルの記事を掲載しています。

(3)軍事政権は都市部の市民を恐れているとの説。高い教育を受けた国民や海外留学から帰った国民の増加により、そういった人々の多く住むヤンゴンで市民運動や革命が起こることを軍事政権は危惧していること。それゆえ、政権中枢をネーピードに移転させ政権の強い地盤とし、革命が起こっても早期に鎮圧できる拠点としようとしているというもの。

(4)遷都を可能にした背景として、天然ガス輸出による外貨収入増が挙げられています。タイへのガス輸出が軌道に乗ったことで、ミャンマー政府は移転に必要な財源を確保することができたとされています。

 なお、下の写真は、 ネピドーに2009年に完成したウッパタサンティ・パゴダです。高さは100mもあります。


出典:Wikipedia

 なお、以下はミャンマーの立法、行政のあらましです。

◆元首・立法・行政

 国家元首は、2011年3月より大統領となっています。同月、テイン・セインが連邦議会で軍籍ではない初の大統領に選出されました。さらに、2016年3月にはNLDのティンチョーが大統領に就任しました。

 NLDがティンチョーを大統領に擁立したのは、軍事政権下で制定された憲法の規定ではNLD党首のアウンサンスーチーが大統領就任資格を奪われている(アウンサンスーチーはイギリス国籍の息子を持っているのですが、憲法では外国籍の配偶者や子を持つ者は大統領になることはできない)ため、アウンサンスーチーの「代理」としての意味合いでした。

 アウンサンスーチー自身も、新大統領は何らの権限を持たない傀儡であって全てを決定するのは自分であると明言していました。新政権ではアウンサンスーチーは外務大臣兼大統領府大臣、さらに新設の「国家顧問」に就き、政権の実権を掌握する体制を整えています。国家顧問は大統領に政治上の「助言」を与えることができるとされていますが、アウンサンスーチーの「助言」は、事実上は大統領への「指示」となると予想されています。

議会

 2008年に制定された新憲法により、二院制の連邦議会(Pyidaungsu Hluttaw)が創設されています。連邦議会は上院(民族代表院、Amyotha Hluttaw)と下院(国民代表院、Pyithu Hluttaw)の2つで構成されています。

 議員は両院とも任期5年。議席数は上院が224議席、下院が440議席。各議院の議席のうち、4分の1は国軍司令官による指名枠となっており、残りの4分の3は国民による直接選挙で選出されています。

 下はミャンマーの連邦議会議事堂です。


ミャンマー連邦議会議事堂   出典:Wikipedia

 なお、議会構成は2008年に制定された憲法に基づいて設置されています。

 各々の議員定数の4分の1は、国軍司令官により指名されています。民族代表院:224人。うち56人が軍司令官による指名枠となります。軍人枠というのは、どう見ても不自然というか公平性に乏しいと思われますが、軍政から民政への移行期のこととして許容せざるをえないのでしょうね。

上院 民族代表院                下院  人民代表院
 
出典:Wikipedia

 2015年11月8日に行われた総選挙でNLDが単独過半数の議席を獲得しました。


つづく