東南アジア最後の秘境 ミャンマー 国立歴史博物館(2) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2016年8月4日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
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(6) ヤンゴン二日目の朝 (7) 国立歴史博物館@ (8) 国立歴史博物館A (9) 旧国会議事堂と遷都、連邦議会 (10)人民公園と人民広場 ◆11世紀から15世紀のレリーフ、彫像の展示 11世紀から15世紀の展示室の英文解説 ◆ミャンマー歴史的時代の展示室 ドロミテ石の奉納額、テラコッタ奉納額、装飾された化粧漆喰の角材、壁画の複製品、バガンの多数のパゴダの絵画や写真、10世紀から13世紀にかけての石碑の拓本、また、ピニャ時代からコンバウング時代にかけての遺物が研究されています。 以下は11世紀から15世紀のレリーフ、彫像の展示室です。 左:仏陀の誕生 Kyauk-Gu-U-Minより、 バガン 11世紀 右:ブロンズ製蓮の花びらの置物 11〜13世紀 下は古代のミャンマー演劇一座の像 (歌手・楽団・俳優・曲芸師などの)です。 下は浅浮き彫りの人物像 15世紀です。 ◆ミャンマー紀元前およびそれ以前の時代の展示 ミャンマー前歴およびそれ以前の時代の展示室 ポンダウンのパノラマ景観 霊長類の化石がみられる土です。 上:Srikhsetraから出土した 鉄の釘 紀元前2世紀〜紀元1世紀 下:Hanlinから出土した 鉄のちょうな(手斧) 紀元前2世紀〜紀元9世紀 ◆ミャンマーの伝統工芸の展示室 ミャンマーの伝統工芸 出典:入場時パンフレット 以下はミャンマーの伝統工芸の英文解説 ◆ミャンマーの芸術活動の展示室 ここではミャンマーのオーケストラ、楽器、伝統船などによるレース、ミャンマーの操り人形などがあります。 下の写真はヤンゴン空港の出発ロビーの壁にあった絵画です。上にある龍の船と似ています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-9 ヤンゴン空港出発ロビーで撮影 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-9 ヤンゴン空港出発ロビーで撮影 以下は、マンダレー、バガンで見たマペット(操り人形)です。ミャンマーは操り人形づくりのふるさとだったのです。ただつくるだけでなく、操り人形の舞台上演などの人形使いの育成にも歴史的に力を入れてきたようです。 ミャンマーの操り人形 出典:入場時パンフレット ◆ミャンマーのアートギャラリー(芸術作品展示) その1 ミャンマーのアートギャラリー1 出典:入場時パンフレット ◆ミャンマーのアートギャラリー(芸術作品展示) その2 ミャンマーのアートギャラリー2 出典:入場時パンフレット ◆ミャンマーのアルファベット 以下はミャンマーのアルファベットの英文解説 以下はミャンマーのアルファベットです。 ミャンマーのアルファベット 出典:入場時パンフレット 国立博物館の視察を終え博物館の出入り口に戻りました。 なかなか見ごたえがありましたが、写真撮影が禁止されていること、それに展示室の照明がほとんどないも同然で、折角の色彩が見られなかったのは非常に残念でした。これはのちに訪問したバガンの国立考古学博物館も同じです。 また大部分の展示物には英文のタイトルさえないものが多いので、せめて英文のタイトルと概要を付けてもらうとより関心が高まるはずです。しかし、最低限、ミャンマー(ビルマ)の歴史を勉強してから博物館に行かないと王朝の時代区分すらわからないということになります。 もし、それらを学習してから再度行くと、格段に興味が沸いてくるものと思えます。 ところで、ヤンゴンの男性はほぼ全員が、ズボンではなく、木綿の布を筒状にしたものを、巻き付け前で挟み込んで止めて居ます。日本の着物で使ういわゆる腰巻きを思い浮かべてください。これは風土にあっていて快適で楽なのだそうです。 こうした腰巻きのことを「ロンジー」と言いますが、現地では男性用と女性用でそれぞれ 別の呼び方をしていました。
この服装は、ミャンマーの風土に由来したものでしょう。 女性も大部分が、同様の腰巻きとセットの上着を着ていますが、男性より多様性があります。 そこで国立博物館の受付の男性にこの男性の服装についてお尋ねしたら、その場で、巻き付け方などを実演してくれました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-1 男性がまとっているスカートのような服装は、実は下の写真を見ればわかるように、一枚の布を円筒状にしただけのものでした。その中に体を入れ、前で胴回りを調整するだけです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-1 おそらく、この服装は、ミャンマーの風土からくるものでしょう。一方、ほぼ全員がサンダル(ビーチサンダルに類するもの)でした。ひょっとしたらこれは風土だけでなく宗教的な理由から来ているのかも知れません。履き物もやはり男女問わずです。どのパゴダ、寺院も参拝するには完全な裸足でなければならないからです。 つづく |