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 メアリー・スチュアートの足跡を追って
スコットランド
2200km走破

メアリーの生誕地、リンリスゴー

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2017年12月10日公開予定
独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁

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メアリーの生誕地、リンリスゴー  リンリスゴー城1  リンリスゴー城2
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 現地滞在2日目、私たちはリンリスゴーにある民泊から、前日下見をしておいたリンリスゴー城に行きました。このリンリスゴー城は、メアリー・スチュアートが生まれた城であり宮殿です。

メアリーの生誕地、リンリスゴー

012年7月、2014年にイギリスからの独立を目指すスコットランドに10日間でかけた。さまざまな角度からの現地調査報告はすでに出している。

◆第一編 英国からの独立に沸くスコットランドが面白い!

◆スコットランド+北イングランド現地調査報告

 ここでは、メアリー女王の足跡をだどる旅と題し、悲劇の女王、メアリー・スチュアート女王が生まれたスコットランドのリンリスゴーから悲しみに明け暮れスコットランドを旅だつまでの足跡を現地調査時に撮影した写真と動画をもとに振り返りる。

 はじめは、メアリー・スチュアートが生まれたリンリスゴーである。

 16世紀中頃、イングランドを含むブリテンの王位継承権をもっていたスコットランドのメアリー・スチュアート王女は、イングランドのエリザベス王女(現在の英国のエリザベスは2世)によって最終的に断頭台に送られた。これが悲劇の女王、メアリー・スチュアートと言われるゆえんである。

 ここでは、メアリー・スチュアートが生まれたスコットランドのリンリスゴー城(宮殿)、戴冠式を行ったスターリング城、スコットランドを象徴するエジンバラ城、最初に幽閉されたロッホレーベン城、そしてイングランドのエリザベス王女によって19年間幽閉された最初の場所となったスコットランド南端にあるダンドレナン修道院、さらにはイングランド側の最初の幽閉場所となったカーライル城を順次紹介したい! 

 メアリー・スチュアートは、1542年12月8日、スコットランド王ジェームス5世とその妻、フランス貴族のマリ・ドギーズの間に第3子として生まれた。先に生まれた2子は病死している。


メアリーの父親、スコットランド王、ジェームス5世
エジンバラ城所蔵
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


左がスコットランド王ジェームス5世、右がフランス貴族のマリ・ド・ギーズ
中央がマリー・スチュアート 出典:NHK BSプレミアム


当時のスコットランドとイングランド
出典:NHK BSプレミアム

 今回、私達の旅もこのリンリスゴーからはじまった。私達は英国空港の飛行機で成田→ヒースローと乗り継ぎ夕方、スコットランドの首都、エジンバラ空港に到着した。小さな田舎町の空港という感じで、そっけない空港だ。


英国航空の飛行機 成田空港にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

  エジンバラ空港からリンリスゴーの町まではレンタカーなど車で20分とかからない。 リンリスゴーは中世の面影を色濃く残す人口5300人の小さな田舎町である。

 メアリーが生まれたのは、スコットランドの首都エジンバラから西に20kmほどいったところにあるリンリスゴー城(宮殿)である。

 この田舎町がスコットランド、英国中に名をとどろかせたのは、いうまでもなくメアリー・スチュアートの生誕地であるからである。


リンリスゴー城  Source:Google Map

  エジンバラ近くにあるリンリスゴー城(宮殿)、メアリー・スチュアートが生まれた城として有名。私達は、最初の3泊をこのリンリスゴーに宿泊した。実に落ち着いた静かな、すばらしい景観をもったスコットランドらしいまちである。

 下は現在のリンリスゴーのまちの主要部を示す地図である。

 リンリスゴーの現在のまちそのものが、中世の町並みを残す旧市街となっている。

 鉄道がひかれ、道路が整備され、小さなスーパーマーケットがある以外、ほとんどが中世のまちそのもののように見えた。


現在のリンリスゴーのまちの主要部を示す地図
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 リンリスゴーに3日間宿をとったこともあり、毎日早朝から午前はリンリスゴーのまちや宮殿の周りを散策した。


3泊したB&B スコットランドのB&B
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 城(宮殿)が開くのは午前9時30分であったが、それにより前に到着し城(宮殿)の回りを探索した。

 この城(宮殿)は、戦いに明け暮れたスコットランドではめずらしく、戦いのための砦そして要塞としての城の機能より、ゆっくり過ごし、自然を探索するといった生活そして憩いの場であったようだ。


リンリスゴー城(宮殿)の門
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 城(宮殿)の門をまち側から見ると4つのエンブレム・アームがある。左から二つめのライオンが横向きに立っている紋章がスコットランドの紋章、その右がメアリー・スチュアートの紋章である。


リンリスゴー城(宮殿)の門内側から見た旧市街
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


城の門をまち側から見ると4つのエンブレム・アームがある
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 リンリスゴー城(宮殿)の入場料は、大人で5.5ポンドだが、3日間有効チケットを購入するとスコットランドにある城、宮殿、要塞、カテドラルなど一部私有されている施設を除きが自由に入れる。


リンリスゴー城(宮殿)の入館料 
開館は9:30-17:30(4月~9月)、9:30-16:30(10月~3月)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


実際のパス(3日間周遊券)


Histric Scotlandが発行するExplorer Passと関連資料

 下はリンリスゴー城(宮殿)。前に広大な庭と小さな湖がある。


エジンバラ近くにあるリンリスゴー城、メアリー・スチュアートが
生まれた城として有名。最初の3泊はリンリスゴーに宿をとった
Source: English Wikipedia


リンリスゴー城(宮殿)の庭にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 リンリスゴー城(宮殿)では下の写真にあるように、学芸員(地元の高校生が実地研修中)が16世紀頃のコスチュームで迎えてくれる。学芸員は建築、構造物ごとに、当時のメアリー一族の生活などを話してくれ、私達の質問にも的確に答えてくれた。


学芸員と一緒に
悲劇の女王、メアリー・スチュアートが生まれたリンリスゴー城にて
撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10

 この城はスコットランドの他の城がそうであるように、全体は廃墟化しており、骨組みを残し天井や床は破壊されている。しかし、スコットランド政府や自治体は、残された骨組みと壁、階段を活用し、上層まで登り、歩くことが出来るようにもともとの構造をそのままに一部修復している。

 下は、居室で当時の生活を説明してくれる学芸員の写真だ。まるでオペラの一幕に居るような感じだ!


説明してくれる学芸員は皆、16世紀の衣装で対応
リンリスゴー宮殿にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 リンリスゴー城(宮殿)のグレートホールは、今回スコットランドで見た城でもっとも広く天井も高いものだった。


グレートホールの暖炉  リンリスゴー宮殿にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 以下もリンリスゴーのグレートホールの暖炉。非常に大きな暖炉である。


グレートホールの暖炉跡  リンリスゴー宮殿にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


リンリスゴー宮殿内にあるチャペルの案内板
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 
実は、メアリーは幼少でフランスに嫁いだ後、結婚相手のフランソアが若くして亡くなった。メアリーは、イングランドのエリザベスの攻撃を避けながらスコットランドに帰国する。その後、メアリーは何度もこのリンリスゴー城(宮殿)に出向いていることからも、リンリスゴー城(宮殿)を愛していたことがよく分かる。 

 下の写真は廃墟となっているリンリスゴー城(宮殿)を屋上側から見たところである。

 今回行って自分の目で確認したことは、スコットランドの城や要塞、カソリックのカテドラルはどれもこれもイングランドによって破壊され、廃墟化していたことだが、廃墟で共通なのはいずれも壁が残っていることであり、無くなっているのは屋根であったことだ。これは屋根や床の多くが木材でつくられており、イングランドが戦闘時に放火したことによっていると思われる。


屋上側からみたリンリスゴー城(宮殿)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


リンリスゴー城(宮殿)内部
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

  廃墟化したリンリスゴー城(宮殿)には四つのすみに円筒形の塔がある。下の写真はそのうちのひとつである。この塔だけが最上部まで登れるようになっていた。


リンリスゴー城(宮殿)の角に4つある円筒形の塔のひとつ
この塔だけが最上部まで登れる
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


リンリスゴー城(宮殿)の角に4つある円筒形の塔の最上部にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8
 
 リンリスゴー城(宮殿)内の廊下。

 逆U型のアーチがすばらしい。ただ美しいだけでなく、ローマから引き継がれるアーチは構造力学上からも堅牢であり、幾多の戦禍にもかかわらず残されていた。


リンリスゴー宮殿内の廊下。アーチがすばらしい
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 スコットランドのどこの城、要塞でもそうだったが、建築物の内部には必ず博物館的な展示コーナーがあり、400年も前の貴重な文物が展示してあった。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 リンリスゴー城は4つの塔をもっているが、そのうちのひとつの塔は石でできていて屋上まで回り階段を上って行くことができる。

 下の写真はうす暗い階段を150段登っていった塔の上から撮影したリンリスゴーのまちの景観である。城の周辺は小さな湖とと森となっていて白鳥、野ウサギなどが多数生息している。


リンリスゴーのまちの景観
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 下はリンリスゴー城(宮殿)の隣にあるカテドラル。メアリー女王は敬虔なカソリック信者であった。


リンリスゴー城(宮殿)の隣にあるカテドラル
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


リンリスゴー城(宮殿)の隣にあるカテドラル
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


つづく     スコットランド総目次へ